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無騒の半音  作者: あっこひゃん
副旋律
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第23.4話 長い一日の朝。


「ちくしょう。見失いやがった…」


 裏通りに入った所を慌てて追いかけたものの、誰もいなかったかのような奇妙な静寂が漂うばかり。もちろん、人っ子ひとりいない。

 尾行してほんの数分だというのにだ。

 フィラットは盛大に舌打ちをした。


「アドルドが知恵を貸したか?」


 面倒見の良い世慣れたアドルドと、人懐っこく悪知恵が働くリラ。

 アドルドは実技で、リラは座学で、それぞれ士官学校生と比べても遜色無い能力がある。

 居るだけで足を引っ張るカラトは、アドルドとリラが同室でなければ、とっくの昔に軍を追い出されていただろうというのが大方の見方だ。

 

「くそっ!」

 

 苛立たしい気持ちのままに壁を蹴る。

 私服でも、靴は支給品の編み上げブーツだ。

 先端に鉄板が入った靴は、壁を蹴り上げても痛みはない。


「こんな時に限って兄貴とは連絡がとれねーし!」


 フィラットは何度も壁を蹴り上げた。塗装が一部剥がれ落ち、抉ったような跡が残る。

 思い通りにいかないことばかりが続き、抑えきれない怒りが、激しい呼吸と重なって広い肩を上下に動かす。

 その肩に、誰かの手が掛かった。分厚い手。男だ。


「誰だよ!!」


 苛立たし気に振り返る。

 まず、見慣れた軍服が目に移った。次に確認したのは、左胸の飾り。

 見慣れ無い鳥の意匠に眉を顰めながら、視線を上げた。

 その軍人に、フィラットは全く親近感が持てなかった。

 同じ軍人であるはずなのに、違うものを見ているような、知らない何かを見たような、気味悪い恐怖がフィラットを襲った。


「フィラット・ガリーニ三等兵。情報部の権限により、身柄を拘束する」



「もう~いや~あいつ死ねばよいのに~~」


 入隊一年未満の、気配も消せない青年。

 見くびっていたのは情報部以外の隊員で、彼らは数分で青年を見失い、しかし前もって言っていた命令に従って周囲の掃討に努めた。

 決して見くびっていなかった情報部でも、途中で見失うものが続出していた。

 一番初めに見失ったのは、アパルトマンに詰めていた二人だ。

 青年が初っ端から裏道に入ってしまい、見る角度が固定された望遠鏡が役立たずになってしまった。

 望遠鏡の欠点は初めから承知しているが、念入りに下準備を整え、早朝から四階のアパルトマンに詰め、今度こそはと息巻いていただけに、女の機嫌はひどく悪い。

 血の気の少なそうな白い顔を顰め、親指の爪を噛む。

 女と共に今回の作戦を組んでいた男は、標的が裏道に入るやいなや早々と諦めていた。


「例の店の前に固定したから交代で見張るぞ。一つは拡大して街の動きを見る。ほら愚図が、さっさとしろ」


 早々と運び人が必ず行く店に向けて望遠鏡を固定した男にとって、いまだに粘る女は理解不能だ。

 女にとっては見切りが早すぎる男こそ理解不能なのだが、二人がともに極端すぎるので、未来永劫、和解はないだろう。

 女は爪を噛んだまま射殺しそうな視線を男に向けた。

 男は鼻で笑った。整った顔なので、そんな表情も様になるが、女の爪は一層白さを増した。

 カーテンを引いた薄暗い部屋の中、男が動き、部屋の中央に置いてあるテーブルに向かう。

 四角い四人掛けのテーブルには、テーブルいっぱいに紙の魔法陣が置かれていた。

 丸い魔法陣の縁を指でなぞると、微かに魔法陣が光を帯びる。


「隊長こちら監視組。目標を見失いましたので、次の作戦に移ります。あと、スリが稼ぎ時とばかりに横行している模様です。対策をお願いします」



「なぁ、軍まで出てきてるぜ…」

「やべーよ」


 街のあちこちで捕り物劇が起こっている。

 なんとしても捕まりたくない裏の人間に、なんとしても捕まえたい軍人。前者は命に関わり、後者は臨時報酬がかかっている。当然のごとく被害は拡大していく。

 屋台の陳列品が壊れるのはましな方で、倒壊する店も中にはあった。

 人ごみに紛れようとし巻き込まれ、怪我をする人もいた。


「この中にいるのか?」

「じゃないか?」


 今後も安全な不良を行う為に、彼らは今日、役割を担っていた。

