第33騒 長い一日の、避難場所を変えた時。
動くなと言われると、俺は動かない。
けれど、動くなと言われた瞬間に、ほぼ全員が動くなんて。
田舎と都会はずいぶんと違うようだ。
狭い店内に人が入り乱れ、グラスと酒瓶が次々と割れていく。
絶え間ないガラスの破裂音。人のうめき声。怒鳴り声。
それらが如実に乱闘の場所と激しさを伝えて来た。
「!!」
体の真横。
落ちてきた酒瓶が砕けて飛ぶ。
(あっぶなっ、いぃ!!)
狭いカウンターの下でなんとかガラスの破片を避けた。
(やばい)
人に踏まれないよう、カウンターの下に身を丸める。
だが、ここでは駄目だ。
次々と酒瓶が降り。割れ。弾ける。
雪合戦でもあるまいし、狙い過ぎだ。
腕で頭と顔を庇い、体を丸めて遣り過ごす。
(はやく。抜け出さないと)
少し切れた腕の服を見て、顔から血の気が失せた。
暖かいのに軽くて薄い服がっ!!
(せっかくもらったのに!!)
はやく逃げないと!
服が台無しになる!!
(どうにかしないと!)
カウンターの下から店内を見渡す。
右を見る。入口だ。
軍人と、店にいた客が乱闘になっている。
左を見る。店の奥だ。
アドルドが誰かを誰かに投げた。
正面を見る。暖炉が見えた。
テーブルを倒して壁みたいにしている所がある。
(正面しかない)
呼吸を整える。タイミングが命だ。
(落ち着け、落ち着け)
落ち着いて、確実に。しかも素早く。
訓練で散々言われたことを思い出す。
(よし…………いく!!)
酒瓶と人が床で交差した直後に飛び出した。
頭を下げ、身を低くしたまま。走り抜けるように反対側へ。
壁になっているテーブルに滑り込み。一息。
(訓練、ちゃんとやっててよかった……)
自分でも見事な移動だったと思う。
あれなら指導教官も納得してくれるはずだ。
テーブルの横から顔を覗かせ、店内を確認した。
左を見る。入口だ。
軍人が明らかに優勢に見える。
倒れた人は山のように積まれ、軍人に見張られていた。
(ん?)
軍人の中に、見覚えのある顔を発見。
料理をご馳走してくれた男と一緒にいた、死刑宣告をくれた軍の先輩だ。
あれから全く会っていない。
まさか現場で会うとは思わなかった。
一般の兵は肉体的な衰えを理由に、四十過ぎたあたりで解雇されるか、裏方へ転属となる。
軍の先輩は、多分、五十越え。
失礼だが、四十代には見えない。
(………でも、格好良いなぁ………)
大木の様な揺るぎ無い姿は、迂闊に手出し出来ない迫力に溢れていた。
収束に向かう乱闘を指揮している様子だ。
俺には気付いていない。
左を見た。店の奥だ。
アドルドが、俺を脅した男と一騎打ちをしていた。
なんだか二人とも楽しそうだ。
その周りで倒れている客は、軍人が引きずって入口の山に加えていた。
(あ。マスター)
一騎打ちの側。
食材や道具がおいてある棚の一番下、体を曲げに曲げて収まっている。
間近で一騎打ちを見ながら、小さく腕を振り上げていた。
無傷のようで良かった。
(………そういえば他の客は?)
盛況だった店の客はどこに行ったのか。
(いないな………)
無関係の客はとうに逃げ出したのだろう。
避難しているのは俺とマスターだけ。
(あ、もう一人いるな)
俺の隣のテーブル。
同じく横倒しになったテーブルの陰に、一人。
身を低くして座っている人がいた。
逃げ遅れたのだろうか?
きっとそうだ。
自分よりも少し年下の、小柄な少年。
何かを抱いて、身を硬くしている。
はっきり分かるほど、肩で息を繰り返していた。
(行くか)
一人より、二人の方が安心だ。
切れた手を床に付けないように、隣のテーブルに移動する。
手の平と指から、鮮やかな赤色がいまだに景気良く溢れているが、気にしない。
粘り気が少なく、床に足跡みたいに垂れているのだが、気にしない。
手が細かく震えているが、気にしない。
震えているは、刃物を突きつけられ、緊張を強いられていたせいだ。
だから眩暈がするのも、きっと気のせいだ。
「大丈夫か?」
静かに近寄って声を掛けた。
とても驚かれた。
安心させる為に少年の正面に行ったのはいいが、入口が良く見える。
つい、意識がアドルドと先輩に行ってしまう。
少年に集中する為、横倒しのテーブルに背を預け、隣に座った。
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
並ぶと同じぐらいの背だった。
顔の幼さに比べると身長が高い。
驚く相手と、しばらく、見つめ合う。
大丈夫か。も、顔色悪い。も、全部カラトに言うべきことだろうという突っ込みが。
まぁ、そんなことよりも。
すごく久しぶりに主人公が喋ったような気がします。