第20.1騒 頭を使われた日の、拾った側。
ナディが監視と情報収集をはじめて三か月。
サミエルの罰則はその日の一回で終わったが、あの後、五日間寝込むという醜態を晒した。
ナディの方が圧倒的に期間が長い。とはいえ、それまでやっていたことの延長なので、一つを除いて苦は無い。
三か月の間に二回、新人寮でフィラットと兄のダヴィトの接触があった。
盗聴用の魔法陣を提案したが、毎日意味のない会話を聞くのは無駄だと返された。
フィラットの兄が訪問した可能性があると分かるだけで十分だったので、同室にそれとなく話を聞けばすぐに解決する。本当にたいして手間ではなかった。
一番ナディを困らせたのは、
--”彼”の監視だ。
(行動を把握しておけって言われたんだけど、彼の行動を把握するなんて無茶だよ)
何度か上官に訴えてみたものの、一向に伝わらない。
この無理難題を、どう説明すれば良いものか。
彼とは、話をする程度の間柄にはなったが、親しいとまではいっていない。
彼は本当に言葉少ないし、自由時間は部屋から出てこない。
そして常に誰か世話係が傍にいる。
彼が一人でいるというのは、公休日以外、あまりない。
もちろん公休日こそが本番と見張っていたわけだが。
公休日に彼は突然消える。
寮にいるのは間違いないが、どこにいるのか分からない。
何度か探してみたが、一向に見当たらず、けれどご飯だけはちゃんと毎食食べている。
一体どこに行っているのか……。
今もそう、補習がなくなったのに姿を見せない彼を探して、寮中を走り、ついに外にまで来てしまった。
ぐるりと一度寮を回るが、いない。
馬が繋がれている場所にもいない。
食堂に戻って食券を確認するが、まだ食べに来ていない。
ならばともう一度外に戻って、今度は茂みや木の上や、物陰を探した。
走り回った後の汗が、風に乾いて体を冷やす。
草や土の湿った感触。
昼もそれほど気温が上がらなかったせいだろう。昨日の雨が乾いていないのだ。
夕暮れの色を映した壁を眺めながら、何をしているんだかと、小さく自嘲する。
猫や犬でもあるまいし。
そうナディが思った矢先に「どうしよう」と感情の全く入っていない声が聞こえた。
彼の声だ。姿は見えないが。
(こっちからだ)
膝丈ほどある草をかき分けると、彼はいた。
常に閉まっている非常用の出入り口の角の、茂みの奥の物陰の隅。
本当に野生動物がいるかのような場所で、彼は仰向けで生き倒れていた。
(フィラットと接触したのかな?)
「どうするって、何かする気?」
問いかけ、覗き込むと、彼は分かりやすく肩を跳ね、驚く。
なぜナディがいるのかと不思議そうにしているので、適当に内容を丁稚上げる。
彼はどうやら空腹のようだった。
片手でしきりに腹を摩り、泣き出しそうな雰囲気を醸し出す。
まずはご飯を食べさせないと。空腹の彼とは話にならない。
本当は終了時間ぎりぎりに食堂に行くと、働いている人達の笑顔が怖いのだけど…。
仕方ないと諦めたが、彼と一緒に入ると「ゆっくりしっかり食べな」と歓待された。
あまりの態度の違いに、食事の味が分からなかった。別に分かっても不味いことに変わりはないから、それは幸いだったと思う。
彼を部屋に連れていくと、同室のリラとアドルドが居た。
彼らともそれなりに話をする。二人は優秀だから、仲良くして損は無い。
リラは体が出来上がってない年齢だから、実技では後れをとっているが、武器の扱いや審美眼、手入れは指導教官が舌を巻くほどで、やたらと算術と戦略の成績が良いらしい。
噂では、戦略の問題回答が軍の将官クラスまで回って「えげつない」と称賛されたらしい。
一体どんな回答をしたのか気になるから、いつか上官に頼んでみようと思う。
アドルドは傭兵経験が長いだけあり、実技は断トツだった。
士官学校生とは明らかに違う武器の使い方に、教わる点も多い。
あと彼は、世渡りが上手だという印象が強い。
彼自身が気さくで面倒見が良いのもあるが、誰に聞いても悪い印象を持たれていない。
その優秀な二人に陰日向と支えられて、彼が存在している。
彼は考えてることは分かりやすいのに、行動が意味不明で突拍子がない。
言葉や前振りがないまま、一気に動くからだろうか。思考や感性が独特だからだろうか。
何にせよ。監視がとにかく難しい。
フィラットと接触したのかと思って、一緒にご飯を食べて部屋まで行き、寝落ちするまで傍にいたが、一切話題には出ず、そんな素振りも見せなかった。
だから、そういったことはなかったと判断したのだ。
(おかしいな。接触するとしたら今のタイミングだったはずなのに)
