第13.4騒 荷物を運ぶ日の暗躍者
ギンブリーは片膝をついて、倒れている青年を覗き込んだ。
片手で捻りつぶせそうな細さの、無防に晒れている喉元へ指を添える。
脈はある。当たり前だ。
禿た男があまりにも喚くものだから、確認しただけだ。
「医者がいるっすね~」
喚いていたと思ったら、もう落ち着きを取り戻したサラスに、ギンブリーの眉は自然と寄った。
「扉に当たって気絶した程度で医者か?」
「念のためっすよ~………少ないとも二回以上っすからね……」
後の呟きは、ギンブリーの耳には入らなかった。
サラスは部屋に入ってすぐ傍でしゃがんでいるギンブリーの肩を叩き、開いたままだった扉から出て行く。
「隊長に連絡してくるっす。しばらくまかせたっすよ」
将校ですら避けて通る、情報部隊隊長のギンブリーに対して、実に気安い態度だ。
情報部隊の部下が見れば、目を疑うだろう。彼らの隊長は、冷酷と思えるほど職務に忠実で、部下であっても決して馴れ馴れしい態度を許さない。
しかしギンブリーは、眉に更に深い皺を作っただけで、サラスを見送った。
自分と同じぐらいの背丈と重量を持つ男が、足音無く部屋から遠ざかるのを、ギンブリーは気配で感じ取り、ぼやく。
「あいつは全く……」
放った言葉に意味は無い。
いまだに仲間扱いしている相手に、愚痴の一つを言いたくなっただけである。
ギンブリーは昔、特務部隊に所属していた。
そこから情報部隊の隊長へと栄転したのだが、どういうことか、特務部隊にいた時のまま、気安く、時に横暴に、全く変わらない態度で接して来る。
それでも、部下を纏める隊長としてのギンブリーの立場を考慮してか、ただ単純に面倒事を避ける為か、ちょっかいをかけるのは彼が一人でいる時だけだ。
情報部隊の部下は、ギンブリーがいまだに特務部隊と繋がっているとは思ってもいない。
だからギンブリーは、自分が引退した後、特務部隊との横の繋がりがなくなることに不安を覚える時がある。
まだまだ情報部隊の情報は、特務部隊の情報に遠く及ばない。
今日はサラスがいなければ危なかった。
特務部隊が待機しているのを知っての演習だったが、準備を怠ったつもりはない。
部下はこの案件に特務部隊が関わっていることを知らない。真剣だったはずだ。
その結果がこれなら、再教育は厳しくする必要があるだろう。
(それは明日から考えるとして、今はこれが先だな)
ギンブリーは天井を向いて気絶してるにも関わらず、木箱から手を放す気配の無い青年を見下ろした。
何度か木箱をひっぱってみてはいるのだが、簡単に外れないのだ。
死後硬直をしているのかと、青ざめた唇に手の甲を当てる。
肌は冷たかったが、息はある。
ならばと親指を動かすと、あっけないほど簡単に取りあげられた。
青年をそのままに、想像より軽い木箱を脇に抱え、開いたままだった扉を閉めて隣の部屋に入る。
元特務部隊だったギンブリーは、この建物の存在はもちろん、扉の仕掛けも部屋の構造も把握している。
わざと狭く作った監禁室の隣の部屋は、二部屋を一部屋に改造したもので、とても広い。
内装はどこにでもありそうな、飾り気のない椅子二脚と小さな丸テーブルだけ。簡素すぎる部屋だ。広いぶんだけ簡素さが極まり、かえって部屋が寒く見える。窓にカーテンが無いせいもあるだろう。
安物の丸テーブルに木箱を置くと、階段を上る音が耳に届く。
サラスは足音を立てない。誰かを連れて帰ってきたようだ。
足音がギンブリーのいる部屋の前を通り過ぎ、止まった。
『処置をお願いするっす』
監禁室のある方向を見る。当たり前に壁があるが、その壁には隣の部屋の様子だ映し出されていた。倒れている青年の傍に、サラスと、サラスの腰のあたりに頭がある、背の曲がった白衣の老人の姿。
声も明瞭で、まるで壁などないように感じる。
壁に設置した魔法陣のおかげだが、こんな魔法陣は裏の世界でも出回っていない。
どこから融通してもらったのか、正直、いくつか心当たりはあった。
しかしどことも関わりたくないギンブリーは、あえて何も聞かず、流している。
