第7騒 はじめて踏まれた日の、点呼をとる時。
「ん?」
「どうした?リラ」
ドアに耳を当てたリラは、指を一本、口の前に持ってきた。
(あっ)
何か、廊下から声が聞こえてくる。
受付のお姉さんが言っていた放送だろうか?
扉越しではっきりと聞き取れない。
リラは何を聞いているのだろう?
――どうでも良いが。
今のリラの動作。
「黙れ」なのか「静かに」なのか「喋ると痛い目に合わす」なのか。
俺は未だに正しい答えを知らない。
取りあえず、喋らなければ問題無いと理解している。
「アドルド兄ちゃん。どない思う?」
「喧嘩だな」
言い切った。
ドアに耳を当てている訳でも無いのに。
俺は思わず隣にいるアドルドを見上げた。
「なんだ?カラト」
「………いや」
「俺だって、内容は聞こえないぞ?ただ、声の感じ、雰囲気からして間違いない」
言い切った。
(そんなものか?)
ここ数年、妹以外と喧嘩をしたことがない。
喧嘩と言っても。
妹が一方的に怒って泣いて拗ねて。
たまにぬいぐるみが飛んできて。
(口喧嘩にすらなってなかったな……)
それでもなぜか、最終的に俺が謝って慰めるのだ。
拳で語る喧嘩など経験したことがない。
噂だけは聞いている。
男と男にしかわからない、何かが生まれるという話は。
………………。
………………。
………みて、みたい。
すこしだけ。
ドアに張り付いているリラと、一緒に見ようと思った。
(………………)
体が前に進まない。
後ろから襟首を掴まれて、前に進まない。
「リラ、外に出るなよ」
「ちょーっと見るだけやっ……て……」
振り返ったリラが固まった。
拳を固く握ったアドルドが、笑顔で俺のこめかみを抉っている姿を見て。
あぁ……効く……。
「面倒になるから駄目だ」
「そやな。面倒はあかん」
素直にドアから離れたリラは、手を頭の上にあげて投降の意を示した。
――その時だった。
「黙れ!!」
(ひっ!!)
ドア越しの俺たちにまで届く大声量。
静まり返った廊下に、誰かの声が響く。
「誰が勝手に喧嘩なぞしてやがる!!軍内での乱闘は禁止だ!」
続いて、別の声。
こちらも負けず劣らずの大音量。
「見物してたやつも全員並べ!はやくしろ!!」
「おらっ!そこの顔だけ出してるやつも出て来い!!」
「ちっとは頭が使えてる奴はそのまま部屋で待機!」
「………………」
「………………」
有無を言わさない迫力の展開。
虫同士の喧嘩を、動物が踏んで片づけたかのような、圧倒的な力の差。
呆然としてしまった。
(見にいかなくてよかった)
隣を見ると、硬い顔のリラと目が合った。
無言で頷き合う。
二人で揃って振り返り、アドルドを拝んだ。
だから言っただろう。
目で語られた。
その通りです。
誰かの怒鳴り声が廊下に響く度、反射的に体が縮まる。
(俺が怒られてるわけじゃないのに……)
気にすると胃が痛くなりそうなので、ベッドに避難しよう。
騒ぎから背を向ける。
大きな何かが、壁にぶつかる音がした。
「うわっ!?」
部屋に振動が起きた。
ドアに耳を当てていたリラが咄嗟に離れる。
………………。
今、確実に。誰か、殴られた。
(怖っ!!)
あれから何度か同じような振動が起きた。
俺はベッドで横になって、軽い睡眠を取るしか出来なかった。
アドルドはベッドで本を読んでいた。
リラは………相変わらずドアにへばりついていた。
長いような短い騒動が終わる。
部屋にいた人も出てきて、全員が廊下に並んだ。
残念なことに男子寮なので、全員、男だ。
そうして全員を確認した誰かは腰の後ろに手を組んで、大きな声を張り上げた。
「明日は0700に起床、食堂でガイダンスの後、朝食。0800に各部屋を掃除後、0830に寮前に集合!以上!!」
誰かはそこで口を閉じた。
「貴様らぁ!返事はどうした!?」
「はい!」
(やっぱり怖っ!!)
ドア越しでも怖かったのに。
目の前に来られると更に怖い。
声の大きさと迫力、顔の凶悪さが相乗効果になっている。
「声が小さい!!」
「はい!!」
腹に力を入れて声を出す。
自分の声が耳に入る。
俺、頑張ってます!
「よし、解散!!………返事は!?」
『はいっ!!』
一日目。それぞれの第一印象。
アドルド→カラト:純朴そうな男。
リラ→カラト:とろそうな兄ちゃん。
アドルド→リラ:面倒臭い子供。
リラ→アドルド:味方にしていたい兄ちゃん。