第13騒 荷物を運ぶ日
貿易都市シェアラブル。
鉱山を持つ第一公国と、農耕が盛んな第三公国の間に挟まれた、第二公国の中心都市。
王家への反逆で悪名高くなった現在だが、
軍の始まりは、人と物が入り乱れる都市の治安を守るためである。
「危ないよぉ!」
「どけどけ!!」
すれ違った人の肩が体にぶつかり、弾かれた。
落書きだらけの壁に背中を打ちつけ、小さな悲鳴を上げる。
文句を言おうとぶつかった相手を探すが、既に人ごみの中。
行き場を失った怒りを、丸めてゴミ箱に捨てた。
「………………はぁ」
肩をさすりながら、呟く。
「さすが貿易都市。人も店も半端ない」
こうして人とぶつかるのも何度目になるのか。
文句も言えないまま、見失う回数ばかり増える。
はじめは怒りを溜めていたが、五回を数える辺りから諦めた。
諦めは肝心だ。
投げ出したくなる気持ちを誤魔化すように、口に出す。
「酒場がすぐに見つかれば問題ないんだ。頑張れ、俺」
だるくなった腕を振り、木箱を持ち直した。
「これが荷物だ」
渡されたのは、正方形の木箱。
片手で持つには少し大きいぐらいの。
たった一箱だった。
軍内でそこら中に転がっている箱だ。
箱の中身は色々。食糧、薬品、携帯用の道具や火器類。
軍にある物は大きさは違えど、だいたいこの箱に入れられて来る。
普通は外に品名が書かれているが、この箱の品名欄は汚れていて読めない。
読めたとしても、箱自体が使い古された感じなので、中身と同じかどうかは怪しかった。
(………持ち運びは楽そうだな)
錠がついている。中身は分からない。
両手に持つ
特に重心が偏よることもなく、割れ物の音もしない。
荷物としては、かなり軽い分類だ。
同じ大きさの箱でも、野菜や麦を入れている方が重い。
何も知らされていなかったので不安だったが、これなら大丈夫だ。
(あとは場所だけだな)
店名や場所が分からなければ誰かに聞こう。
「これをどこへ運ぶんだ?」
場所だけは絶対忘れてはいけないと、フィラットの顔を見て聞いた。
「酒場だ」
「どこの?名前は?」
村ならともかく、仮にも第二公国で一番栄えている街だ。
まさか酒場が一件だけということはないだろう。
当然の疑問に、フィラットは腕を組んで答えた。
「知らん。表通りの酒場じゃないってことだけは確かだ」
(………………は?)
「名前は?」
「知らん。忘れた」
「………………」
どんなに見つめても、目で訴えても。
フィラットは堂々としている。
申し訳なさそうな気配は微塵も無い。
――やられた。
フィラットは、予定があるから俺に頼んだわけでは無い。
店の名前を聞き忘れたか。
教えてもらいながら忘れたか。
とにかく、面倒だから俺に頼んだのだ。きっと。たぶん。絶対。
(………失敗した)
引き受けると答えた手前。
昼御飯代と称して金を渡された手前。
もう、引き返せなかった。
――現実問題。
軍の敷地から滅多に出ることがなく、寮の主などと呼ばれている俺が。
貿易都市と称されるシェアラブルから酒場一件を見付けるなんて。
出来るはずがない。
辺りを見回すが、どこもかしこも店だらけ。
一つ一つの店は違うのに、道としてみると全て同じ道に見える。
表通り。
馬車がすれ違える大きな石畳の両側には、立派な門構えの店が。
裏通り。
一見では何か分からない店に並んで、土の上で直に商品を広げている露店が。
路地裏。
表通りと裏通りの間。別名、暗黒地帯。
小さな店と民家が入り混じった生活区間で、背の高い石造りの建物の中にこじんまりと店が。
交差して、平行して、増殖して。
永遠に続いているのだ。
裏も表も隙間も。
売っている品名は同じなのに、なぜ違う場所で商売をするのだろうか。
値段が違うから店の場所を変えるなんて面倒な。
しかも、野菜なら野菜、肉なら肉、果物なら果物で全部店が違う。
全部揃えようとすると、幾つも店を回らないといけないから大変だ。
(一番多いのは服屋だな)
やはり都会では、服は買うものらしい。
同じような女物の服が、何件も何件も何件も並んでいる。
はっきり言おう。全部同じに見える。
だから目印にもならない。
(たぶん、路地裏の店のはずなんだ。頑張れ、俺)
練り歩き作戦を決行して、もう何時間経っただろうか。
「帰ったら、絶対、文句を言ってやる」
軽い荷物とは言え、何時間も持ったままは辛い。
下ろしたらどうかと、囁く声が何度も聞こえている。
だが!
ひったくられ弁償出来ない自分が土下座から内職姿に変わり妹が売られていく姿が。
なぜか脳裏から離れない!
完全な被害妄想だ。
疲れが生んだ思い込みだ。
分かっているが、万が一を思うと………恐怖で荷物を下ろせない。
店の中に入って一息つけば、体も心も休めるのだろうが…。
せっかくの現金。
久しぶりの現金。
出来るなら長く付き合いたいし、全部終わってからゆっくりしたい。
憂いを無くし、心から楽しみたいのだ。
「いらっしゃい、いらっしゃい」
香ばしい匂いに釣られ、無意識に飲食店の近くに来ていたようだ。
通りから、焼いている作業が見える。
見世物小屋みたいだ。
肉を焼いている匂いが、かなり遠くまで届いている。
たれの濃厚な匂いと、香ばしい薬味の香り。
肉の脂が火に焼ける音は扇情的で……。
(………恐ろしい店だ)
視覚と聴覚と嗅覚を奪うとは、なんて卑劣な。
卑劣だが、おいしそうだ。
串で一本差しにされた肉が、客の手に渡る。
齧り付こうとした客が、路地から顔を出す俺を見て口を閉じた。
目は前髪で隠しているが、飢えた視線は隠せなかったらしい。
食べ終わった後の串をしゃぶらせて欲しいと思う。
いけないことだろうか。
「はやく見つけないと」
疲れからか、手が滑りそうになった。
これ以上、街を彷徨う訳にはいかない。