第18騒 訓練を休んだ日
目覚めの悪い朝を迎えた。
(痛い)
とにかく全身が痛い。
どこが痛いと問われても困る。
とにかく痛い。ついでに視線も痛い。
「カラト……お前、何をした?」
「覚えてません」
朝の点呼に出られず、教官が部屋に乗り込んでくる事態になってしまった。
「また立派なたんこぶだな、これ」
「恐らく脳に衝撃を受けて、一部記憶がないのかと………」
狭い部屋に、指導教官二人と、エフミト少尉が揃う。
「熱もあるようだし、こりゃあ、今日の訓練は無理だな」
納得し結論を付けて、一人の教官が部屋を出て行った。
エフミト少尉は膝をついて、俺の全身を診察していく。
少尉の手は相変わらず気持ち良い。
冷たい手の感触に、身も心もゆだねる。
「打撲と擦り傷がほとんどです。前と後ろのたんこぶさえ治れば訓練に参加できます」
ほとんど落ちかけの瞼の向こう。
教官が声を掛けてきた。
「カラト……お前、誰かに襲われたってことはないよな」
(動物に襲われたり、拉致られたりはしたけど)
なぜだろう。
本当のことを言っても、熱のせいにされそうな気がする。
「いえ……無いです」
「そうか。なら良いんだ」
……。
………。
………………。
もしかして、心配してくれたとか?
重い瞼を開けて、確認する。
座学で答えが間違った時のような、どうしようもない馬鹿をみるような視線が在った。
………うん、寝よう。
石がのったように重い全身は、起きているだけで辛い。
世の中には運動も出来て、頭も良いやつが存在する。
羨ましい。
背が高いとか、家がお金持ちとかと同じぐらい、羨ましい。
俺だって、村の学校を途中で辞めていなければ、もう少しだけ、出来ていたと思う。
勉強が嫌いなわけでは無い。
その時は、母親の病気が悪化して、誰かが看病をしなければならなかった。
父さんはもう死んでるから、俺と妹のどっちかだ。
頭の良い妹こそ、たくさん学校に行くべきだ。
そうは言ったが、ただ単に兄貴風を吹かしただけ。
今考えれば、交互に行けばよかったと、心底思う。
そうすればもう少しだけ、俺の頭の出来はよかった。はずだ。
(………)
それもこれも、後の祭り。
「仕官校のやつと一緒に授業やるのはきつい!」
「ちくしょ〜金持ちどもがー」
村の学校を途中で辞めた俺の学力は低い。
加算、減算。
簡単な読み書きしか出来ない俺に、兵法を学べとは……。
分からない単語が多すぎて頭から火が出そうだ。
「軍人になったからには報告書は必須だ。字を間違えて何度もやり直させる身にもなれ。迷惑だ」
補習の指導教官が頬杖を付きながら、俺達の回答を待つ。
「出来たぁ!!」
前の奴が、椅子を俺の机にぶつけて立ち上がった。
両腕を回答用紙ごと高く掲げ、顔は今にも泣きそうだ。
一日の最後の補習。体も頭も酷使して擦り切れた後。
皆、変に気分が高揚している。
「見せてみろ」
いつのまにか横に来ていた指導担当が、用紙を奪う。
「やりなおしだ」
「あぁぁ!!」
手で顔を覆い、絶望の声を上げる。
いつもの光景だ。
終わった奴の後ろ席――ようするに俺の用紙を覗き込んできた指導教官が、溜息をつく。
「……カラト……お前……外はへたれで中味はからっぽとは……救いようのない奴だな」
「………」
俺は手元にある用紙を見ながら、前の奴と一緒に心の中で絶望を合唱した。
心底哀れんだ教官の視線なんて見たくない。
しかし、どこがどう間違えているんだ?
「時間だ。各自、明日までにやってくるように」
「………」
リラとアドルドに今日も頭を下げる羽目になった。
出来が悪いって、つらい。
という夢を見ていた。
いつの記憶だろう。
最近の記憶のような気もするし、遠い記憶のような気もする。
瞼を開けると、既に部屋は真っ黒。
リラとアドルドの寝息が聞こえる。
(二人とも、いつ帰ってきたんだ)
朝に指導教官が来てから、記憶が無い。
今の今まで眠っていたらしい。
(のど、乾いたな)
汗で張り付いた服も着替えなければ。
揺れる頭を支えながら、ベッドから降りる。
(夜目が効く目でよかった……)
明かりがなくても、昼と変わらず、どこに何があるのかわかる。
蝋燭要らずで経済的な目は、ひそかな自慢だ。
自慢したことはないが。
(そんな話題になんてならないし、夜は一番初めに寝るし)
体をベッドの柱で支えながら、服を脱ぐ。
替えは、アドルドから貰ったお下がりの服だ。
腕を通し、一息つく。
机の上。いつもは無い、水差しが目に入った。
(おぉ!)
良いものを発見。
うれしい。ものすごくうれしい。
二人の好意に感謝しながら、水を煽る。
おいしい。
生き返る。
半分まで一気に飲んで、我に返った。
(もったいない!)
乾いた口の中にしばらく浸し、ゆっくり嚥下する。
生ぬるい水も、おいしい。
机の上にある窓から夜空を眺めつつ、水を飲み続けた。
(ん?)
誰か、いる。
周りを警戒しながら、寮へと歩いてくる。
寮の周りは明かりが少ないので、うまく通れば見つからないで出入り出来る。
(誰だろう?)
大柄で、軍服を着ている。
新人隊員に支給されていない階級所をつけているから、先輩軍人だろうか。
知らない顔だ。
小さい窓なので、最後まで人を追うことは出来ない。
寮に近づいた辺りで、見えなくなる。
(珍しいな。先輩がこっちの寮に来るなんて)
先輩は原則、街に家を借りている。
夜勤の人用の部屋はあるらしい。
実は俺達新人は、まだ正式な軍の建物の中に入れない。
誰かの知り合いの先輩がこっちに来ることはあるが、俺たちからは向こうに行けない。
それにしても、夜にくるなんて……。
(忘れ物を届けにきたとか?)
底の水を飲みながら、なんと無く覗いている窓に、また誰かが通った。
(………)
サミエルだ。
間違いない。遠目からだが分かる。
サミエルも外出していたらしい。寮に近づいて来ている。
優等生だと思っていたが、とんだ問題児だ。
ばれたら罰則ぐらいでは済まないだろう。
(………見つかれば良いのに)
最後の一滴まで飲み干した水差しを、机に戻す。
(もう寝よう)
まだふらつく体でベッドに戻り、目を瞑った。
「カラトいないとマヂ訓練キツイんすけど!?」
「ペースメーカーがいないせいで教官のペースがおかしい!!」
「ペースメーカーってなんだよ?」
「集団のリズムを決める人」
「「「「あぁ」」」」
「あっ。とうとう後ろで誰か倒れた」
「カラト以外で倒れる奴はじめて見たな」
「いやいや!!今日の訓練、半端ないから!!」