第19.2騒 特別扱いされた日の後日
遅くなりましたが、六月分です。
「………はぁ」
金髪碧眼の目も覚めるような美女が、果実のような唇から吐息を吐く。
吐息に甘さがあるなら、極上に甘いだろうと思わせる、艶っぽい息。
垂れた眦に、物憂げな表情が良く似合う。
結い上げた髪から零れる後れ毛が、傾げる首筋に流れた。
もしここに男がいたなら、全身を投げ出し彼女の寵愛を求めただろう。
「また会えないかしら…」
アケル、と店で呼ばれる彼女の脳裏に浮かぶのは、先日出会った青年だ。
思い出すのは、艶のあるまっすぐな黒髪に、ひたすら優しく微笑んでいた口元。
前髪に隠れて目は見えなかったが、きっと優しい目をしているに違いない。
その彼に、手を握られ、息を吹きかけられた両手を無意識に摩る。
「また会いたいわ…」
恋した相手に献身的に尽くし、優しくされると簡単に騙されるアケル。
アケルの今までの歴代彼氏は、細身で優しそうな顔をした、頼りない優柔不断な男ばかりだ。
そんな彼女の習性というか、性格を知っている同僚は、隣で「またか」という顔を隠そうともしない。
アケルの歴代彼氏は評判が悪い。
よくそんなダメ男ばかり捕まえると思うぐらい、ダメ男ばかり捕まえる。
そんなアケルの目に叶った青年。
同僚は頭を振った。決めつけるのは良くない。
それにまだ、付き合ったわけではない。アケルがふられることは余りないが、いるにはいるのだ。
化粧を直しながら、恋に浮かれる同僚に、形ばかりの忠告を送る。
「お兄ちゃん、絶対稼ぎ少ないわよ」
「いいのよ、私が稼ぐから」
それをしたら、歴代彼氏と何も変わらないダメ男が出来上がると、なぜ気付かないのか。
口紅を塗りながら、アケルが惚れたと言い張る青年を思い出す。
確かに優しそうだし、あの場でのときめきは嘘ではない。だが、付き合うとなれば別だ。
「お兄ちゃん、きっと童貞よ」
『きゃーー!!!』
なぜか嬉しそうな悲鳴が、隣と、別の数か所から沸きあがった。
「純情そうだったものねー!」
「お兄ちゃん、可愛いかったわー!!」
「初心な反応もそそるわ!!」
「全部私が教えてあげるのよ!」
見た目は極上の美女ばかりだが、中身におっさんを抱えた彼女たちは、お店で相手をするなら面倒といって敬遠する相手を好意的に受け止め、さらに〝鉄壁のお兄ちゃん”を誘惑しようと計画している。
恐ろしいことに、そんな話が着替え場の至るところで交わされていた。
どこまで〝お兄ちゃん”を保てるか。
次に機会があるなら総力戦になるかもしれない。
先日酒場で出会った青年は、今、楽園で大人気だった。あだ名は〝お兄ちゃん”で定着した。
兄さんとか兄貴やお兄様、色々試した結果、どうやら『妹』はお兄ちゃんと呼んでいたらしいことが発覚したからだ。
ママまでお兄ちゃんと呼ぶのには従業員一同固まったが、たぶん、マスターへの仕込みだろう。
愚痴を零して日頃の鬱憤が晴れて、大事な妹扱いをしてくれた青年のお陰で、みんな顔は生き生きとしている。よい気分転換になったようで、あれから店の売り上げが上がった。ママも上機嫌だ。
「ママまで妹扱いとか、神よね、神」
「ここに来てくれないかしら?」
一時の夢を見せる女神達が、同じく一時の夢を見る為に青年を求める。
与え続けることに疲れるのは、女神ではなく人間だからだろうか。
昼の営業が終わって、片付けと仕込みをしようかという時に、一人の男が店に入って来た。
明らかに営業が終わった空気の店に挨拶も無く入り、入口近くの席に座る。
マスターは断りの口を開こうとして、しかしそれが顔馴染みだと気づいて、迷惑な視線を向けるだけにした。
大剣を腰の下げた男は、昼間だというのに項垂れて、カウンターに顔を伏せていた。
暗い。鬱陶しいぐらい暗い。
「その様子だと失敗か。セルゲイ」
重い影でも背負っているかのような姿に、声を掛ける。
声を掛けなければいつまでも居続けるような気がしたのだ。
セルゲイはカウンターに顎を置き、顔だけを上げた。
