第29.5騒 長い一日の昼過ぎ8。
通信用の魔法陣から光が消えると、ギンブリーは背後を振り返った。
体格の良い二人の軍人に押さえつけられている男と、三人を見張るように中年の軍人がもう一人。
取引場所である酒場のはす向かいの路地に似合いの構図だ。
ギンブリーは手ぶらで立っていた中年の軍人に顔を向けた。
「作戦を伝える」
「はい」
光の意匠のついた胸飾りの男がギンブリーの言葉を受けて、小さく呟くように何かを唱える。
呟く声が途切れても、特に変わった現象は起きなかったが、魔法部隊の男はギンブリーに対して頷いた。
「作戦変更だ。今から取引場所に突入する」
魔法陣は魔法を使えない人間の為に作られた生活道具だが、本物の魔法使いがいれば、魔法陣はいらないし、事細かく条件も付けられる。攻守ともに頼りになる魔法もあり、大変便利な魔法使いだ。
問題は、元々の数が少なく、女性の方が圧倒的に適性が高いため、軍属の魔法使いになりたがる者がいないということだ。魔法使いの男は貴重で、しかも軍属となると、変人扱いに近い。
今回の作戦、指揮はギンブリーだが、上には元帥がいる。
貴重な魔法使いまで貸してくれたのは、失敗の出来ない作戦だからだ。
「遊撃と歩兵は私と突入。狙撃は酒場の外で逃げた者を麻酔銃で狙撃。魔法と衛生は狙撃の傍で待機」
『はっ』
路地にいる三人が声を上げた。
「情報部隊。一人は元帥に状況を伝えに行け。二人は突入。四人は人質と待機。他は街に散れ」
傍にいないので声は上がらないが、頭上で見知った気配が動く。
情報部隊は個人の適性がはっきりしている為、自ずと役割分担が決まる。
部下の名前を他部隊に覚えられたくないギンブリーは、情報部隊の指示にはあえて名前を出さないことが多かった。
「今後は魔法陣を使用せず、緊急の場合は直接伝えろ。以上だ!」
『はっ!』
今から街にいる歩兵や遊撃がこの場所に来るまで少し時間が掛かる。
ギンブリーは冷たい地面に這いつくばっている男に近づいた。
地面に倒されたせいだろう、薄汚れた顔には、反抗心を根こそぎ折られた虚ろさが漂っていた。
この様子なら素直に話すだろう。
「茶色の髪、緑の目の伊達男に見覚えはないか?」
地面についた顔をのろのろと上げ、喉の奥で掠れた、細い声が答える。
「そいつは古参の“狼”の仕切りだ」
気障なマスターが部下たちに安酒を配り、最後にカウンターの一番奥にいる俺に酒を置いた。
話をする気がない彼は、すぐに姿勢良くクロスでグラスを拭き出す。
こちらも楽しく会話をする気はないので、琥珀色の酒を一気に煽る。
小便のような酒かと思ったが、普通に良い酒だったので、一気飲みは控えた。
口当たりの良いグラスをカウンターに置くと、大きな氷がグラスで澄んだ音を鳴らした。
“鴉”の使いはどんな奴か。
裏の根回りや秩序や規律をことごとく破り、金に物を言わせて急激に範囲を拡大させた“鴉”。
“鴉”の使いとして顔を見せているのは数人いるが、本人を見た者はいないという。
(“鴉”……あいつの目的はなんだ?)
金だけで集めた脆い継ぎ接ぎだらけの集団を、組織として補強する素振りも無い。
(“無音”の一味か?)
裏社会では知らぬ者もいない超大物だ。死の商人並みに、あらゆる所に出入りしている軍人派閥の一派。
軍人が大勢出払っている案件の割に、今回彼らが大人しい。
(手を組んだか? それとも既に手を打っている?)
義理や恩義を固く守りながら、時として契りを交わした親でさえ売る冷酷さが蔓延る世界だ。
完全に手を組むのは有り得ない。共闘か協力ぐらいが精々だろうが、これだけ軍人を敵に回してそんなことをするものだろうか。
(………もしかして、鴉の使いは軍の息のかかった奴か?)
