表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無騒の半音  作者: あっこひゃん
主旋律
2/89

第2騒 はじめて踏まれた日

 馬車に揺られていると、ただ、遠出をしに行くだけのような気分になった。

 破れかけの鞄に詰め込んだ大量の荷物。

 それすら、買出しの時と大差無い重みで。

 ただ、居ない。

 いつも傍にいた妹だけが、足りなかった。

(馬車って、こんなに退屈だったか?)

 いつもの騒がしい声が無いだけで、世界が変った気がした。


 何かが変わるとは思っていたけれど、何が変わるかなんて、何も知らなかった。

 


 乗り合わせの馬車の中。

 老夫婦からもらったパンを食べながら、不覚にも泣いた。

 馬車に揺られて二日。

 何も食べていなかったからだ。

 人の好意が心に染みた。

 だが、世間は冷たい。

 世間の冷たさのような石畳に倒れた俺は、別れた老夫婦を心底恋しく思った。


「その荷物ごと存在が邪魔だ」

 自分に言われた言葉だと気付く前に、何かに後ろから押され、結構な勢いで石畳にぶつかった。

 痛い!

 下が石畳なので、めちゃくちゃ痛い!!

 前に押された勢いと背負った荷物の重みで、全身を思いっきり擦りむいた!

(何だ!?一体!?)

 唐突過ぎて、何が起こったのか理解出来ない。

 呆然としていると、すり減っていない靴底が、石畳を打つ音がした。

 頭の上。高い音。間近だ。

 視界一杯に、上等で綺麗で、新品に違いない茶色の革靴があった。

(うぎゃ!!)

 相手を確認しようとした。

 だが、上げられなかった。

 頭を押さえられたのだ。

 靴底で。

 ………頭を靴で踏まれるなんて、初めての経験だ。

 一瞬見た靴はとても綺麗だったから、抵抗するほどのものではないだろう。

 それにしても意味不明だ。

(なんなんだ、本当に?) 

「ちょっとサミエル!何してるの!?」

「邪魔なんだよ、こいつ。大きい荷物もってふらふらしやがって。いかにも貧乏臭い」 

「だからって!蹴り飛ばして踏みつける理由にはならないよ!」

「起き上がらないこいつが悪い」

 まるで靴底についたゴミを除けるかの如く、頭を擦られた。

 砂利が頬の皮膚にめり込んで地味に痛い。

「だからやめろってば!!」 

 被害者の真上で、加害者と連れが言い争いを始めてしまった。

 非難している連れは真っ当な奴だ。

 出来れば、行動を起こす前に止めて欲しかったが。

(それにしても暴力的な奴だな)

 初対面にすらなっていない相手をいきなり蹴り飛ばして踏みつけるなんて。

 一体どんな教育を受けたのだろうか?親の顔が見たい。

 と、その前に、本人の顔を見なくては。

 早く立ち上がらせてくれと願う。

 これ以上横になっていると、旅疲れで本当に寝てしまいそうだ。

 まだかなぁ、まだかなぁと思っていると、頭から重みが退いた。

 次に踏まれたら、本当の本当に寝てしまう。

 飛びように起き上がった。

 両足を付き、立ち上がった同じ目の高さに、そいつがいた。

 冷たい印象を与える鋭利な目元に、青い目が、冬の寒々しさを持って睨んでいた。

 整っている。というか、中性的というか。

 はっきり言って女顔だ。

 女顔には不似合いの、極端に短いアッシュブラウンの髪は赤みが強く、燃えているようにも見える。

 髪は熱そうなのに、瞳は近づくだけで凍らされそうだ。

 初対面なのに、軽蔑と憎悪に近い敵意が叩きつけられる。

 美人の怒った顔は迫力だ。

「お前、軍に入るつもりか?」

「………」

 やっぱり男だ。

 残念と言うか、もったいないと言うか。

 ほんの少しだけ、女かなぁと思っていたが、これは正真正銘、男だ。

 見た目は理知的だが、言葉の前に手が出るぐらいだから、激情家なのだろう。

 人を寄せ付けない雰囲気からして、偏屈な人嫌いかも知れない。

(人嫌いなら関わらなければ良いのに……)

 わざわざ他人を突き飛ばさず、無視して通り過ぎてくれれば良かったのに。

(虫の居所が悪かったんだな……きっと)

 納得した。

「聞いているのか、お前?」

「何を?」 

 そういえば、何かを聞いていたな。

「軍に、入るつもりかと、聞いている」

「そうだ」  

 俺の足元にある石畳。

 街からずっと続くこの先は、軍の施設しかない。

 大荷物を抱えて来ている姿と、時期的に考えて、入隊者以外にはいないと思うのだが、どうだろう?

(もしかして、大荷物過ぎて、業者と間違えられているのか?)

 馬車の中では家出少年と間違えられたし。

(さすがに荷物が多すぎたか……)

 荷物に関しては今更で仕方がないが、間違いは正しておいた方が良いだろう。

 売れそうな物を持ってきたとは言え、本当に売れるかは分からないものばかりだし。

「帰れ」 

(………だから業者じゃないって………あれ?俺、返事したよな?)

 軍に入るつもりかと聞かれて。はい。と答えたはずだ。

 なのに、なぜ帰れと言われたのか。

 話の流れが分からない。

「………帰れよ、お前」 

「無理だ」

 相手の苛立つ気配を感じた時には遅い。

 胸倉を掴まれた後で失敗に気付く。

「サミエル!!」

 ますます意味が分からない。

 初対面のはずなのに、どうしてこんな感情を向けられているのだろうか?

(俺、なにかしたか?)

 いや、何もしていない……と思う。

 いきなり突き飛ばされ、邪魔だから帰れと言われ、現在、殴られそうになっている。

 ………考えてみれば理不尽だ。

(そもそも、帰れって…何処に帰ればいいんだ?)

 言い争う声を近くに聞きながら、違うことを想う。

 妹の入学にあたり、家も土地も手放した。

 待つ家族のいない俺たちには無用なものだったし、纏まった金が必要だったのもある。

 後悔はしていない。

 ただ、『さびしい』と思う。

 帰りたくても帰れない。

 あの頃にも。他のどこにも。

 仮に帰っても迎えてくれる人はおらず。戻っても、思い出の場所はもう別の誰かのもの。

 そんな場所、近くにいることの方が辛い。 


 帰る場所は無い。戻る家も無い。


「………」

(痛い。な)

 なぜ痛いのかなんて分からない。

 でも、痛い。

 胸倉を掴んでいる手が、そのまま心臓を掴んだかのような幻痛。

 内臓を握り潰される感覚。

 体の内で起こる圧迫感。息苦しさ。

「………」

 背負った荷物に手を伸ばし、掌に馴染むものを探し当てた。

 しっくりくる感触を引き抜き、目前の男に向かって振り下ろす。

 底の無いミルク鍋が、サミエルと呼ばれる頭に当たった。

「離せ」

 強く、はっきりと、言葉にした。

(危なかった)

 過去を考え過ぎて、孤独と停滞の神ラムサスに捕まってしまう所だった。

 全く。とんだ奴だ。

 伸びきっている襟首を奪い返し、背中の荷物を背負い直した。

 転んでずれていた紐を所定の位置に戻し、歩みを再開する。


 しばらくして、後ろから飛びはじめた罵声を置き去りに、足を速めた。  

  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