 中肉中背、前髪が長い、黒髪の十代の男。そいつを見つけ、そいつが持っている鞄を奪うことだ。


「て、適当にふりだけで良いんだ、よな?」


 相手が誰かも分からないのに、そんな相手から鞄を奪うなんてとんでもない。

 荒事と関わりたくない少年たちは、その男を探す〝ふり”をしようと決めていた。 

 しかし、本物の暴力に慣れていない少年達は、大通りから裏道にかけて起こっている騒ぎに身を竦ませ、固まったまま身動きを取れずにいた。

 鍛えられた筋肉で暴力を振うことに躊躇しない軍人は、少年達から見て、とても怖かった。

 それでも〝ふり”だけは続けようと思ったのは、治安維持の為の軍人でこの容赦の無さなのだから、きっと裏の世界ならもっと恐ろしい暴力が待っているのだろうと思ったからだ。

 少年たちは逞しい想像力を働かせ、顔色を悪くした。


「ふりだけでいいんだ。騒ぎが収まる頃に行った方がいいぜ」

「だよな。ぜってー今行くとやばい」


 散り散りに逃走した者を追って、軍人も数を減らす。

 よく見れば捕らえられた者たちが一か所に集まられていた。

 基本的に真面目な少年たちは、〝ふり”と言いながらも、似顔に描かれていた男の特徴を思い出しながら、一人一人の顔を見ていた。 

 固まって集まっている少年達の内、背の高い少年が、通りを行く軍人をみながら呟いた。


「………前髪のある軍人っているのかな?」

「………俺、見たことないかも」

「俺も知らないな」


 この街で生まれ育った少年達だ。軍人は身近で、それなりに話も聞く。

 とにかく規律に厳しいらしい。そんな環境で、髪を伸ばしている男は聞いたことも見たこともない。

 自分たちの相手が軍人ではないと思った少年たちは、露骨に肩の力を抜いた。

 

「軍人じゃないなら、少しは安心だな」

「じゃあ、もう少し人数分けて散らばるか。そっちの方が探してる感じがするし」


 十数人で固まっていた一団を、適当に分けていく。

 

「じゃあ、俺たちはこっちいく」

「俺たちはあっちだ」



「街の巡回隊を増員して、スリを取り締まるよう通知を出す。初動隊員はそのまま尾行の続行か捕縛を優先させろ」


 部下の報告を受けたギンブリーはペンを取り出した。

 すでに元帥印が押された、白紙の通知書に内容を書き込んでいく。


「これを歩兵部隊の街駐屯所にもっていけ」


 ものの数秒で書き上げ、まだ乾いていない書類を部下に手渡し、指示を飛ばす。 

 その時、丁度ギンブリーの目の前に五人ほどの少年達が走っていった。

 清潔そうな身なりの少年達だったので、スリの類ではないだろう。

 普通の親なら今日の騒ぎを受けて外出を止めるはずだが、刺激を好む年頃であれば、好奇心を刺激をされても可笑しくはない。

 もし悪さをするならば、現行犯で捕まえて少々お灸を据えればよいだけだ。

 

(こっちは本格的にお灸を据える必要があるがな) 


 軍内で恐れられる情報部隊が、まだ正規の訓練すらしていないただの一兵を、半数以下が見失っている。

 まだ一時間しか立っていないのに、だ。


(………まさか特殊技能を持っているのか?)


 そのまさかなのだが、本人が分かっていない能力を、特殊技能と言っていいものだろうか。

 しかし普通の、いや、普通以下の能力だと思っていたギンブリーにしてみれば、納得がいかない。

 様々な可能性を考えるも、どれも腑に落ちない。

 ギンブリーは、ふと、以前にサラスが言っていた〝天然”の言葉を思い出した。

 だが頭を振る。

 〝天然”で片付けられる範囲を超えている。

 今回は最終地点が分かっているので、見失っても問題ない。

 そのための要員をアパルトマンに配置している。

 

(しかし、こうも易々と情報部隊の尾行が撒かれていては沽券に関わるな)


 これは、一番尾行術に長けている者に期待するしかないだろう。

 前回の任務では失敗したが、二度は失敗するまい。


「もし失敗したら徹底的に鍛えなおすか。あいつらに笑われるのは辛抱ならん」



「…………馬鹿な………また、見失った………のか………」


 前回の失敗で、幽体離脱をおこしそうなほど上司から特訓を受けたというのに。

 今度こそはと意気込んで臨んだはずなのに。

 ”また”見失ってしまった。

 仮入隊員の、最下位成績の、半年前はただの農民だった青年を。

 情報部きっての尾行術を誇り、数々の任務をこなしてきた男が。

 一度ならず二度も、尾行に失敗した。


「…………………」

 

