第21騒 頭を使われた日の、拾われた時。
朱に染まっていく空を眺めながら。
唐突に思い出した。
――祈りの神様って、賭博の神様だった。
祈りと賭博の神、ドナ。
自慢ではないが、賭博で勝ったことはない。
思い出せば、祈りが叶ったこともない。
(神様と相性が悪いとか、そんなんじゃなくて………)
見放されているというよりも。
気付いてもらっていない感じがする。
(………哀しくなってきた)
風が、冷たくなった地面を通り、草を抜け、身体に当たる。
(さむい)
このままだと風邪を引く。
暖かいものが飲みたい。
味の全くない無いスープでも、今は御馳走に見える。
(今日のご飯は何だったかな……)
落ちかけの太陽が、発酵が足りなくて膨らみきれなかったパンに見えた。
倒れた体の腹部に片手を添える。
それだけなのに、結構な時間が掛かった。
(どれだけ全力で逃げたんだ、俺)
逃げて、捕まって。
それっきり動けないまま、時間が過ぎる。
意識や思考は正常。
ただ、体が動かないだけ。
逃げながら、無意識に隠れる場所を探していたのだろう。
見事に、人が通らない。
(このまま風邪を引いたら、荷物を運ばなくて済むのか?)
見上げた空は暗みがかかり、月らしきものが浮いていた。
(このままどこかに逃げたいなぁ)
逃げれるものなら全力で逃げたい。
(………喋ったら、駄目、かな?)
教官なら良いような気がしないでもない。
でも喋るなと言われた。
どうしよう。どうしよう。
それにしてもお腹が空いた。
お腹が空くとつい泣きたくなる。
違う違う。
今はどうするかを考えているんだ。
どうしよう。どうしよう。
でもやっぱり。お腹が空いた。
「………どうしよう」
「どうするって、何かする気?」
「!!」
びっくりした。
視界にいきなりアッシュブロンドの髪が入るのは、精神的に良くない。
「珍しい所で行き倒れてるね」
笑いながら、覗き込まれる。
ナディだ。
顔つきが全然違うので、サミエルと間違えることはない。
それでも俺の精神的には、余り良くない。
「昼寝かなと思ったけれど、それにしては時間が遅いし。変だとは思ってたけれど、カラトだったら納得」
「………」
太陽が沈んだ寮の裏なのに、全く不審に思われていないのは、どうしたことだろうか。
「はい。手」
そして何も言っていないのに、手を出して引き揚げ、肩を貸してくれた。
ありがたいが、何となく、釈然としない。
「ナディ。どうしてここに?」
寮から出てきたばかりにしては、ナディの手や体は冷たかった。
それでも、放置されていた俺よりは暖かい。
深い意味は無く問うと、ナディは事も無げに言った。
「サミエルと喧嘩した」
俺は、サミエルに少しだけ感謝するべきだろう。
ありがとう、サミエル。
何かしでかしてくれて。
お蔭でご飯が食べられそうだ。
「ナディ。ご飯は食べたか?」
「食べてないよ。もしかしなくてもカラトはまだ、だね」
「出来れば食堂に連れて行って欲しい」
泣くから。
「分かったよ。食堂だね。カラトは泣いちゃうからね」
敢えて言わなかったのに。なぜ伝わった?
「くくっ……」
ナディは何かを思い出して笑う。
体から伝わる小刻みの振動は、なかなか止まらない。
お願いだ、もう思い出せないでくれ。
皆思い出したら笑うけど、本人は必至だったんだ。
ご飯を無事に食べ終えることが出来た。
満足だ。
時間ぎりぎりに行くと、食堂で働く人の視線が恐ろしい。らしい。
俺は感じたことが無いが。そうらしい。
いつも通り不味かったが、お腹一杯だ。
腹が一杯になると幸せを感じる。
幸せに浸ってベッドに埋もれる。
――至福。
(生きてるって素晴らしい)
毎日、生死の境を彷徨っているので、感慨もひとしおだ。
「信じられない。あのご飯をお代わりするなんて」
食事後も、律儀に部屋まで送ってくれたナディの呆れた声。
拾ってくれてありがとう、ナディ。
お蔭で今、俺はとても幸せだ。
「いつものことだ」
「訓練で吐いても絶対食べるんや。根性や、アレは」
「そういえば抜いた所を見たことないな」
「抜いたらカラト兄ちゃん泣くんちゃう?」
「一食じゃ泣かないよ……たぶん。あの時は二日だったから……くくっ」
「あれは面白かったな」
単調な会話が心地良い寝物語のようだ。
(眠たい……)
あまりの気持ち良さに意識が溶けかかる。
「カラト兄ちゃん。寝るんはシャワー浴びてからにしてや」
(………………)
妹がいる。
なぜ妹が男子寮にいるのだろうか?
このままでは確実に寝てしまう。
仕方無く、ベッドから頭を起こした。
向かいのベッドの下段にアドルド、ベッドの間にリラとナディがいる。
なぜだか皆、こちらを向いていた。
一同を見回し所で、思考の隅に何かが掠めた。
「………」
話すことがあった。ような気がする。
「………」
結構、重要だった。ような気がする。
「………」
眠気漂う頭で思い出そうと奮闘していると、リラが呆れた声で言う。
「カラト兄ちゃん、なんか喋ってや」
「何かを思い出せない」
幸せに包まれると、何もかも忘れてしまう。
「俺、何か話そうとしてなかったか?」
問いかけてみるが、アドルドとリラは首を振った。
「朝の挨拶と点呼以外で、今初めて声を聞いたところだが?」
そうだったか?
自分では喋ったような気になっていた。とても不思議だ。
「ごめん。ただいま」
かなり遅くなったが、帰宅の挨拶を交わす。
「はいはい、おかえりカラト兄ちゃん。ナディは何か聞いてへん?」
「んー………特には何も。カラトご飯に夢中だったから」
「………」
しばらく待ってみたが、思考は掠めたっきり帰ってこない。
思い出せないものは仕方無い。
寝よう。
シーツに抱きついた。
もう離すものか。
「あぁ!カラト兄ちゃん!!」
隣側から非難の声が上がる。
そういえば、寝る前の挨拶を妹に忘れていた。
妹は挨拶を忘れると、すごく怒るのだ。
「おやすみ」
怒られないように、なるべく優しい笑顔を心がける。
うん。静かになった。
妹への挨拶を終えたら、心置きなく眠りの世界に入れた。
「何、今の?びっくりしたんだけど」
「カラト兄ちゃん、寝る前によう寝ぼけるんや」
「寝起きは良いんだがな」
「そんでもって、よう、わいと妹を間違えるんや」
「そういえば、リラと同じ年って言ってたね」
「………」
口煩いところが一緒なのだろうと思っているが言わないアドルド←賢明
_______________________________________________________________
※行軍訓練の一環で、野外訓練中、連続七食抜く(水や塩はあり)訓練がある。
空腹の為、周りがイライラしている時も、彼は普通に見えた。
貧乏人ゆえの馴れだろうと思われたが、五食抜きあたりあたりから様子が変わる。六食抜き後、突然泣き出す。
冷静に一時間ほど泣きつづける彼に、何かを諦めた教官が飴を与えた。
飴を口に入れた途端、ぴたっと泣き止む彼。
イライラしていた周囲は狂ったように爆笑。教官、悟りを開く。
後日、彼には罰則としてトイレ掃除一週間の刑が与えられたが、綺麗にし過ぎて怒られていた。