第29.3騒 長い一日の昼過ぎ6。
取り扱い厳重注意の危険物を、寄りにもよって気の弱い幼馴染に奪わた。
思考が停止し、茫然となったのは一瞬。
直ぐに怒りに体を震わせると、後を追うべく立ち上がった。
「っぅ!!!!!!」
勢いよく踏み出した足から、雷に討たれたような直線的な痛みが脳天を貫く。
身体が前のめりに沈む。
余りの痛みに言葉が形を成さず。先ほどとは違う意味で身体が震える。
撫でるよりも軽く右足首を触る。触れて分かるほど腫れていた。
穿つような痛み。息を捻りだす荒い呼吸。熱を持つ痛みを必死でやり過ごす。
「あれだけもみくちゃにされたら、そりゃ、どっか捻るよな」
蹲ったリラの傍に、傭兵の男と女が近づいた。
鞄を渡してから奪われるまでの始終を観ていた二人は、負傷した少年を置いて立ち去ることはしなかった。
それが善意か偽善か、好奇心か義理なのかはリラには関係ない。
土の上で蹲る少年の横に、女が膝を付いた。
「大丈夫?」
脂汗が噴き出たリラの顔を覗き込む。
「捻挫だな」
「わかっとるわ! それぐらい!」
女の後ろに立つ男の言葉に、噛みつくように返答する。
叫んで痛みを紛らわせているのだろう。
痛みに涙目になっている少年の少しばかりの強がりに、女と男が笑う。
リラにとっては笑いごとではない。
思いっきり捻ったらしく、立ち上がるのも難儀するような痛みだ。
(あかん……こんなところに悠長にしとったら………)
今はまだ、先ほどの騒ぎがあってすぐなので、様子を見に来る人はいないが、しばらくすれば誰かが出てくる。
この界隈でリラを知らない人間はいない。当然、蹲った人物がリラだと分かった途端、すぐそこにある実家兼、工房に連絡が行き、母と姉達が出てくる。
(あかんあかん! 捕まったら外出禁止や! そしたらアドルド兄ちゃんが手配した人に伝言なんて無理や!!)
リラが帰ってくる公休日だからと、わざわざ休みをとるほどである。
怪我をしたと知れば、家に連れ帰って嬉々として看護することは確実だ。
足の捻挫に対して、ご飯まで手ずから食べさせようとする図が簡単に想像出来る。
それは不味いと。アドルドの仲間と連絡を付ける係を任されているリラは焦った。
リラは女の後ろに立つ男に顔を向けた。
「そこの兄ちゃん! 今すぐにうちを抱えて連れていって欲しいところがあるねん!」
焦った様子の少年とは対照的に、男は悠然と答えた。
「俺は傭兵だ。傭兵は、金を払わないと仕事は受けない」
「怪我したいたいけな子供の頼みを断るんかいな?! うちと兄ちゃんの仲やん!」
「なんとでもいえ。俺たちは鞄をお前に渡すまでが依頼だった。後のことは俺たちの責任じゃない」
感情に訴えるも正論で返されたリラは、恨めしそうに目を細めた。
女は呆れ、男はあくどい笑みを浮かべている。
リラは悔しさに歯ぎしりした。何に対しての悔しさか、本人にも分からないまま、叫んだ。
「いくらや!!」
本気で怒ったリラの声に驚いて逃げてしまったミランは、早々に後悔していた。
(やっちゃった……リラ、相当怒ってるだろうなぁ……)
リラから奪った形になった鞄を胸に抱きしめ、幼馴染の後々の反撃を想像し、半泣きになりながらも走る。
罪悪感からか、本人の慣れの問題か。無意識に細い裏道ばかりを選ぶ。
(リラが怒ってるからあそこに戻れないし……みんなはどっかにいっちゃったし)
自分と反対に逃げた仲間を、ミランはしっかりと見ていた。
どこかで合流するのかと思っていたものの、その気配は微塵も無い。
ミランは溜まり場に帰ろうと決めて、しかし直ぐに鞄の存在を思い出した。
(これを上の人に渡したら直ぐに帰ろう。うぅ……絶対にリラ、家で待ち伏せしてるだろうなぁ……今夜は家に帰れないよぉ……)
道先を決めかねて足が迷っていたせいだろう。
走って来た中年の男が、ミランにぶつかった。
「!! いたぁ!!」
「コラァ! よそ見してんじゃねぇ!!」
背が高いだけで全く筋肉の無いミランは、派手に転んだ。
それだけ男の勢いがついていたということでもある。
不自然に立ち止まってしまったのは事実なので、背中を地面から起こして、素直に謝った。
「すいません!」
ミランは慌てて落とした鞄を拾おうとしたが、それより先に男が鞄を拾った。
「気をつけろよ!!」
言うがはやいか、あっというまに走り去っていった男の背中を見送ったミランは、少し離れた位置にある鞄に気付いた。
「あんなところまで飛んでいたのか……いてて」
後ろに転んだと思ったが、勢いで口の中を切ったようだ。血の味がした。
ゆっくり立ち上がると、零れ落ちた拳銃が目に入る。
朝に入れてきたまま、すっかり忘れていたソレを、ミランは改めて服の中に仕舞いこんだ。
「うぅ……今日はついてないなぁ……」
だいぶん離れて落ちた鞄を拾い上げ、ミランはとぼとぼと道を歩いた。
