第23.65話 長い一日の、昼過ぎの裏の裏。
「………完全に見失った………だと?」
ギンブリーは報告に来た部下の顔を見た。
特別訓練で鍛えなおしたのに、なお撒かれた尾行や監視。
実力があれば納得もするが、盗み見た訓練では最下位の遥か後ろで倒れ込んでいた。力量云々以前の話で、部下を鍛える身としては来てほしくない人材。不安しか感じない能力値だった。
仮に実力を隠す為だったとしても悪い意味で目立ち過ぎている。演技にしても一年未満で切り捨てられる可能性のある演技など、得になることは一つもない。
(しかし二度撒かれた。なぜだ?)
実力と釣り合わない結果に、ギンブリーは疑問を抱く。
特に表情を変えたつもりはないのだが、ギンブリーを伺っていた部下の顔が、目に見えて引きつった。
二度の失敗で何か罰があると思っているのだろうか。
そのような心配は無用だ。
部下の実力を把握している上官は、部下のせいばかりではなく、何かがあると判断した。
しかし。戦々恐々としている彼らの方が、良い働きをするだろう。
あえて飴を与える必要はない。
「見つけるまで大通りを中心に人手を割け。店を見張っている二人に片時も目を離すなと伝えろ」
「はっ!」
ギンブリーが何も言わなかったことで更に身を固くした部下は、全力で伝令に走った。
日差しを遮る布よりも更に屋外に置かれたテーブルに、軍服の男が二人座っている。
丸いテーブルの上には十五㎝四方の紙製の連絡用魔法陣がおかれ、消え入りそうな光を放っていた。
二人は魔法陣から完全に光が消えたのを確認すると、紙を隠すように寄せ合っていた体を離し、椅子に身を預けた。
「大通りで監視続行か……」
小洒落た外装の店から、道に競り出すように置かれたテーブルの真横に、人が通り過ぎる。
内容を聞かれる心配はあったが、そもそも筋肉隆々の厳つい見た目の軍人二人の横を通り過ぎる人は少ない。更には店内の大半が女性客だからだろうか、不自然なほど遠巻きにされていた。
いつものことだと座っている二人。現在任務中。胸元の意匠は無い。歩兵部隊だ。
「大通りはここだ。このままここで飯を食いつつ、通りを監視した方が効率が良いと思う」
全員が早々に監視対象を見失い、そのまま検挙に走ったおかげで、関係者の大多数を早期に捕獲出来た。
そのまま見失った運び役の捜索という流れになったのだが、歩兵部隊の二人は闇雲に動くことなく、一番大きな通りにある店に入って腰を落ち着けた。
いつでも出れるように飲み物だけを頼み、不審人物を連絡しつつ通りを伺っていたのだが、ここに来て大通りに監視を集中させる命令が下った。
本格的に腰を落ち着けられる。
これ幸いと給仕を呼んだ男に、向かい合う男が呆れた声を上げた。
「腹へっただけだろ」
「朝が早かったんだ。俺は腹ペコだ」
傍に来た給仕に注文を頼む。「お前は?」と問われたので、男は肩を竦めた。
「そうだな。俺も腹ペコだ」
頼んだのは食べやすいサンドウィッチだ。
二人は大通りを監視しながら黙々と食べ始めた。
「意外と美味いな、これ」
「そうだろ。この前彼女と来たんだ」
煉瓦造りの建物の上を走っていた男は、視界の中に入った光景に思わず立ち止まると、下を見下ろした。
デートに最適な洒落たカフェで、異様に場違いな軍人二人が険悪な雰囲気をまき散らしていたのだ。
何をやってるのか。
明らかに彼らを中心に空白地帯が出来上がっていた。上からみるとよく分かる。
ここら一帯は見張っていると、味方にも敵にも意思表示を示しているのだろう。大通りの監視としては正解である。ちゃんと向かい合って死角も補っている。
こういう監視の仕方は情報部隊ではやらないが〝あり”だろう。
そう考えて、ここら辺りは下の歩兵に任せようと、男は止めた足を進めた。
――何をやっているのか。
ふと沸きあがった想いは自分にこそ向けたものだ。
失敗してなお期待され、それに応えられなかった。
忸怩たる思いに、奥歯を噛みしめる。
「やつは必ず俺が捕らえる!」
尾行監視の専門として訓練を受け、頭角を現し、それに誇りすら抱いていた男の矜持は、もやしのような一人の男によって粉砕された。
このまま許しておくべきか!!
