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無騒の半音  作者: あっこひゃん
副旋律
62/89

第18.3騒 訓練を休んだ日の夜

 深緑の季節とはいえ、夜になると肌寒い。昼との温度差で余計にそう感じるのだろう。

 サミエルは森の浅い所で身を潜め、寒さに震えていた。

 海に近いので、吹き抜ける風は潮の匂いと共に海面の冷たさを容赦なく届けてくる。

 訓練で火照った体に心地よく感じる風が、今に限っては拷問のようだ。

 細かく震える体を座って小さく丸め、薄手の上着の襟元を握りしめる。

 顔は蒼白を通り越して、死人のようである。

 新人寮と施設を隔てる土手が一望できる、対面の森に潜んで三時間ほどだろうか。

 月はまだ登っている。落ちる手前ではあるが、まだ頭上を越えてはいない。

 

(………失敗した)


 木々と草の隙間に隠れるサミエルに、小さな羽虫が近づいてくる。

 耳障りな羽音に嫌悪の表情を浮かべるも、歯の根が噛み合わず、震える体を動かす気力は無い。

 虫も、首元を隠し、指先まで露出を無くした彼に思うところがあるのか、頭の上を何回か回旋していなくなった。

 サミエルは、昼間の訓練を基準に服を決めた無知な己を、激しく後悔する。

 動かなければ、涼しさはすぐに寒さに変わるのだ。


(畜生……寒い……やばぃ、眠気が………)


 体全体が震えているのに、なぜだか眠気が襲ってきた。

 意識が薄れる前に思い出したのは、今日一日のことだった。




 朝の賑わう食堂で、ナディとサミエルが硬いパンと薄いスープと小さなチーズを食べていると、傍に座ったグループの話が耳に飛び込んできた。

 内緒話ではない普通の会話だが、賑わう食堂では自然と声が大きくなる。

 黙々と食事をしていた二人には、意識せずとも聞こえてくる。

 内容は、今日の訓練の欠席者。

 体調不良とのことだが、風邪や腹痛で休むことはよくある。

 誰が休もうと興味のなかった二人だが、名前を聞いたとき、思わず話に割り込んで確認を取ってしまった。

 その話を偶然聞いた周りの人間が話すのを、更に別の人間が聞いてと、その話は瞬く間に広がった。

 休んだ人物が有名人だったからだろう。


「馬鹿でも風邪を引くのか」

「………何かあったのかな………」


 ナディの前の席で食事をとっていたサミエルが毒づいた。

 ナディは途中で見失った彼が、あの後で何かあったのではないかと心配した。


 その時は誰も予想していなかった。

 気遣わなければうっかり死んでしまいそうな一人が休んだことによって、訓練がどうなるかを……。


「もっと走れ!! ちんたらするな!!」

「そこ! 倒れたふりをして休むな!!」

「だめだだめだ! 腕立て伏せ50回!!」

「遅い! 腕立て伏せ50回!!」


 訓練は過酷だった。初めから最後まで容赦のない訓練内容だった。

 加えて、指導教官全員の機嫌が悪く、罰則の基準がいつもより遥かに厳しかった。

 脱落者が続出し、その脱落者に更に機嫌を悪くした教官達が罰則を強めるという負の連鎖が起こった。

 常々、訓練が温いとぼやいていたサミエルも、余力がなくなるぐらいしごかれた。

 今までの訓練がどれほど甘いものだったのか。

 まさかたった一人の欠席で、ここまで訓練内容が変わるとは。

 明日には元気に、いや、多少体調が悪くても這ってでも出てきてもらう。むしろ引きずり出す。

 周囲がそう心に決めた。サミエルもナディも異論はない。 

 サミエルは気合で涼しい顔を張り付け、極限まで疲れた体を根性で動かし、座学の為に机に座る。

 体全体が沼の中を動いているかのように重くて動かしづらい。

 いつもより時間を掛けて教本を開く。そこには、罠と計略の女神リリティアが降臨していた。

 

『1930時』


 時間だけが書かれた小さな紙切れが、今日の授業ページに挟まっている。

 しおり変わりに自分が挟んだのかと疑ってみるが、筆跡が違う。

 少しの間考えて、サミエルは左側の二列後ろにいる、ナディの様子を伺った。

 教本を開いて固まっていたナディは、サミエルの視線に気づき、そこはかとなく青い顔で頷いた。

 どうやらナディの方にもあったらしい。

 紙切れをよくよく見ると、隅の方にサインのようなマークのような、絵のような文字のような、よくわからない印があった。

 差出人が分からず、もう一度ナディを見た。

 ナディは口だけを動かしていたが、サミエルが首を傾げると、教本を指さした後、指先を下に向けた。


(!!!!)


