第0.1騒 これが本当のプロローグ。
主人公視点から第三者視点へうつります。
ここからがらっと文章が変わります。
月と罰の神ディーが目を閉じようとしている。
細い、弓のような光が海の水面を渡り、埠頭をひっそりと照らす。
囁き合う恋人のような、緩やかな波。
けれど耳を澄ませば。
逢瀬には不似合の、まるで雰囲気を読まない、無粋と称されるだろう、捲し立てるような曲調の音楽が聞こえてくる。
音程外れの上機嫌な歌は、埠頭にある煉瓦造りの倉庫の一つから流れていた。
瞼の閉じかけた月の光は、五つ並ぶ倉庫の姿を映してはいたが、細部は曖昧だ。
そんな闇夜の中から。
顔が一つ、浮かび出た。
男の顔だ。強面の顔に似合う角刈りの頭が左右に振れる。
男は辺りを一瞥すると影の中に消えて行く。
同じフレーズを繰り返していた歌も、消えた。
男は光源の無い、暗い道を歩く。足元は何も見えない。
倉庫の感触を左手に置きつつ、時折、右手の酒瓶を煽った。
たまに躓くが、酒瓶の中身が少ないことを考えると、どちらが原因か分かり難い。
奥へ奥へと進むと、急に視界が明るくなった。
倉庫の裏手に出たのだ。
月明りが注ぎ、ようやく男の足元が照らされる。
男がいる位置は倉庫街の角だった。通って来た道はほんの十数センチ。その横は黒い海。
飛沫が足にかかる。
体を横にして歩いても不思議ではない道だったが、男にとっては楽な道だったに違いない。
空になった黄土色のガラス瓶を足元に、男は木箱の一つに手を掛けた。
木箱一つ一つは一メートルから二メートルの四角形。
その木箱の山を上りきると、一か所だけ穴があった。
何も荷物を置いていない。意図的な隙間部分。
登らなければ気付かない隙間にランタンを置いて、二人の男が木箱に腰かけていた。
「もどったぞ」
「どうだ?」
「あぁ。犬もいやしねぇ」
出迎えた相手に、歯を見せ笑う。
その場にいる三人は、良く似ていた。
顔が、ではない。風体が。
三人共、力仕事が得意そうな体躯である。服の上からでもわかる筋肉、特に腕や肩は厳つい。
目の鋭さはもとより、刈り上げた髪の形まで似通っている。
「そいつはよかったぜ。全くお前はでかい声で耳の腐る歌なんぞ歌いやがって」
返事を聞いた男は大げさに肩を竦め、隣の男の頭を殴った。
「なんだよ〜取引は終わったんだから良いだろ〜?」
殴られた男の顔は赤い。たった一本の蝋燭の灯りでもわかるぐらい、赤い。
素面の男と、飲んでも飲まれていない男は顔を見合わせ、同時に蝋燭に目を落とした。
正確には、蝋燭の灯りを受ける銅貨に。
「そいつの分、減らせ」
「カスみたいな迷惑料だな」
「だぁ〜! それはひどい!」
全体の銅貨の数は彼らの一か月分の稼ぎに相当する。
その山を三つに分けているので、一山はさほど多く無い。
それでも臨時収入としては充分な額だ。
酔っている男は伸ばされる二つの手から銅山を守るべく、急いで一山を抱え込んだ。
抱え込み、酒で崩れた顔から更に崩れた笑みを浮かべる。
鼻の下を伸ばした顔と言えばいいだろう。
「これでまた楽園に行けるぜっ」
彼の言う楽園は、魅力的な女性が酌の相手をしてくれる店だ。
侍らす相手によるが、手の中の銅貨で二、三回は良い思いが出来る。
「一度で良いから楽園の女三人と一度に相手したいよなー。代わる代わるご奉仕してもらって………うへへ、俺のからだもつかな〜」
「馬鹿だろお前」
「お前の相手をするなら馬の相手でもしてた方がましじゃねーか」
天変地異が起こっても有り得ない妄想を切り捨て、二人はそれぞれの山を取り、懐に納めた。
「ぼろい商売だ」
懐の感触を確かめ笑みを浮かべた男は、新しい酒瓶を開け、一気に煽った。
待ちに待った喉越しに、声が漏れる。
たちまち空になった瓶を転がし、二本目に手を伸ばす。
「元手はタダだからな。安い女の股を開かせるようなもんだ」
素面を保っていた男も、小さな酒瓶を手に取った。
少量だが度数の高いそれを、割りもせずに流し込む。
三人の男は酒を楽しんだ。
湧いたお金の使い方を語り、好みの体について熱く議論を交わし、日頃の鬱憤を巻き散らかした。
背の低くなった蝋燭の周りで酒瓶が十本転がる頃。
声を落として二人に話しかけた。
「なぁ、良いモン見せてやるよ」
言って、服の中から取り出したモノをランタンの火にかざす。
二人は目を見開いた。予想通りの反応だ。
「おめぇ……これ……」
「すげー! ちょっと触らせてくれよ〜!!」
指先まで真っ赤になった手を伸ばしてくるが、躱す。
「ついでにくすねてきた。安心しろ。これは非売品だ」
二人とも、手の平に収まるモノに釘付けだ。
仲間のど肝を抜けた優越感で、飲んでいた酒が倍に美味く感じた。
「これが噂のやつか……もっと良く見せろ」
「俺が先だったのに〜!!」
「俺だってまだ弄ってないんだから後にしろ!」
酒に酔った頭で取り合いを始めた。
ぶつかるし、腕を真っ直ぐに伸ばせないし、手が回らないし。
騒々しさは倉庫全体に響いているだろう。
幸いなことに、聞きとがめる者はおろか、誰の耳にも届いていなかった。
屈強な男三人による激しい騒ぎは、もはや乱闘に近い。
奪い合いの最中。手と手が弾かれ、モノが飛んだ。
木箱の上で一度跳ね、落ちる。
高い音と、その直後に、何かが海に落ちた。
そんな、音がした。
「………おい、落ちちまったぞ」
「…落ちたな」
「ど〜するよ」
「どうしようもないだろ」
酔いの冷めた様子で三人は顔を見合わせた。
手と手が当たった。誰が悪いというわけではない。
そして今日は新月の前。罰を与える月の光はごく微かにしか出ていない。
「今から渦と珊瑚の神シズリーにでも祈りにいくかぁ?」
「祈って出てきたら苦労しないってば〜」
「せっかくパチって来たものを……」
「場所変えて飲みなおすか。お前らの面を見るのも飽きたしな」
「俺、楽園行きてーな〜」
「少しは反省しろ」
三人の男は酒瓶を転がしたまま倉庫を後にした。
これが本当のプロローグ部分だったものです。