早く追い出したいマスターの無言の視線を無視して、愚痴を漏らす。
「失敗も失敗さ。まさか俺が尾行を失敗するなんて………」
小さく萎む声に、セルゲイの自信が折れているのを、マスターは感じた。
同時に、小さく目を開き、驚きを表す。
「お前の尾行を破るなんて、相当優秀だな」
基本、傭兵は団体で依頼主を渡り歩く。
毎度毎度変わる依頼主を見極めるのも、大事な仕事だ。
その中で斥候の役割を担う者は、とても重要なのだ。
大事な判断や決定には、必ず斥候の情報が含まれる。
どんよりとした暗雲を醸し出す男は、全てをそつなくこなす、いわゆる器用貧乏だが、斥候の腕は特に良い。何が得意というわけではないが、全てこなせるので、不測の事態が起こりやすい斥候には最適なのだ。
マスターもセルゲイの腕を認めている。
年を重ねて、効率良く、狡猾になっている印象すらある。
「………優秀………か………」
空気が、淀んだ。
「ふふ……ふふふふ………」
体が小さく小刻みに揺れる。
「まさかあれが噂の同室君だったなんて………ふふふ」
笑っているのに目が笑っていない。
マスターはセイゲイの様子を見て、おもむろに野菜を切り始めた。
しばらく放っておこうと思ったのだ。
「行動が読めない……確かに……ふふ、アレを読めとか……ふざけるな」
水すら出していないのに、まるで酔っ払いのようだ。
しばらくぶつぶつと小言を言い募る男を横に、野菜を切り終わったマスターは、出た屑を寸胴鍋に放り込み、火を熾した。
次は果物だ。マスターの美学が詰まった果物盛りは、切り方、飾り方にこだわり抜いた一皿で、女性に大好評だ。ちなみに、財布係りの男の為に、高級な果物を使用している。
見た目はもちろん、食べやすいよう、皮を剥いだり、房の筋をとったり、細々した作業を黙々と行う。
「結局、何をしていたんだ?」
小言が聞こえなくなってしばらく。切りが良いと判断したのだろう。
作業から顔も上げずに問いかけた。
「この街に来た新しい勢力がいるだろ? そいつは元々、第一公国で頭良く荒稼ぎしててな。結構な被害が出てんだ。そのまま第一公国で勢力を伸ばすと思ったところで、なんでか第二公国に鞍替え。しかも軍だ。何が目的か分かれば、相当な金になると思わねーか?」
「なるほど」
マスターはセルゲイの話に頷いた。
「また貧乏くじを引いたのか」
「……………………」
話の内容は大筋合っているだろうが、決定的に大事なものが含まれていない。
傭兵は、依頼を受けて動くのだ。
それが誰かはマスターには分からないし、本当の依頼が何かも分からない。が、分かることはある。
それは、断れない筋から頼まれた、厄介で大変な仕事だろうということだ。
この男を知るだれもがそう思うだろう。本当にこの男は、よく貧乏くじを引く。
「………ほどほどにしておけよ」
「分かってる」
「貧乏くじ引きが」
「…………………」
返事がないということは、そういうことだろう。
憮然とした表情で、セルゲイはようやくカウンターから顔を上げた。
「マスター。酒だ」
大人には色々あるのだ。
「はっくしょん!」
「旦那様?」
「すまないね。あー……ところで何の話だったかな」
くしゃみと一緒に思考も吹き飛んでしまった。
今まで話していたことがなぜ一瞬で忘れてしまうのかと、苦笑をしながら隣を見れば、自分よりは若いが、世間的には働き盛りを過ぎた男が、同意するように笑った。
「いえ、私も覚えがありますよ。話ですが、この荷物は店の方で売りますか? 流しますか?」
仕入れたばかりの木箱を指さして問えば、旦那と言われた男は束の間考え込んだ。
時間にして数秒。
「流そう」
「わかりました」
その瞬きのような時間に、何をどこまで考えているのか、付き従う男には分からない。
男は木箱を持ち上げて、端にある荷物の山へと運んだ。
残った男は小さな荷車に荷物を積み上げていく。
「よいしょ。と、こうして真面目に働くのが一番良いが、さすがに年を感じ始めてきたなぁ」