鬼気迫る表情を持って、男は眼下を見下ろす。
それは執念だろうか、誇りだろうか。
男は、カラトとアドルドが大通りに姿を現したのを、視界に捕らえた。
「みつけたぞ!!」
即座に魔法陣で連絡を入れる。男は舌なめずりをした。
「ふふふ……もう逃がすものか!」
若干、目が血走っているが、内なる男の興奮とは裏腹に、動きはあくまで静かだった。
気配を消して、建物の上から並走する。先は噴水広場か。
三階建ての建物の上からだと、人の識別は性別と体型、髪の色が主になる。特に大通りは名前の通り一番大きな通りで、人も一番多い。
特に噴水広場に近づくにつれ、人が段違いに多くなる。
その中でも、背の高い黒髪の男は目立った。
私服なのだが、戦いを本業とする者が持つ、ちょっとした動き--警戒心や重心――が明らかに周りと差異を生み出している。反対に、中背中肉の運び人たる青年は、軍服なのに一般人に埋没していた。
普通、軍服を着ていたら一般人は怖がって近づかないはずだが、なぜか埋もれていた。
気を抜くと見失ってしまうものを、三度も失敗をしてなるかと、気合を入れる。
二人は噴水広場で離れてしまった。
「運び役が二手に分かれた。鞄を持っている元の方を監視続行する。一人は任せた」
名前と所属を告げてから、早口で伝える。
その短い連絡で、運び人の青年を見失いそうになってしまった男は、慌てて建物から身を乗り出し――即座に建物に引き戻った。
平たい煉瓦の屋根に身体を伏せ、動きを止める。
青年を伺うものが、男以外にもいた。
捕獲できなかった者か、新たに呼んだ者か。
「〝覗き屋”はともかく。まさか〝鷹の目”もいるとはな…」
舌打ちが漏れる。
それは裏の情報屋と、鼻の利く傭兵の二つ名だった。
非常に不本意だが、男にとっては顔馴染みである。様々な場所でよく顔を合わす二人だった。
相手も気づいたようだ。隠しもしない気配に、ゆっくり身を起こす。
一人は広場の露店に。
一人は噴水広場全部が見渡せる建物の上に。
男は噴水近くの建物の上に。
全く別々の場所にいる三人の視線が絡まった。
その三人の視線が絡まった中心点--の下。
まさか監視対象者が噴水に倒れてしまっていたなど。
睨み合った三人は想像すらしなかった。
気付かなかった原因の一つは、カラトが噴水に倒れる一瞬を見てしまった人が、笑いをこらえる為に体の向きを変え、身体を寄せ合ったこと。
足はちゃんと二本とも噴水の縁に残っており、笑い合う彼らが壁となり、噴水の中にいるカラトが見えなくなっていたのだ。
遠くから見ていた男の元には、ちょうど突風が吹き、紙が視界を遮った。
それでもきちんと見ていれば分かったのだから、一番の原因は、彼らが互いに気を取られ過ぎていたことに他ならない。
そんなことは露知らず。男達が牽制と威嚇を含んだ視線を外す頃。
カラトは濡れ鼠となり、申し訳なく思った母子によって家に誘われていた。
「誰だ?」
男の意識は母子の方へ向く。運び役の異変には気づかない。
汚れの目立ちにくい軍服は、水に濡れてもさほど色を変えず、元々まっすぐだった彼の髪は、水に濡れて容量が減ったぐらいにしか分からない。
真後ろを歩いていれば、もしかしたら滴る水滴に気付いたかも知れないが。
「監視を続行する」
男は気付かないまま、運び役と並走していった。
――その頃、アドルドの後を付けていた軍人は、子供達に不審な目を向けられ、遠慮なく指を指され、親に告げ口され、様子を見に来た大人達にひそひそと囁かれ、本気で泣きが入っていた。