『自分たちは隣にいるっす。終わったらこのベルを鳴らしてくださいっす』
老人は頷くと、木箱を持っていたままの、妙な姿勢で固まっている青年の脈を確認しはじめた。
窓に鉄格子が嵌められているのに気付いていないのか。患者以外に目が向かないのか。
ずいぶんと肝の据わっている老人だとギンブリーは感心する。
サラスは直ぐにやってきた。隣だから当然といえば当然だが。
こいつのことだから、何か細工でもしてきたのかと思ったが、それはなかったようだ。
「隊長に連絡ついでに医者を連れてきたっす。いやー捕まえられてよかったっすよー。あの人いつもどこかに流れてるっすから」
「放浪でもしてるのか?」
「いやーあの人手癖が悪いっすから、患者を治す時に報酬とは別に金目の物をスっていくんすよー。身に着けているものなんて大事なものだらけっすから、よく追いかけられてよく逃げてるんすよ」
「大丈夫なのか?」
そんな闇医者で大丈夫かと問うたギンブリーだが、サラスは別の意味で受け取ったようだ。
「あの部屋に金目の物はないっすから大丈夫っすよ。青年が何か持ってたらスられるっすけど、それはまぁ、自分たちのせいではないっすから」
その返答に、腕や口は大丈夫なのだろうと納得した。
「さてさて、木箱の中とごたいめーんー」
丸テーブルの上にある木箱の鍵を針金一本で解き開けるサラスと並んで、木の蓋を退けて中身を見る。
包帯や薬や消毒液など、各部隊が常備している、軍内では見慣れた医薬品が隙間なく木箱に詰まっていた。
「………なるほどな」
個別に分けられ、足がつきにくそうな品である。
おそらく、明日、もう一度軍に納品されても気づかないだろう。全て新品だ。
「事務の息がかかってるな」
軍へ納入される物は、一品一括大量納入が基本だ。
こうして、木箱に何種類も入ってくることはありえない。
それぞれの部隊から抜き取るには、木箱の中の薬は数が揃いすぎている。
おそらく各部隊に割り振る方に仲間がいるのだろう。各部隊の割り振りからほんの少し頂戴し、横流し用の数を揃えている奴が。包帯一本足らなくても、気付く者は少ないし、気付いた奴は足りないと言いにいけばそこで終わりだ。入れる数を間違えただけで上に報告はされない。
各部隊から一本ずつでも、全体を見れば横流しには十分な量だ。
「さぁてと」
サラスはおもむろに手袋をはめると、備品の一つ一つに判子を押していく。
判子の大きさは、親指の半分ぐらい。“検品済み”の判子だ。
丁寧に箱や瓶の包装に押していく。まるで最初から押されていたかのように。
ギンブリーも手袋をつけ、箱から備品を取り出し、種類別に並べながら、何が何個あるのか記録をつける。
木箱自体は持ち運べるぐらいの大きさだが、医薬品は小さく、数が多い。散らばらないように隙間なく詰められているのだから、相当な量だ。
二人は黙々と作業をこなしていく。
情報部隊も特務部隊も、高度な事務能力が要求される。
作らないといけない書類が多岐に渡るのに、機密だらけのせいで自分たちだけでやるしかないという過酷な状況がそうさせた。二人の有能さは、元帥も太鼓判を押すほどだ。
それほど時間を掛けず、ギンブリーの分厚い手が、底に届いた。
箱からこぼれたのだろうか、ばらばらになっている錠剤を取り出し、手元の紙に薬の名前と数を書きこむ。衛生の仕事などしたことのない二人だが、長い間の軍生活で、だいたいの薬は知っていた。そして隠密に関わっている二人は、特殊な薬についても詳しかった。
ギンブリーは手に持った薬を、黙々と作業をしている男に見せた。
「この薬が本命の可能性は?」
ギンブリーが持っている薬に目を止め、サラスは口をへの字に曲げた。
「ありっす。最悪っす」
見せたのは尋問に使用する類の薬だ。
サラスがその薬を受け取ると、ギンブリーは木箱の底から違う薬を手に取った。
次に出てきたのは、興奮剤や入眠剤や鎮静剤。軍内でも限られた者しか取扱いが出来ない薬。
「………………」
目についた物を無計画に、小遣い稼ぎの感覚で横流しをしていると思っていた。今回出張ったのは、極秘に開発していた試作品がそういう奴らに盗まれたからだ。