「あほか! 一日の相場がこれやから時間で割るとこうやろ!」
棒に刺さった球を慣れた手つきで弾き、携帯計算機を男の眼下に突きつける。
男は計算機を少年から奪った。
「いくら時間が短くても相場の依頼料があるだろ! だから………こうだ!!」
リラは男から計算機を取り返した。
「子供おぶって連れていくだけで、どんだけぼったくる気や!? これで十分やろ!!」
「あほはお前だろ! 傭兵の値段、舐めるな!!」
「餓鬼の使いでぼったくる傭兵を舐めて何が悪いんや!!」
いつの間にか蹲ったリラに付き合うように、膝をついて携帯計算機を間に睨み合う二人を、女が呆れたように見ていた。
そこは見るからに薄暗い所だった。
昼でもなんとなく暗く感じてしまうのは、両隣の建物が高く、道幅が狭いせいだろう。
空が遠く、左右の壁に挟まれそうな圧迫感がある。
ミランは聞いたことのあるマフィアの溜まり場へ、恐る恐る足を運んだ。
とは言っても、実際に入れたのは入口も入口で、直ぐに強面で、怖そうな男が行く手を遮った。
これでマフィアの下っ端だというのだから、中にいる人はどれほど怖いのだろうか。
(帰りたいよぉ……)
なんと声を掛けるべきか。そもそも声を掛けるのも怖い顔だ。
行く手を遮った男も、何か言えば良いのに、全く喋ろうとしない。
どうしよう。と考えていたミランの肩に、誰かの手が乗った。
「ひぃぃ!!」
急に触れられて、驚きに飛びのくミラン。
自分の直ぐ真後ろにいた男に、更に驚いた。顔に傷があるのだ!
「餓鬼がこんなところで何してる?」
「あっ……あの……!」
男は一人だ。傷がなければ、入口に立っている男の方が怖いが、なぜか妙な緊張を感じた。
無意識に鞄を胸に抱いたミランに、傷のある男が目を向けた。
「お前、その鞄をどうした?」
「あっ……じ、実は……」
傷の男の視線の鋭さに怯え、つっかえながらも、ミランは教えられた男をみつけ、その男の鞄を男女二人組がすり替え、後を付けて仲間と奪ったことを伝えた。
「おまっ! ここまで来て値切ろうとかどういう神経だよ!」
「値切ってあらへん! 交渉しとるだけや!! ちょっと加勢してくれたら怪我せんかったかもとは思ってへんで!」
「言ってるじゃないか! あーいう時は入った方が大怪我になるんだよ!」
「せやけどずっと見てるだけやなんてケチすぎるやろ!」
「厚かましい餓鬼だな!」
ミランの説明を聞いた男は、全く当てにしていなかった子供の働きに、素直に驚いた。
男の仲間も、おそらく傭兵も軍も、誰も眼中に入れていなかったゆえの幸運だろうは思ったが。
「よくやったな」
親が褒めるのとは違う。見ず知らずの大人に褒められて、ミランは照れた。
「そうだな……お前。それもって店に行け、俺も行く」
「えっ?!」
ミランの、ほんのり赤味を帯びていた顔が、一気に青くなった。
(帰れないの!?)
愕然としているミランに構わず、傷のある男は、今からやってくるだろう、偽物の鞄を持つ相手を想像した。
本物と思って持ってきた先で、偽物と知ったらどうするのか。
偽物と知って持ってきた先で、本物があると知ったらどうするのか。
どちらにしても、絶好の口実だ。
「偽物をもってきたやつを囲んでしめてやる」
殺すのは許してやるか。と、男は呟いた。
その聞こえてきた言葉の余りの軽さに、ミランは総毛だった。
冗談よりも軽く、本当に軽く、当たり前のように口にしたのだ。
--世界が違うと、理解したのだ。
「あかん! おかんが来てまう! ……しゃーない! 色つけてこれでどうや!!」
リラは携帯計算機を男につきつけた。
膝を付き合わせていた男は、計算機の数字を確認すると、立てた親指で背中を差した。
「乗りな」
裏道で戦利品を確認しようとした所で、軍人に見つかり逃げていたケチな男は、後ろを振り返った。
「今日はやたら軍人が多いな……」
分かっていたことだったが、本当に多い。
何度も捕まったせいで、顔を覚えられているのが致命的だった。
だから辞めるという選択肢は、男の中に全くない。
男は何度も後ろを振り返る。逃げる男の体に、何かがぶつかった。
誰もいるとは思っていなかった道に人がいたせいで、男は勢いをつけたまま転んだ。
幸い、ぶつかった相手が吹っ飛んだことで、男への衝撃はさほどなかった。
「!! いたっ!!」
「コラァ! よそ見してんじゃねぇ!!」
男は転んで擦れた箇所に手を添え顔を顰めたものの、直ぐに立ち上がって目の前の鞄を拾った。
「気をつけろよ!!」
誰とぶつかったかなど、全く気にしていなかった。
声変わりもまだな子供とは分かったが、それよりも逃げることが先である。
「いつもは中身は気にしないんだが、さすがにこれで中身がしけてたら落ち込むぜ」
男は郊外に向かって走った。
――その手にある鞄が、すったモノとは別物であるなど、ついぞ気づかずに。