第23.6話 長い一日の昼過ぎ。
――同室の運んでいたブツが黒色火薬という超級の危険物だった。
(………だめだな)
なにが問題かというと、どこでもだれとでもぶつかる特技を持っている同室が、とんでもなく衝撃に弱い火薬の塊を持っていることである。
例えば、同室が何かに気を取られて振り向いたとき、鞄が何かにぶつかれば爆発。
鞄がぶつからなくとも、ぶつかった拍子に同室が転んで、鞄と共に地面に倒れれば爆発。
火薬の量を考えるに、一メートル以内だと確実に死亡。運が良くて生死を彷徨う重症。
運動神経そのものが悪いわけではないのに、なぜかやたら人にぶつかる同室に、それを持たせたままで平静が保てるわけがない。
今日、ここまでだれともぶつかることなく、こけることなく、歩いていたのが奇跡なのだ。
(これは早急にリラに応援を頼むしかないな)
アドルドは隣を見た。
もうとっくに店から出たというのに、何度も何度も口を動かし、喉を鳴らす同室を。
何も知らない平和そうな仕草が、アドルドに脱力感を与える。
そうか、そんなに美味かったか。
知り合いの料理を褒められて悪い気はしない。
美味かっただろうと得意げに言うと、身を乗り出してきて焦った。
目が見えるから辞めてくれ。あと、鞄はしっかり持て! 死ぬぞ!
「リラとの待ち合わせはどこだ?」
平静を装っていても、焦りが出ていたのだろう。
アドルドの急いでいる気配を察してか、大通りに出る手前で、後ろから声が掛かった。
(落ち着け、俺)
慣れた相手の声にさえ動揺してしまうようでは、監視の目は誤魔化せない。
大通りに出れば確実に監視の目が戻ってくる。
意識して歩く速度を落とし、後ろを振り返った。
「もしかしたら、合流出来ないかもとは言っていたな」
「そうか」
いつもと変わらない無表情で無口で無機質な声。
なのに、耳が寝て尻尾が垂れた。ような気がした。
(楽しみしてたんだな。そういえば三人で街に出たことはないな)
毎回、家に帰る約束をさせられているリラと、なんだかんだと傭兵仲間と飲んでいるアドルド、自主的に寮から出ないカラト。三人が揃って街に出る機会は無い。
厄介事に巻き込まれやすいカラトと、口うるさいリラと一緒に出掛けるのは抵抗があるが、今日を乗り切ったなら、三人で祝杯を上げるのも悪くない。
(よし。落ち着いてきたな)
焦る気持ちを自覚しつつ、やるべきことに集中し、感情を散らす。
大通りに出てしばらくすると、案の定、監視が付いた。
アドルドが感じるのは二人。どちらも軍人のようだ。
大通りに入って監視のついた時間を考える。早かったものの、大通りから出た直後ではない。
(見失って、主要な通りを担当を決めて張り込んでいた感じだな。となると、この通りに密集しているわけではないか)
通りの店を冷やかしながら、周囲の人間の確認と、目当ての物がないか見当をつけつつ、案を練っていたアドルドの横で、隣の人物が突然、片手で頭を叩いて、掻き毟って、呻いた。
「………大丈夫か? カラト」
「すまない。考え事をしていた」
前触れなくはじまった奇行に、恐るおそる声を掛けると、平坦な声が返ってきた。
行動と声が全く一致していない。
いつも通りといえばいつも通りだが、この奇行はアドルドの不安を煽った。
このまま分かれて良いものか心配になったが、このまま付き合い続けるのも難しい。
一人でも安全に待てる場所と言えば……
(噴水広場か)
馬車の乗り入れ禁止区域ゆえに、親子連れや、ついでに恋人も多い、平和な広場だ。
詩人や芸人もいるし、安い露店も出ている。そこかしこに座る場所があるし、大人しく時間を潰していてくれる場所に相応しい。
問題があるとすれば、街の中で一番人口密集度が高いことだろう。
人が多すぎて、隣の隣に待ち合わせ人がいるのに、しばらく気づかないことがざらにある。
アドルドは元傭兵だけあって、見つけ出すのは得意だ。
時間を潰すような場所は他にないし、金欠の同室がカフェで待つとは思えないので、ここが妥当だろう。
アドルドはさりげなく噴水広場に誘導した。
噴水広場につくと、カラトが不思議そうな雰囲気でアドルドを見上げた。
「休憩か?」
「いや、実は用事を思い出した」
アドルドは物凄く困ったような顔を〝作った”。
「悪いカラト、噴水広場で待っていてくれ」
「用事があったのか?」
「あぁ、すまない。野暮用を済ませてすぐに戻ってくる」
相手は素直に頷いた。が、不服そうだ。
不味いと思った。
単純なこいつは、用事がある俺と分かれて一人で酒場に行く可能性がある。
火薬を持って、一人で。
駄目だ駄目だ。それは駄目だ。お前だけじゃなくて、周りも甚大な被害を受けるから駄目だ。
「一人で酒場に行くなよ? 絶対に戻ってくるからな!」
肩を押さえて念を押すと、アドルドの勢いに驚いたのか、縦に首を何度も振った。
「わかった。アドルドを待つ」
「そうだな………三時間だ。それまでには必ず戻る」
「わかった」
――素直に頷いたはずなのに、アドルドの不安は消えなかった。
昼過ぎ直後の雑貨店は閑散としているものの、品物を出す時間でもある為、決して暇というわけではない。
「えっ? おらんの!?」
だから、リラが勝手知ったる他人の店といった具合で、従業員の入口から入り込んで、表の売り場まで行って上げた声は、大きかった。
「ごめんなさいね。あの子最近、夜遅くに帰ってきたりこなかったりして、昼はほとんどいないの」
疲れた表情で謝るのは、ミランの母親だ。
身長こそ低いものの、息子とよく似た華奢な体躯で、見た目の通り力仕事は得意ではない。
そんな母親を気遣って手伝っていたのがミランだ。
その彼がこの時間にいないとは、リアは思いもしなかった。
「………そっか………おらんのか……」
思っていた以上にミランの悩みは深いようだ。
リラが様子を伺ってそっとミランの母親を見上げると、小さく思考を零している。
「一人息子だからって甘やかしたのかしら?」「こういう時もあるってあの人は言うけれど、心配だわ」
今まで良い子で来ていたミランの反抗期に、母親は距離を掴みかねているようだ。
過保護だ過保護だと周りから囃し立てられるリラでさえ、偶に過保護に感じる時がある人物なので、ミランの気持ちは分からなくはないのだが、それにしても帰って来こない日があるとは。
これはリラの姉達も心配するわけだ。
(ミラン臆病やのに、えらい進歩やな……)
そこを褒めたら目の前の親が機嫌を損ねるのは分かっているので、リラは口を閉ざした。
そして用は済んだと片手を上げ、店舗の扉に向かった。
「ちょっと見てくるわ。もしかしらどこかで座りこんどるかもしれへんし」
「あぁそうね! おねがいね!」
店から離れるわけにはいかない夫婦では、探し回ることも出来ないのだろう。
アドルドのついでに探してみようと、リラは慣れた道を走った。
「ほんま。どないしたんやろ、あいつ」
自分のことで精いっぱいのリラは、まさか自分が原因だとは思いもしない。
「まずはアドルド兄ちゃんと合流やな」