担当者の隙があって、偶々目についた、稼ぎの大きそうな機密品に手を出した。
そう思われていた。
しかし、普段と変わらない普通の取引で、こんな薬が紛れるのはおかしい。木箱の一番底に入れている時点で意図的なのは疑いようもない。今回はこの薬を手にいれる為に、他の横流し品を加えたとみるのが妥当だろう。
どうやって誘導したのかは分からないが、無計画に見せた相手―-おそらく指示する側―-に相当なやり手がいる。
「偶々でこんな薬が手に入るか。仮にこれが目的だったならば、あの試作品も誰かの指示だった可能性がある」
「今回は上手くいっても、黒幕はつかめられそうにない気がするっす」
うんざりとした様子を見せながら、サラスは作業を続けた。自棄にならないのはさすがだ。
「こいつでどこまで辿れるかが鍵だな」
底に細工を施したギンブリーは、木箱を持ち上げた。
上下左右から目視で確認するも、細工の痕跡は見えない。完璧な仕上がりだ。
隣のサラスが両腕を伸ばし、唸った。作業が終わったようだ。
ちょうど、ベルの音も鳴った。気のせいで済ませられるぐらい、小さな一回きりの音。それだけで老人の偏屈さが窺える。
「さて、隣にいってくるっすよ」
ギンブリーはすべてに“検品済み”の印がついているのを確認しつつ、元の通りに箱に戻していく。
魔法陣に映る映像では、青年が死人返りのように全身を包帯で巻かれていた。
思った以上に重症だったようだ。
隣に行ったサラスが扉をあけたまま医者に声を掛けている。
『どうっすか?』
『暴行でもしたのか?』
『してないっすよ。人聞きが悪い』
『そういうことにしておいてやる』
『動かして大丈夫っすか?』
『かまわないだろう。眩暈耳鳴り頭痛、吐くようなら正規の医者に連れて行け。記憶障害はあきらめろ』
『わかったっす』
部屋から出て行こうとする医者に、サラスが袋を渡す。
『いつもご苦労さまっす』
『お前もな。いつもいつも隠れてるのに見つ出しては連れてくる!』
相場の倍はありそうな重量の袋を、不機嫌に受け取る医者を横目に、ギンブリーは木箱の鍵をかけ直した。
老人が完全に階段を下りたことを確認し、ギンブリーは隣の監禁室へ入る。
「別の部屋に連れていくっす。手伝ってほしいっす」
「どこだ?」
「向かいっす」
向かいの部屋は普通の部屋だ。
一般のアパルトメントと同じ間取りで、寝室とリビングキッチンの二部屋がある。
頭を強く打った怪我人ということで、念のために簡単な担架を作って二人で向かいの部屋に運んだ。
ギンブリーは久しぶりの訪問だが、ゴミ箱に生ゴミがあるところを見ると、サラスが何日かここで張り込んでいたようだ。
よれたベッドに青年を寝かせ、サイドテーブルに木箱を置く。
朝から何も食べていないサラスはキッチンに向かい、ギンブリーは椅子を引いて、青年の側に腰掛けた。
(さて、どこまでもっていくか)
完全に後手に回っている状態で、裏で策を練っている相手まで手を伸ばすのは難しいだろう。
(元帥と相談をする必要性があるな)
その席には必ずあいつらがいるだろうが。
頼もしいような鬱陶しいような、複雑な心中を抱えながら、起きた青年を見やる。
「大丈夫か」
体を起こそうとして、悶絶していた所に声を掛けたのだが、どうやら青年は座学を真面目に聞いていなかったようだ。
何かあった時に分かりやすく威圧出来るよう、階級と所属が分かる正規の軍服で来ていたのだが、肩章も、バッヂも、全く知識に無い様子だ。
むしろ、自分の今の状況も含め、全く何もわかっていなさそうな様子である。
目は前髪で隠れているし、口は閉じているし、慌てている様子も無いのに、なぜか目の前の青年が、何も理解していないことを理解してしまった。
ギンブリーはその奇妙な感覚に疑問を覚えつつ、青年を観察した。
青年は、なぜか泣き出した。
泣く前と全く変わらない表情や態度に、涙だけが滝の如く頬を伝い、シーツに落ちていく。
その異様な泣き方に、ギンブリーが手を出せずにいると、泣いているとは思えない平坦な声で、青年が呟いた。
「お腹が、すいた」