 理解したと同時に、近くにあった眠気が遥か彼方へすっ飛んで行く。

 サミエルが目を見開き体を硬直させたことで、理解に至ったと判ったナディは、今度は間違いなく青い顔で重々しく頷いた。

 サミエルは片手で顔を覆った。

 直後に座学がはじまる。 

 サミエルとナディは、居眠りが続出する中、一度も寝ることなく、指導教官の株を上げた。特にサミエルは、さすが主席入学と、おだてではない賛辞を受けた。

 だが伝言に戦々恐々としていたサミエルは、いっそのこと眠りたかった。

 起きているだけで一向に頭に入ってこない話を聞きながら、内心、悶々と焦れていた。



  

「なぜ呼び出されたか、理解はしているか?」


「「はい」」


 二人揃って呼び出されたのは、埃っぽい、相変わらず人の気配の無い、新人寮の図書館だった。

 いつもの声だけとは違い、二人の前に姿を見せている。

 入学前に姿を見たきりだった二人は、情報部隊の隊長を前に、極度に緊張していた。

 指導教官達も逆らい難い高圧的な雰囲気を持っているが、目の前の男の威圧感は半端ない。

 白髪混じりの髪や顔の皺から、現場引退も視野に入る年だろうに、醸し出される空気は圧力があるかと思えるほど重い。

 どうやってここ(新人寮)に侵入したのか、いつの間に二人の席を特定して教本に伝言を仕込んでいたのか、なぜ今日の授業箇所を知っていたのかなど、突っ込みたいことは山ほどあるが、とても聞ける雰囲気ではない。

 そもそも、元特務部隊所属の、現情報部隊隊長の男に聞いて、どうするというのか。

 それよりも、今は目の前の人物がなぜ自分たちに会いにきたのかだ。


 実はそれについても心当たりはあった。

 昨日、独断で、事件に関係のある同僚の後を追いかけたことだろう。


「結論を言う。お前たちの追跡は初めからばれていた。ただ、そこに我々が接触するのは不可能だった。そこはわかるな?」

「「はい」」


 尾行をしている者に、容易に接触してはならない。

 それは教本にも書いてある基本だ。サミエルとナディに、ギンブリーが接触すれば、二人の立ち位置がばれてしまう。元々、サミエルもナディも、誰かに言われれば、同僚の様子が変だったのでこっそり様子を見に来たと言い訳をするつもりだったのだ。

 二人は気づかない。

 ギンブリーは事前に情報を与えたまま、二人の行動に制限をつけなかった。『命令』すれば必ず従ったはずなのに、それをしなかった。そして、当日の尾行についても、〝初めからばれていた”のに、彼は見逃した。ギンブリーなら、事前に接触することは可能だったにも関わらず。

 その言葉の含みに、二人は気づかない。


「内密で行うならそれなりの腕になってからしろ。特に服装だ。尾行の基本は、相手にも周囲も気づかれないことだ。街の人間に注目され、記憶されたのでは話にならない」

「「………………」」


 二人は貴族で、士官学校卒業のエリートで、俗にいう世間知らずのお坊ちゃんである。

 何が目立つのか、いまいち理解していない。

 貴族にとっての簡素な服装が、市井の服とは生地も形も仕立ても全く違うことに気づいていない。

 顔立ちの似た双子のような二人が並んで歩くだけでも目を引くのに、二人とも容姿が整っている。特に片方は中性的な美貌で、通行人が思わず振り返って確かめるぐらいの美人だ。たとえ服装を完璧にしても目立たないわけがない。

 ギンブリーは二人の様子から、そういった諸々の要素に気づいていないことを確認し、次の質問に移った。


「お前たち、同業者に気づいたか?」

「同業者ですか?」


 二対の青い目が、考えるように瞬いた。


「分からないなら知る必要はない」

 