囮、間者、懐柔、脅し。様々な方法が浮かぶ。
しかし、“全員を撒いた”という一点が全てを否定する。
考えすぎだ。やはり、鴉側の使いだろう。
馬鹿の考えを払拭するように、残りの酒を一気に煽った所で、酒場の扉が開いた。
(きたか……)
入って来たのは若い二人連れの男だった。
栄養が足りてなさそうな細っこい男が例の鞄を胸に抱きしめ、真後ろに護衛よろしく体格の良い男が付き添う。
護衛の太い首には銅の|十字架〈フィートシンボル〉。そこそこ腕の立つ傭兵のようだ。
傭兵が先にカウンターの真ん中に座り、鞄を持つ男を手招きする。
マスターがすかさず、細いグラスにカクテルを二人の前で注いだ。
鞄を持つ男の方と顔見知りのようだ。親し気に話をしている。
しかし。
(……どうみても、こいつは部外者だな……)
はした金を握らせた浮浪人と言われても納得の容貌だ。
連れてきた餓鬼と同じぐらい無知で平和ボケしている。ようするに、無防備。
軍人共の撒き餌かと疑った自分が馬鹿みたいだ。こいつが軍人なら軍人の力量も下がれないところまで下がり切ったことになる。
代わりに、油断無くあたりを見回し、ほかのテーブルに座る男どもに違和感を感じているらしい傭兵の方が、ずっとずっと、“それ”らしい。
鞄の男はただの荷物持ち。捨て駒に近いのだろう。この傭兵の男が主導権を握っている。
そう論理を組み立てると、カウンターの椅子から腰を上げた。
「その荷物」
背後のテーブル席の男たちに違和感を感じる。
それが何か分からない気持ち悪さを感じているうちに、カウンターの奥にいた男が近づいて来た。
恐らく、荷物を待つ側の人間だろう。
見た目からして裏の関係者しかありえない男は、こちらを微塵も軍人とは思っていないようで、随分と気軽に接して来た。
(……まぁ……こいつはどんな相手でも気付かないだろうが)
声を掛けられた隣の同室は、幼い子供を彷彿とさせる無防備さで、男を見ていた。
「フィルダンからだろ?」
問われて、微かに首を傾げた。
(………こいつ、フィルダンが誰だかわかってないな)
確認するように、男がもう一度名前を繰り返す。と、更に首の角度を深くした。おい。
「フィラットの兄だ」
耳打ちをすると、ようやく理解したのか、なんのてらいもなく鞄を渡した。
「どうぞ」
「………ああ」
まるで土産を渡すかのような気軽さだ。無防備すぎて戸惑う様子が手に取るように分かった。
中身を知らないゆえの行動だろうが、中身を知っている俺や相手からすれば軽く身を引いてしまう。
フィラットも目端が利く男だ。誰もカラトが軍人だと思わないからこそ、運び屋に選んだのだろう。
ただ残念だったのは、こいつの特殊性から、こいつは常に周りから動向を把握されているということだ。
(一番残念なのは、その全てに全く気付いていないこいつの頭と勘の鈍さだな……)
鞄を渡された男が、中身を調べようとして、手を止めた。
鞄に鍵がかかっていないことに気付いたようだ。
鍵をかけていないのはわざとだ。
見た目で本物と見間違うような精巧な中身を用意したのだ。
本物は鍵がかかって中身が見えない。偽物は本物に見える。混乱必須だ。
この案を嬉々として提案した年下の同室は、なかなか腹が黒い。
男の顔色が驚愕変わり、テーブル席の誰かを物凄い形相で睨んだ。
(? 誰を見てる?)
男の視線の先を確認しようと目を流す。
「この野郎っ!!」
「うわ!!」
「きゃあ!」
(しまった!!)
視線を逸らした一瞬の隙で、カラトを捕らえられてしまった。
「がっ!!」
「動くな! こいつの命がどうなってもいいのか!」
上半身をカウンターに乗せられ、捩じられた自分の腕の上から膝で肺を押しつぶされている。
見事な体術だ。同時に、違和感を感じていたテーブル席から、荒々しい気配が立ち上がる。
(囲まれた……こいつら、仲間か……)
偽物とは気付かないほど精巧用意したはずだが、何か判別する手段でも持っていたのか。
人質を取られて、一対多数と圧倒的不利な状況に、歯軋りが起こる。
それでも動けるように、重心を微かに下に落として、軽く身を屈めた。
頭の中で警鐘が鳴り、動悸がはやるが、意図的に呼吸を深くして、冷静さを引き戻す。
(こい!!)