まさかご飯を食べて忘れたなんて誰が思うのか。
気合を入れて仕込んでいたシチューの出来は最高だった。
舌で崩れるほど柔らかいお肉。何日も煮込んだデミグラスソース。
野菜は一度素揚げしてから盛り付けて。籠に盛ったバゲットは焼き立てだ。
「美味い! 姉ちゃん、これめちゃくちゃ美味いで!! おかわり!!」
可愛い可愛い末っ子の可愛い要求に、たっぷりとおかわりをよそう。
後にデザートがあると告げれば、猫のような可愛いらしい目が輝いた。
口いっぱいに頬張る姿は本当に可愛い。
噂通り、新人がいる寮のご飯は最悪らしい。
可愛い弟にそんな辛い思いをさせるなんて許しがたいが、それも訓練だと言われれば枕を濡らして耐えるしかない。
その分、家でご飯を食べると「うまいうまい」と絶賛するので、悪い気はしない。
(少し身長が伸びたんかな? 筋肉もついて、男らしゅうなったわ)
ご飯の量が以前とは比べ物にならないぐらい増えた。
女の子みたいに可愛いかった弟が、男らしくなってきたように感じる。
手放し難い可愛さゆえに全力で入隊に反対したが、今では良かったかもと、母とこっそり話し合った。
そんなことを弟に言うと、公休日には必ず家に帰ってくる約束が無くなるかも知れないので、あくまで家族の内緒話だ。
一心不乱に料理をかきこむ弟を眺めながら、食べ終えた後のお茶を楽しんでいると、下の妹が思い出したかのように弟に声を掛けた。
「ねぇ、リラ。ミランくんと最近会った?」
弟は食べていた手を止め、少し考え込んだ。首を横に振る。
「……あってへんなぁ……どないしたん姉ちゃん?」
「オールのおばさまがね、最近ミラン君の様子がおかしいって」
「反抗期ちゃうん?」
「そうだと思うけど、どうも柄の悪い所に出入りしてるみたいで、心配なんですって」
話を聞いていた母が、上の妹と話をはじめた。
「オールさんの息子さんやろ。最近あんまり家にも帰ってこーへんらしいわ」
「あそこも一人っ子の跡取りやけど、うちんとことは違って厳しかったさかいに。色々あったんちゃう?」
「そんなこと正直に言えるわけないやろ。せやけど心配は心配やさかいな……」
「最近、物騒やからな」
「柄の悪い人が増えた気がするんよね。 あんたも気をつけんとあかんよ」
話しているのは、母と上の妹。弟と下の妹。
私と父は無言でお茶を飲んでいる。
店でいる時はともかく、家の中での父の影は薄い。
「ミランくんと仲良かったでしょう? 話を聞いてあげて欲しいって。私も前に会ったけど、声を掛けたら逃げられちゃった」
「へぇ………ミランが。初耳やわ」
弟が出来た時点で、家を継ぐのは弟に決まったが、それまで長女である私が跡取りとして躾けられてきた。
跡取りが入隊してしまったので、万が一に備えて、今も父の補佐をしているが、そういえば最近見ていないと思い出す。
「てか姉ちゃんの言葉、気持ち悪いで」
「いややわ! この子! 人がせっかく友達見習って上品になろー思うて頑張ってしゃべってるのに!」
外見は男らしくなっても、中身はまだまだお子ちゃまだ。
わざわざ怒らすようなことを平気で言う。
平手で背中を叩かれて痛いだろう。可愛い弟でも、今のは弟が悪い。
家族が使う言葉遣いが嫌なのか、下の妹は美人の友達の話し方を真似ている。
元の話し方になると、早口で、巻き舌になるうえ、すぐに手が出る。
丁寧に話すことに気をつけている時は、それでいっぱいいっぱいなのだろう。
化けの皮を剥がされた妹は容赦が無い。怒りもあって、手荒く弟を叩きながら文句を垂れ流す。
癇癪に慣れてるとはいえ、さすがに何度も叩かれるのは嫌なのか弟が悲鳴を上げた。
「わかった! わかった!! ミランに会えばええんやろ!?」
「わかっとるならええんや!! ちゃんと話聞いてあげな!!」
さすがに鍛えているだけあり、妹の容赦無い攻撃にも顔を顰めただけで、そこまで痛がる様子はなかった。
(やっぱり男になってきとんやねー)
感慨深い。
しかしそうすると、可愛い弟はあと少しで可愛くなくなってしまう。
「リラ、おやつ食べへん?」
今の可愛らしさを存分に目に焼き付ける為、弟の好物を出した。
「うわっ! うわっ! うわっ!! 姉ちゃん女神!!」
公休日がずっと続けば良いのに……。
ブラン商会の眼鏡長女
冷静沈着で仕事がとても出来るキャリアウーマンタイプ。
末っ子に関しては母親とライバル関係。
入隊した末っ子に手放しで感謝される公休日の食事は母と交代制で、めきめきと料理の腕が上達。
試作を食べさせている、とある従業員が恋心を持つようになるが、全く気付かない鈍感娘。