 周りを見る余裕があれば、自分たちがどれほど注目されているのか気づくはずなので、気づかなかったのは道理だろう。教える必要も無い。

 ギンブリーもわざと曖昧な言葉を使った。

 同業者とは、軍人のことでは無い。


 昨日の一件。関与したのは、軍と軍が追う相手だけだが、この街のほぼすべての裏家業が出揃っていた。


 明らかに使いっぱしりの新人軍人と、新人軍人を身代わりにした軍人。それを見張っていた下っ端軍人を追って、元締めを暴きたい軍側と、どこまで軍が気づいているかを知りたい元締め側。さらに元締めの足を引っ張り、出し抜きたい敵対組織、及び内部の分派に、裏の情勢を読みとりたい傭兵などなど。それぞれの思惑と利益が絡んで、昨日の追跡者は実に豪勢だったのだ。

 なのに、明らかに使いっぱしりの、全員から脇役に認定されていただろう新人軍人が、そのすべてを振り切り、裏家業全員の膝をつかせた。情報部隊も同じだ。特務部隊だけが唯一、追跡ではなく、待ち伏せという手段で成功している。

 

 結果だけみれば、四人とも良く出来た囮だった――一人はやりすぎだが――褒めても罰は当たらないが、囮に利用したのは内密なので、尾行の甘さを叱るしか出来ない。

 そもそも将来的に情報部隊に入る二人なので、ここで甘やかすという選択は元から無い。

 優秀過ぎて困ることは無いのだから。

 ギンブリーは無表情の下で、自分に言い聞かせた。

 そして、独断で行った追跡の罰として、二人に仕事を押し付けた。


「ナディは寮内での情報収集、および監視を。サミエルには、夜間の寮周辺の監視をしてもらう」

「監視、ですか?」

「そうだ」


 新しい任務に、二人の背が自然に伸びる。

 

「昨日の一件はフィラット・ガリーニ三等兵が、カラト・カート三等兵に依頼をしたと判明した。そのフィラット・ガリーニも、兄のダヴィト・ガリーニ一等兵からの依頼だったようだ。そして、今日、こちらで目星をつけていた軍側の主犯格が、相手と接触をした可能性がある。昨日、このフィラット・ガリーニは現場にいたが、兄のダヴィト・ガリーニはいなかった。情報を得る為に、フィラット・ガリーニに何らかの接触があるはずだ。その監視をしろ」


「「はっ!!」」

「あくまで監視だ。接触するな。見つかるような真似もするな」

「「はい!!」」


 昨日、全員が荷物の行方を見失っている。

 現場にいなかった兄が何があったのかを知ろうとするなら、現場にいた弟に聞くしかない。

 しかし新人寮自体が軍施設の端にあるうえ、完全に外部から遮断された環境で、他の軍人の立ち入りを禁止している。白昼堂々と現れることは出来ない。夜中の密会を疑うのは当たり前だろう。


「わかっていると思うが、寮の指導教官にばれるなどするな」

「「はっ!!」」


 勢いで返礼をしたものの、ナディは弟に同情の念を抱いた。

 当然ながら、公休日以外の夜間の外出は禁止されている。指導教官に見つかれば謹慎は確実だ。

 サミエルは、昼は訓練、夜は監視と、ほとんど睡眠が取れない生活の上、見つかれば罰則の、厳しい任務に挑むことになった。



 葉を踏む、小さな音が耳に届いた。

 まさに今、閉じられようとしていた瞼が、閉まる直前で留まる。

 


 弟の体調を本気で心配をしていたナディだが、フィラットの兄は、命令された晩に現れた。

 もちろんギンブリーも、今日か明日には必ず現れると予想しての指令だ。

 訓練に差し支えるような真似はすべきではない。

 ナディとサミエルを既に囲っているのがばれて困るのは、ギンブリーも同じなので、そのあたりは考慮していた。



 灯りを避けるように、上の食堂の裏手から土手へと降りてくる誰かがいる。

 誰かは土手の下の、新人専用の馬舎へ身を一旦隠し、森の中に入った。

 森の浅い所を静かに移動し、寮へ近づく。

 かじかんだ体はなかなか動かず、意識も半分なかったが、それが良かったのか。

 目標の相手はこちらに全く気づかず、寮へと近づいた。

 裏口から入ると思っていたが、二階の窓から縄が降ろされ、それを使って寮へと侵入する。     

 体格の良い男が寮へ入ったのを確認すると、サミエルは言われた通り、通信魔法が描かれた紙を起動させた。




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