ほどほどに荷物を乗せた荷車の、突き出た左右の木の棒を握って、引く。
倉庫内だけの移動なので木製の安っぽい荷車だが、大切な商品を扱う為に、安定の悪い一輪ではなく二輪にしている。
荷車を引いて、先ほど男が運んだ木箱と同じ山へと近づく。
「旦那様、今回は多いですね」
倉庫の端に積まれた荷物の山を見やり、男が言った。
一般的な馬車の二台分は軽くあるだろう。
「私は軍を過小評価しないよ。あの若造の件が片付くまで、流す方向にしよう。店に出して何かあれば面倒事になるが、流せば幾らでも言いようはある」
「顧客の方は?」
「忙しくて手が回らないと言っておくよ」
助手役の男は、旦那様に出資してもらった店を持っている。従業員も雇い、そこそこ大きい。
仕事は主に軍への卸しだ。
真面目で堅実であれとの教えを忠実に守っているので、経営は健全で安定している。
旦那様に頼まれて、荷物の工作や軍人への言付けはするが、それに対して金銭は発生していないし、男の利益も無い為、帳簿は清く白い。
反対に、旦那様個人が経営する店は真っ黒だ。
いまさら少々の黒さを足したところで、何も変わらないほど黒い。
「旦那様。これを顧客の方へ持っていく方が儲かりますし、仕事をしたということで株も上がりますよ? 本当によろしいのですか?」
不正に仕入れたものを全て闇市場へ流すという旦那様の言葉に、男が確認を取る。
否を唱えたわけではない。なにせ男は手伝っているだけで、利益なんて出てないし、旦那様から仕入れをしているわけでもない。
ただ単純に、旦那様の心配をしただけだ。
闇市場へ回すより、個人へ回した方が利益が高い。
普通はその、回す先がないものだが、旦那様は違う。
広い人脈が揃っているので、回す先に困ることはない。
「わざわざ利益が薄くなる闇市場へ回すのが不思議かい?」
「はい」
二人は出資者と経営者である以前に、師匠と弟子の間柄でもある。
それぞれに店を持ちながらも、二人の師弟関係は今でも続いていた。
「君はこちら側に馴染みがないから教えて上げよう。裏で軍を相手にする場合に、気を付けなければならない相手がいる。誰だと思う?」
「元帥ですか?」
「元帥はもちろんだが、裏の人間が恐れているのは特務部隊だ」
「特務部隊ですか?」
男は仕事柄、軍には詳しいが、そんな名前の部隊は聞いたことがなかった。
「特務の連中は裏の世界に精通している。今回の横領に私が関わっていることもお見通しだ。万が一、荷物の中に何か仕込まれていると、顧客は愚か、私が使っている運行経路《売買ルート》もばれてしまう可能性がある。情報は金より大事だ。その情報を守るために、利益は薄くなるが、大事をとるんだ」
「では、こちらの品は?」
と、言いながら、包装されている小さな薬をポケットから覗かせた。
闇市場へ流す荷物の中から、言いつけられて取り出しておいた品物だ。
男は軍への卸しをしているだけあり、それが何の薬なのか、見当が付いていた。
「納品するよ」
人の好さそうな顔を見せて、男は言った。
「この薬の相手は切ると?」
「相手がどうしても欲しいと言っているから仕方ない」
商売の基本は明言しないことである。
だが、特務部隊を警戒して顧客にあえて商品を流していない中で流すのだ。
この薬を流して特務が相手を特定したなら、それはそれで良いのだろう。
特定されたことだけでも確認が出来れば、元が取れると考えているのか。
検品済みと判子が押された薬を旦那様に手渡しながら、男は旦那様に切られた相手に同情した。
「この薬を納品したら、私はしばらく休養を取る。今回は欲張ると痛い目をみそうだ。正直、ここまでで荒稼ぎしてるから、これ以上はさすがに儲け過ぎというものだよ。それにしても久しぶりの休みだ」
「旦那様は働き者ですから」
「働かないと落ち着かない貧乏性だからね」
「ご冗談を」
〝漆黒の仲介人”と呼ばれる死の商人は、それはそれは真面目に働く堅実な商売人なのだ。
――ただ、誠実ではないだけで。