第23.7話 長い一日の昼過ぎ2。
リラが合流にと指定したのは、裏路地にある、子供が集まる小さな店だった。
大人だとしゃがんで入るしかない入口には、小さな飴や一口ほどの大きさのパンや菓子が整然と並んで、それぞれのケースに収まっている。
色鮮やかそれらは、ほとんどが甘い菓子だ。そして、砂糖に群がる虫のように、子供がケースに群がっていた。
子供特有の甲高い声が絶え間なく耳、というより脳に響く。
話す内容は意味不明で、同じ言語とは思えない。
喧嘩をしているのかじゃれているのか。悲鳴なのか歓声なのか、とにかく五月蠅い。
姦しいながらも、警戒心は一人前にある子供たちに露骨に警戒されて、色々と気力の削がれたアドルドは、店に入ることを放棄した。
この場所を指定したそばかすの少年なら、苦も無く紛れるだろうが、アドルドには無理だった。
店の前に立っているだけでも不審人物扱いされる場所などそうは無い。
「あっ! リラ兄ちゃんだ!!」
『リラ兄ちゃん!!』
店にたむろっていた子供達が、途方に暮れたアドルドを通り越した後ろへと、手を振った。
「アドルド兄ちゃん、おまちどおさん!」
リラの声だ。これで不審人物扱いされないと、安堵の思いで振り返るアドルド。
後ろに体を向けると、店にたむろっていた子供が人海戦術でリラに襲い掛かっていた。
「わーー!! たんま!たんま! 今日は駄目やねん!」
『えーー!』『いやーーーー!!』
まだ子供と言って差し障りないリラの体格では、襲い掛かる子供を受け止めることが出来ず、尻もちをつく。
そこに別の子供らが上からのしかかり、蛙の如く潰された。
リラを下敷きにして、子供はみな笑顔だ。
容赦の無い子供の行動に、アドルドの口が引きつった。
「はよどかんか! どかなお菓子はやらへんで!!」
『はーーーい!!』
リラを埋め尽くしていた子供たちが、波のように一斉に身を引く。
立ち上がったリラは着崩れた服も直しながら、海を割るかのように子供を散らし、店から大袋に入った飴を取った。
リラの周りには期待に満ち満ちた目の子供たちが両手を差し出している。
リラは小さな手に一個ずつ飴を置いてやった。
「リラ兄ちゃん、ケチくさい!!」
「ケチー!」
「ぎょうさん食べると、虫歯になるけんあかんのや」
守銭奴なリラがお菓子を振る舞ったことに、アドルドは驚きを隠せない。
子供は一個しかくれないからケチだと言うが、普段のリラを知っていると今日は大盤振る舞いである。
文句を言いながらも、笑顔でお礼を言って、子供が飴を口に入れる。
一個とはいえ大きな飴だ。それまでのはしゃぎ声が嘘のように静まり返った。
「よし。アドルド兄ちゃん、今のうちや」
頭を打たないように、子供を蹴らないように、慎重に慎重に低い入り口を潜ったアドルドは、奥にもまだ陳列棚があり、そこにも子供がわんさかいることに戦慄した。
リラを見て、飴の袋を見て、子供たちは例外なく、きらきらとした目で両手を差し出してくる。
そのたびに飴を与えながら、リラとアドルドは店の最奥、年老いた店主が番頭にたつ更に奥の椅子へ座った。
奥は子供がおらず、不思議と静かだった。
声は聞こえるものの、遠くのような錯覚が起こるのは、入口が五月蠅すぎたせいだろうか。
「アドルド兄ちゃん、飲む?」
椅子のそばにある、氷の入ったバケツの中から、飲み物を取り出したリラが問う。
見るからに甘いジュースだったが、妙な疲れを感じていたアドルドは、普段なら絶対に飲まない、小さな紙製のジュースを受け取った。
「………あぁ………」
喉を通る冷たい感触が心地良い。
一口で飲み終わったジュースを別の椅子の上に置き、一息つく。
「そんで、中身はみたん?」
「………あぁ………」
アドルドは周りの耳を気にするように頭を動かし、その心配が一切ないことに気付いた。
それでも声量を低くして、端的に伝える。
「黒色火薬だった」
「それほんまかいな!?」
いつもなら耳に触るリラの大声も、先ほどの子供の喧噪に比べれば遥かにマシだった。
「あかんやろ、それは! カラト兄ちゃんに持たすもんやないで!!」
その通り。アドルドは深く頷いた。
黒色火薬が危ないのではない。いや、確かに取扱い厳重注意の持ち出し厳禁の重要機密だが、それよりも、それ以上に、黒色火薬をカラトに持たせるのが危ないのだ。
その認識は二人とも一致しており、リラは真剣な顔を見せた。
「どないするつもりなん?」
「誰にもバレずに荷物を取り換えて、軍の上層部に渡す」
「………誰にもバレずに? 軍の監視にも?」
