第12騒 公休日の、天使とあった時。
いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。
水を掻き分ける音がする。
騒がしいほどでもない。
たまに、魚が跳ねるのに似た音が混ざる。
(動物でもいるのか……)
浮上した意識の中で、思考と水音が混ざる。
薄く目を開け、また閉じる。
(だいぶん陽が傾いたな)
昼御飯後からの逃走。
どれぐらい眠っていたのか、辺りが薄暗い。
睡魔が遠ざかるを待って、緩やかに目を開ける。
素晴らしく、気分が良かった。
ものすごく、寝た気がする。
(熟睡というか爆睡というか)
腰を伸ばすように腕を上げて欠伸を漏らす。
垂れた涙を拭い、前を見る。
少女が水浴びをしていた。
『………………』
目が、合った。
ばっちりしっかり目が合い、なんでもないように逸らされた。
俺は、見ているものが信じられず。
瞬きを繰り返した。
(夢……か……?)
全力で頬を抓ってみた。
痛い。
自分でやっておきながら痛い。
痛いから間違い無い。現実だ。
だとすれば。
少女の背中から、体を覆い隠すように在る、大きな白い翼はなんだろう。
(…………)
肩甲骨から生える見事なまでの純白の羽根。
少女が、まるで鳥の毛繕いかのように、細い指で整えていく。
水を吸った長い銀糸の髪が、流れる水のように。飾られたリボンのように。
華奢な裸体と羽根に張り付き、輝く。
白い手が、愛撫するように羽の根元に流れ。
銀の髪を、両手で掬い上げ、小さな頭を振った。
音にもならない。
無数の雫が、少女の周りを、舞う。
雫が、若々しい滑らかな白い肌に、揺れる柔らかな胸に、なだらかな細い腰に、突き出た丸いお尻に――はじけた。
『………………』
目が、合った。
人形以上の、完璧な美貌。
赤い唇は引き結ばれ、けぶるような長い睫毛は、髪と同じ銀色。
そこに流し込まれた純金の瞳は、非難するかのように俺を見――
(ってーーーー!! !!)
なななんあなんあ!
なんてことだ!女の子の水浴びを凝視してしまった!!
(ごめんなさい!ごめんなさい!なんでも言うこと聞きます!!)
うっかり妹の着替えに遭遇してしまった時のことを思い出し、顔から血の気が引いた。
がっつり見てしてしまっただけに、言い訳も出来ない。
今更後ろを向いても遅すぎる。
(ごめんなさい!ごめんなさい!!)
これは、悪戯と気まぐれの女神デボラのせいなんだ!
決して、決して、悪気が合ったわけではない!!
後ろ向きだから、地面に額を擦り付けても見えないだろうけれど!
でも拝んでると思われると困る!
でもあれは拝んでも良い!
(あああああぁ!違う違う!!)
墓穴を掘る前に思考を止め、ひたすら弾劾の刻を待つ。
………だが、いくら待っても、怒鳴り声は来なかった。
物を投げつけられる様子も無い。
長い時間を待って、衣擦れの音が聞こえた。
いよいよか。
(全てを、甘んじて受けよう)
身を硬くして待った。
そして。
鳥の羽ばたきが聞こえた。
空気を孕む。その大きな音に、思わず振り返る。
「………………」
――夢を、見ているのだろうか。
泉の。その水面の表面に。
翼を広げて立つ少女が。
飛んだ。
鳥のように。天使のように。
それは。そう、とても。
………………綺麗だ。
声にならなかった。
「カラト兄ちゃん、どないしたん?」
「あぁ……お帰り、リラ」
実家で夕食を食べてくるリラが帰ってきた。
となると、今は1100過ぎか。
実はちょっと体調が変で、帰ってからベッドで寝ていたのだ。
晩御飯は食べる気が起きなかった。
何だか動きたくないし、ちょっと体が熱っぽい。
それに。
「………はぁ………」
ベッドの上で息を吐く。
泉で出会った彼女のことを考えると、心臓が変な具合に動き回る。
(………もう夜、か………)
机の上にある、小さな四角い窓に目を向けた。
月の光が、ほのかに窓の一角を照らしていた。
「………はぁ………」
銀の光、金の輝き。
まるで彼女のようだ。
息が詰まるほど輝いて見えた。
月の下だと、綺麗すぎて心臓が止まってしまう。
「夕方に帰ってきてからずっとこれだ」
「………変なんでも食べたん?」
「昼間見たときは慌てた様子だったが、特に変じゃなかったぞ」
「カラト兄ちゃん、どうないしたん?」
リラが顔を突っ込んできた。
茶色の、愛嬌のある目と向き合う。
「………………」
「うわああぁぁ!!」
リラを首から引っこ抜き、倒れてきた体を腕に収める。
(確かこれぐらいの身長だったはず……何歳かなぁ……リラぐらいにしては、大人びてたなぁ)
「カラト兄ちゃん!離してぇな!!」
(あぁ……でも……)
天使だから、年齢は関係ないかも知れない。
俺は暴れる動物を抱きしめた。
「アドルド兄ちゃん!助けてぇな!!」
「か、カラト、しっかりしろ!それはリラだぞ!?」
「知ってる」
彼女を抱きしめる勇気は、いまのところ、無い。
「カラト兄ちゃん!わいはノーマルや!」
彼女が同性愛者だったら鼻血が出る。
相手も桁外れの美少女だろう。確かに眼福だが、男として却下だ。
「俺も、そっちのほうが良い」
「あかん!話が通じてへん!!」
(あの状況で話なんて出来るはずないだろ……声、聞きたかったなぁ)
悲鳴も怒鳴り声もなかったのは、今にして思えば寂しい。
見られてなお、堂々と水浴びを続けていた彼女。
破格の度胸だ。
(不機嫌だけど、冷静だった)
外見は天使のごとき美少女だが、喋ると印象が変わりそうだ。
彼女の声を懸命に想像しようとして、早々に挫折する。
いまだ童貞の俺は、そもそも女性というものに縁が無い。
(女……というよりは……少女……だよな)
でもしっかり体は女だった。
「………」
「うわぁ!」
リラを放り投げて、慌ててベッドから降りた。
彼女の水浴びを、細部まで思い出してしまった。
顔が熱いのはともかく、身体が………。
「なんや!?本当にどないしてしもたんカラト兄ちゃん!?」
「……しゃわーあびてくる」
「いってこい」
アドルドの呆れた顔に見送られ、部屋を出た。
(重症だ)
階段を下りる時、窓の外を見た。
森は見えないが、月が丸くて綺麗だった。
(また……会いたい……)
否定され、夢を見たと言われるのも嫌だ。
肯定され、誰かが興味をもつのも嫌だ。
今日のことは自分だけの秘密にしようと思った。
そして。余り思い出さないでおこうとも。
(思い出すと、裸まで思い出すし……)
不覚にも記憶が蘇り、熱が上がる。
一瞬だ。
顔といわず体といわず。全身が反応してしまう。心拍も、異常に速い。
前髪をかきあげて、強く頭を掻いた。
健全な男子ゆえに。
彼女の裸が、頭の中を巡って止まらなかった。
某日某刻。
新入隊員専用の食堂、キッチンで。
「大変だ!カラトが晩飯を食べに来なかった!!」
「なにぃいぃ!!」
「雨だ!」「雪が!」「槍だぁ!」
「「天変地異だ!!」」