第25騒 長い一日の、衝撃と出会った時。
店だ。小さくて狭い。
カウンターと、向かう合うように並んだ席、一列だけの店。
全体的に、コーヒーの豆のような色の店。
テーブルクロスの深紅や金の小物が上品に見える。
薄暗いような照明灯りが、グラスと酒瓶に反射して綺麗だ。
ここは、そう。
(大人の店だ)
表通りにある色鮮やかな店と、明らかに。
雰囲気が違う。
時間の流れが違う。
格が違う。
値段も、違うはず。
入れと促されるも、未知の恐怖で足が竦む。
鞄を握る手が固くなった。
だって値段がどこにも無い。
今まで味わったことのない恐怖だ。
(アドルド……ここまで怒ってたのか……)
今からでも、謝り倒したら、許してもらえるだろうか。
「カラト」
後ろから、少し苛立ちの混ざった声が掛かる。
許しては、くれないらしい。
背中を押され、一番奥の席へ押し込まれた。
四角く整った髭の、恰幅の良い男性がアドルドに頭を下げた。
アドルドは慣れた様子で狭い店を歩く。
客は他にいない。いたら避けるのに苦労しそうだ。
二人並んで、丸い小さな椅子に座る。
一列しかない店では、他に選択肢はない。
こんなに背の高い椅子は初めてだ。
鞄を二人の椅子の間に置けと言われた。
店の一番奥。隣はアドルドと壁。二人の間。
安心して足元に置いた。
高い棒にくっつけただけの椅子に座る。
不安定に揺れる。
足場を発見。
足をつけて腰を振る。椅子が動く。なにか楽しい。
「マスター、ピザ二枚」
(!?)
隣のアドルドが。
メニューも見ずに。
注文した。
「なんだその顔は?」
言われて、乾いた目を閉じる。
瞬きを忘れていた。
「まぁ、それよりカラト。話をしよう」
アドルドの黒い目が、同じ高さで交わる。
真正面から見ると、アドルドの顔にはいくつか薄い傷があった。
「さっきの美女は誰だ?」
傷持ちの、精悍な顔で、凄まれた。
無意識に引いた体が、壁に当たる。
一瞬だけ、アドルドが怖かった。
(落ち着け。相手はアドルドだ)
そう。美女とは。
あの、金髪碧眼巨乳の垂目美人だろうか。
「彼女は、アケル」
「? 幸運と黄昏の神アケルか?」
「彼女のいるお店の女の子は、全員神様の名前」
だったはず。
女神は数が少ないので、男神の名前も普通に使っていた。
「前に荷物を運んだ時、一緒に飲んで仲良くなった。それから誘われて、彼女のお店でたまに飲んでる」
確かお店の名前が“神々の楽園”。
洒落たお店で、美人ばかりだった。
「………カラト。お前………よくそんな金があったな………」
なぜか、とても驚いた顔をされた。
「?」
「いや、そこ、高級クラブだぞ」
そうなのか?
確かにみんな、すごく綺麗な服を着て、高そうな宝石をつけていた。
でも正直、そんなに高級そうには思えない。
「お店自体、古そうだし。机も椅子も全部古臭かった」
「アンティークって言うんだよ!」
怒られた。よくわからない。
「高いのか?」
「そうだ。高いんだぞ………って、払ってないのか?!」
払ってない。
そもそも最初は例の酒場で奢られた。
日を改めてお礼を言いに行ったら、お店に連れていかれて、一緒に呑んだ。
そうしたら、御代はいいからまた来てほしいと言われた。
三回目に、ママと呼ばれる人から、いつでも来いと言われた。
ただし裏口から。
さすがに毎回、ただは気が引ける。
道に生えていた花を摘んでいく程度しか出来ないのが心苦しい。
それでも、女の子と触れ合える貴重な時間。
飲むお酒も毎回、おいしくて、おいしくて。
行くたびに記憶がなくなるのが悩みだ。
「いつでも……裏口から……飲み放題、触り放題……朝帰り……」
「アドルド?」
聞かれるまま答えていたが、様子が変だ。
独り言を言う癖はなかったはず……。
「カラト」
ようやく気付いてくれた。
「今日、昼を奢ってやるから、今度その店に連れて行け」
………。
………………。
………………………。
!? 奢ってくれる!?
(この店の分を!? そんなことで!?)
めちゃくちゃ高そうなのに!
「いいのか?」
「さっきの美女を誘えるなら充分だ」
真顔で言い切られた。
肯定の意味で、何度も、何度も、頷く。
アケル! 本当に女神だったのか!!
「リラには内緒だぞ」
「なぜ?」
「まだ早いだろ」
言って、男らしい笑みで水を煽るアドルド。
………確かに。
妹と同じ年なら、まだお酒は早い。
「おまたせ」
四角い完璧な髭をしたマスターが、皿を二枚持ってきた。
湯気の立つ、出来立ての料理。
薄いパンに赤いソースをかけて、野菜とチーズをのせている。
焼きたてパンの匂い。たまらない。
アドルドの見よう見まねで、ナイフで切った。
切ったところから伸びるチーズ。パンを丸めてフォークに刺す。
落ちそうになって、慌てて口に入れた。
ピザを口に入れてから、記憶がない。
気づいたら店から出て、裏通りの土の上にいた。
「………」
「カラト。荷物危ないぞ」
「あぁ」
なんだろう。衝撃的なことがあった気がする。思い出せない。
無意識に。何も残っていない口の中を舌で舐っていた。
「美味かっただろう」
「………」
美味かった。
言われて、初めて、実感した。
………美味かった。
記憶が飛ぶぐらい美味かった。
「ま、また連れて行ってやるよ!」
焦ったアドルドの声はともかく、言われた内容に、何度も何度も何度も頷いた。
ピザは、イタリーではナイフとフォークで、一口に切って食べるらしい。
八つ切りはどこから来たのか。アメリカか?
とにかく、分け合う気のない男は一枚丸かじり希望。(Lサイズ)