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無騒の半音  作者: あっこひゃん
主旋律
8/89

第8騒 とある訓練の日

 


 人間は適応する。

 どんな環境にあれ、人は慣れる。

 しかし、それは

 表面的な変化に終わることが殆どだ。


 根本的な変化。

 信念とか価値観とか、今まで生きる基本となっていた部分。

 それらは、環境が変わろうとも、簡単には変わらない。


 ――入隊した次の日から、生活が変わった。


 田舎から都会へ。家族単位から個人単位へ。単体から集団へ。

 何もかもが激変した。

 急激に変わった環境に適応するのは大変だ。

 特に時間感覚。

 時間で区切られた生活をしていなかったから、慣れるまでは本当に大変だった。  

 今でも完全に慣れたわけではない。

 ただ、日常に余裕が生まれたことを実感している。

 過ごしている毎日の中。

 仲間がいることや、寮での生活が自然に感じてはじめていた。


 でも俺は力説したい。

 新しい生活に対応出来ない部分は、あるのだ。

 誰にしも。



「カラト!お前は生物失格だ!!」

 初めはあんなに怖がっていた先輩の怒鳴り声。

 それが今では日常の一部になった。

 片頬に張り付く砂利の痛さにも馴染んだ。

 生物外にされてしまったから、理解出来なかったということで少し休憩しよう。

 などと思うほどには慣れた。

 土の上に体を横たえまま、息を吸い込む。

「誰が休めといった!カラト!!」

 名前を連呼される。

 何度も何度も。

 仕方が無いので、両手を地面につける。

「……屑が」

 軽蔑しきった青い目が通り過ぎ、アッシュブロンドを靡かせた。

 サミエルだ。

 初日に比べれば遥かにマシだが、いまだに突っかかって来る。

 ムカつく嫌味も慣れたが、たまに腹が立つ。

 俺は震えながら立ち上がり、よろめきながら走りだした。

「がんばれ、カラト」

「これで五周遅れだぞ」

 訓練初日から色々あった。

 一ヶ月経った今。

 新人の指導教官以下、同期全員に名前と顔を覚えられてしまった。

「あとちょっとよ、カラト」

 別の寮の女子にまで顔が利く。

 ……あんなに指導教官が連呼しているせいだ。

 でも今はそんなことを言ってる余裕は無い。 

(……足が、もつれる……)

 円状に配置された障害物を抜けながら、ひたすら走る訓練。

 慣れた様子でこなす、俺以外の全員。

 激励に励まされながら奮起するも、また転んだ。

「立て!カラト!」

 怒鳴り声が上がる。

 いや、もう、むり。

 今度は限界だ。

 起き上がろうとしても腕が震えて体が支えられない。

 視界が、黒と白で、楽しく混ざって回った。

(あっ)

 平衡感覚が狂って、体に力が入らない。

「全く」

 小さいため息が聞き取れた。

 本日の限界を見届け、指導担当が近づいて来たのだろう。

「自分の体重ぐらい自分で支えろ。生物失格」

 倒れている俺の襟首をつかみ、ひきずる。

 地面に足を擦られながら、訓練場を退場。

 普通なら首が締まるが、俺も指導教官も上達した。

 首が締まらない技術を習得したのだ。

 この一ヶ月で。

「全くお前は。いつになったら人並みの体力が付く?」

 訓練場の端の一角。

 いつもの定位置に放り投げられ、いつもの呆れた声が掛かる。

「……すい、ませ……」

 息も絶え絶えにいつもの謝罪を口にする。

 声を出せるだけでも成長した。 

 毎日倒れている成果だ。

「では、エフミト少尉、今日もよろしく頼む」

「はい」

 定位置になっている木陰の下で、俺は四肢を投げ出す。

 頭の真横で、治療室の天使、エフミト少尉が何かでささやかに風を送ってくれる。

 監視位置に戻るのであろう、指導教官の足音を聞く。

 砂利の音に混じって、葉の揺れる音が風に乗る。

「大丈夫。成長してるわよ。今日も記録を更新よ」

 冷たいタオルが額に置かれる。

 気持ち良い。

 潰れそうだった心臓が、少しづつ治まっていく。


 訓練を始めてから分かったことがある。

 俺は、他人と比べて著しく体力が無かった。

 昔から一日の大半を母親の看病と家事に費やしていた俺。

 同世代と遊ぶ機会が少なかった。

 だから気付かなかった。

 俺より年下で、俺よりも体の小さいリラよりも、俺は体力が無かった。

 成績で言うなら、女性陣の真ん中ぐらい。

 男性陣ではぶっちぎりの最下位。

 初日は衝撃的だった………。

 一ヶ月がたった今、ようやく準備運動はこなせるようになった。


「だんだん倒れる時間が遅くなってるし、回復も早くなってる。半年も経てば最後までついていけるようになると思うわ」 

 春の陽だまりのような、優しい声が俺を癒す。 

(エフミト少尉は優しいな)

 いつも穏やかな金髪碧眼の小柄な先輩は、年上ながらとても可愛い。

 目や鼻は小さいのだが、そこが可愛いと思っている。

 小さな手が、俺の前髪を分けて額に触れる。

(冷たくて気持ち良い……)

 おまけに柔らかい。

 難点を言うなら薬品臭いということだが、それは仕方ない。

 ほぼ毎日エフミト少尉に看病してもらえるのは、毎日倒れる俺の特権だ。

 悔しかったらぶっ倒れてみろ。と誰ともなく心の中で呟く。

「水を飲みましょう」

 差し出されるのは、コップではなく、水差しを小さくした物だ。

 体を起こしくれた上に、水差しを口元まで持ってきてくる。

 俺は口を開けるだけ。

 水が。舌を、喉を、体を、潤す。

 この体勢、この量。

 飲みやすくて大変ありがたい。

 本気で倒れると水が上手く飲めないのだ。

 滝のように流れた汗には足りない。

 体が要求するままに飲み続ける。

 遭難して発見された人はこんな感じだろうか?

 だとしたら。

 俺は毎日、遭難していることになる。

(………考えないようにしよう)

 まだ眩暈は治まらない。

 首に草の感覚。

 頭を地面に戻された。

 冷たいタオルが顔を覆う。 

「脈が正常になったら、訓練に戻りましょう。カラト三等兵」

「はい」

 返事を返した俺の頭を、「よくできました」とばかりに優しく撫でてくれる。

 癖になりそうな心地良さ。

 本当はこのまま倒れていたいが、頑張ってる姿をエフミト少尉に見て欲しい。

 俺は気合で毎日を乗り切るのだ。


 


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