 呆然と、魂が抜けたかのように男は周りを見渡した。

 袋小路だ。正面に真新しい壁、右手は人の気配のする民家、左手は蔓で覆い隠されたような壁。

 しかも今回は二人だ。一人は大柄で、隠れるには不適切な体格の持ち主。

 男は真新しい壁を調べた。当たり前だが、壁だ。どこにも仕掛けは無い。

 続いて蔦で覆い隠されたような壁に手を付いた。やはり壁だった《・・・・・》。

 

「絶対、ここにいたのに……」


 正直に報告したとしても、見失っている以上、言い訳に取られるだろう。

 男は肩を落とした。 

 軍内で一番の尾行術を自負していた男だが、立て続けの任務失敗で自信を喪失してしまったようだ。

 胸飾りの鳥も、すっかりくすんでいるように感じる。

 項垂れて呟いた男の言葉には、欠片の力すら乗っていなかった。


「………また、絞られるのか………」



「よく働いたな、俺たち」

「ご飯が美味しいっす」

 

 横領の取引先の酒場からほど近いアパルトマンで、特務部隊の二人は遅い朝食を食べていた。

 半年近く不眠不休で働いていた二人が、ようやく取れた休憩である。


「ほとんど昼っすけど」

「言うな」


 パンと卵とベーコンと珈琲のありきたりな朝食だが、ゆっくり食べれる食事などいつ以来だろうかと感激さえしていた。

 何かあった時の為に待機はしているが、このアパルトマンに訪れることが出来るのは情報部隊長のギンブリー大佐のみ。

 このアパルトマンの存在は元帥でさえも知らないのだ。

 アパルトマンだけに関わらず、特殊部隊のすべては隠され、彼らが何者で何をしているのか知る者はいない。

 素性を知っている元帥さえも、彼らの行動は把握出来ないのだ。

 

「死の商人のルートは一つ潰したし」

「あちらさんも餌を用意していたみたいっすけど、今回はうちの勝利っす。重要ルートを一つ丸ごと潰したっすよ!」


 サラスは卵を喉に滑らせた。

 飲み込むように胃に収め、パンを咀嚼する。


「手間をかけたかいがあったっす。死の商人には逃げれたっすけど、良い気味っす」


 死の商人が餌として用意した以上の大物を釣り上げ、サラスの機嫌は良い。

 備品の横流し事件からはじまって、ようやく黒幕の一人に大打撃を与えられたのだ。

 ちまちまと小細工をしたかいがあったというもの。

 仕事で溜まったストレスの幾分かは和らいだと言った。


「死の商人が誰に頼まれたのかまで行けると良かったんだけどなー」


 機嫌の良いサラスとは反対に、小柄な人物の機嫌は悪いようだ。

 食事も進まない様子で、小さくパンをちぎっては時間を掛けて飲み込んでいた。 

 

「一体、何が目的だったんすかね?」



「今回は上手く運んだ」


 二十歳半ばあたりだろう思われる青年は、窓から街の中心部を望みながら、スコーンを齧った。

 貴族御用達ホテルのおすすめとだけあって、味・触感・香りとも抜群である。

 盆にはフォークとナイフもあるのだが、男は立ったまま手掴みだ。

 超高級ホテルの中にあって、眉を顰められそうな行儀の悪さだが、咎める者がいないからこそである。

 いたとしてもVIP用の客室にいる相手に、咎めることができる者などいないだろう。


「噂通り手ごわいようですね」


 欲を出さなくてよかったと、青年は自らの判断に満足していた。

 男の目的はただ一つだが、その一つを手にいれる為に、撒き餌が必要であった。

 ただし、本命を悟られないよう、撒き餌にも十分なものを用意しなくてはならない。

 その共同分配を、死の商人から提案されていたのだが、男はそれを断り、全て死の商人に任せた。

 儲けを丸々渡したと言っても良い。

 それを手伝っていれば、儲けは桁外れになっていただろうが、男はこの街の勢力図を変える為の方に重きを置いた。軍では横領と勢力図を結び付けるだろうが、横領は死の商人、勢力はこちらと、接点はほぼ無い。


「死の商人を辿っても、私には届かないでしょうし、問題はありません」


 聞くところによると、死の商人のルートが複数潰れたらしい。

 大きな拠点一つ潰れたというのだから、相当深くまで探られたのだろう。

 それでも死の商人が捕まったとか死んだという噂は聞かないので、大方上手く逃げたのは想像に難くない。その引き際が、死の商人の強みであることも、間違いない。

 

「本命が私の手元に届くまで、もうしばらくの辛抱ですね」


 

 

多少手直しするかもしれませんが、とりあえず上げてしまいます。

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