「そうだ。カラトが泳がされているのは間違いない。それがどこの誰から、どういった話であるかは俺には分からない。だが、このまま黒色火薬をカラトに持たせたままなのは、とんでもなく不味い」
リラは重々しく頷いた。
「誰にもバレずに取り換えれば、囮としてのカラトもそのままだ。軍の監視も、誰からの監視か分からないからな」
「そうやな。今回の横領は軍内部やしな。軍の上層部……将校ぐらいなら大丈夫やと思うけど」
「そんな雲の上の人物と会うとは思えないが。それはその時に考えても良いことだろう」
「そうやな。まずはバレんように取り換えなあかんさかい、偽物をつくるんもバレんようにしなあかんな」
「その通りだ」
飲み終わった紙製の入れ物をいまだに口に加えていたリラは、容器の端を噛んだ。
頭の中ではこれからどうするか、段取りが渦巻いていた。
「まずはアドルド兄ちゃん、カラト兄ちゃんのもっとる荷物の重さは覚えとる?」
「あぁ………一本がこれぐらいの重さで、長さと太さはこれぐらい。それが四本だ」
大人の目線にある子供用の玩具から、見るからに殺傷能力が皆無な短剣を手に取った。
重さは丁度良いが、形が違うと、陳列された中から麩菓子を見つけて取り出す。
「包装紙は稲のような茶色。特別製のような感じがした。厚手で、衝撃を吸収するような」
短剣と麩菓子をリラに手渡し、説明する。
「鞄は、ほら、あれだ。ちょっと前に流行った、男用の手提げ鞄」
要領の得ない説明だが、流行りものだったと言えば「あぁ、あれな」とリラはすぐに分かったようだ。
「時間はどれぐらいあるん?」
「一時間三十分」
リラが低く唸った。
噴水広場で三時間後に落ち合う約束をした。それから時間は刻一刻と過ぎている。移動を考えると、それぐらいしか時間は無い。
今知った中身と、見た目だけとはいえ同じものを、監視にバレずに、手元に材料がない状態で一時間半後に用意しろなんて無茶ぶりにもほどがあると、アドルドも思う。
そんな無茶だからこそ、地元っ子で各店との繋がりがあるリラにしか出来ない。
「ちょっと考えるさかい、しばらく待ってや」
色素の薄い目を閉じ、集中する。
リラの頭の中では完成図が出来上がっていて、そのなかの重要な部分をどうすれば、より早く完成するのか。試行錯誤を繰り返す。
アドルドはリラの邪魔にならないように気配を薄め、自身も思考の波へ潜った。
沈んでいたのは数分ぐらいだ。すぐにリラとアドルドの方へ少年が小走りにやってきたので、アドルドは思考を中断した。
「リラ兄ちゃん、知らない人が表におるよ」
店に集まっている子供の中では年齢が高い。子供たちの兄貴分なのだろう。
「お? 見張りしてくれとったんかいな。ありがとうな」
リラが頭を撫でて褒めると、得意げな顔を見せた。
反対にあくどい顔を晒したのはリラだ。
「ここは子供の聖域やからな、知らん大人が近寄ったらすぐ分かるで。おまけに絶対入れへん」
「………………たしかに」
「このままここにおって困らせたるのも面白そうやけど、時間もあらへんしな」
子供を撫でる手とは反対の手で、歯型のついた紙をゴミ箱に放り投げて、リラが立ち上がった。
「ちょっとお使い頼まれてくれんへんか?」
「なに?」
褒められて機嫌が良いのか、乗り気の返事を返す少年。
「飴細工のおじさんがいつも持っとる鞄、覚えとるか? 皮のやつ」
「うん。覚えてる」
「それと同じもん、オールさんの店で買うてきてくれへんか? 物は後でうちが店に取りに行くわ」
「うん分かった!」
「お金は渡しとくさかい。お釣りで好きなもん買うてきぃや」
「わ~い!」
さっそくお金を手に入口へ駈けて行った子供を見送り、アドルドも立ち上がった。
「ほなアドルド兄ちゃん、中身は今からうちがここで作るさかい、アドルド兄ちゃんは入れ替える手筈を整えてきてや」
「わかった」
「一時間後に表の露店の肉屋に伝言係を送るさかい、よろしゅうに」
「一時間後だな」
言うが早いか、早速リラは店の中といわず、どう考えても従業員専用の所まで入り込んで物色をはじめた。
アドルドが店の低い入口を潜ると、外にいる子供達が揃って一角を指さしてくれた。
どうやらリラの友達だと認定されたおかげで、アドルドへの警戒心は無くなったようだ。
十人の小さな指が示す先は、いかにも人を待ってますという風貌の男が立っていたが、場所が悪すぎる。
子供しかいない一角で誰と待ち合わせるというのだろうか。
子供を狙う怪しい不審人物にしか見えない。
監視なら、このままここにいることはないだろう。肩身が狭すぎる。今ですら子供に指を指されて泣きが入っている様子だ。となると、アドルドにくっついてくるのだろうか。
(なら少し、慎重に行動するべきだな)