第10騒 公休日の、おかわりをしている時。
新入隊員専用の食堂。
十人は横に座れる、長いテーブルが整然と並ぶ。
食堂の隅の向かい側。
ほんの数分前までナディが座っていた位置。
まだ暖かい木の椅子に、同期のフィラットが座っている。
フィラットは、頭の大きさは普通なのに、上半身が筋肉隆々だ。
肩幅、腕、首が、太い太い。
同じ席に座っていたナディの姿を覚えているので、違和感がすごい。
顔だけ後でつけたみたい。などとは、死んでも本人に言わない。
(出会いと唐突の神アガンのご加護か。それとも、悪戯と気まぐれの女神デボラの酔狂か…)
フィラットと、まともに話をしたことはない。
同じ補習仲間だから名前は知っている。
それだけ、だ。
体格の似た、力自慢の仲間達と一緒にいるので、近づくことさえなかった。
(今日は何の日だ?)
ナディに続いてフィラットまで。
社交的とは言えない俺が、まともに話をしたことのない人間に呼び止められている。
一日に、二度も!!
有り得ない事態だ。
誰かの陰謀か?
もしや、罠と計略の女神リリティに目を付けられたのか?
(………辞めよう。深く考えるのは)
神様は人間如きに窺い知れる相手ではないのだ。
俺は、現実を直視した。
「小遣い稼ぎって?」
「たいしたことじゃない。ただ荷物を運ぶだけだって」
ペットの散歩を頼むような気安さだった。
何を言われるか警戒していたが、拍子抜けだ。
「それだけか?」
「それだけだ」
(………)
一口サイズに千切ったパンを、スープに放り込んで掻き回す。
粗いパンの生地に、スープが染み込んでいく様子を眺めた。
(………それ、俺じゃなくても良くないか?)
これは、いわゆる、“パシリ”というやつだろうか?
(いや。決めつけるのはよくないな)
ふやけたパンをスープと一緒に体に流し込む。
人手が欲しいだけかも知れない。
引っ越しとか、大掃除とか。
「何人必要なんだ?」
「?いや、お前ひとりだ」
話が噛み合っていなかった。
「きちんと説明するぞ」
フィラットは食べていた手を止め、テーブルに身を乗り出した。
縮まる距離を、身を引いて広げた。
近くで見たい顔ではなかったのだ。
「俺の都合が悪くなって、変わりにお前に運んでもらいものがある」
「………」
素朴な疑問。
俺たち、そんなに仲が良かっただろうか?
「もちろん、ただじゃない!」
「………」
「俺がもらうはずだった駄賃と、俺からの奢りだ!昼飯代もつける!」
「………………」
心が、――堕ちる。
焦げ目のついた、肉汁たくさんのお肉。
具で底の見えない、あったかいスープ。
油の回りきってない、揚げたての揚げ物。
噛んだら音が鳴る、新鮮な野菜。
酒と料理の神ヴィヴェイトが耳元で囁いた。
それはそれは、とても美味しいものだと。
想像しただけで。
涎が口の中に!!
だけど。だけど! だけど!!
「副業は、規則違反、では?」
俺は食事の手を止めて同期を見た。
フィラットは笑った。
「手伝い程度ごときで?」
言って、豪快に大口を開けて肉を放り込む。
荷物運びを手伝って、少しだけ金銭をもらう。
これは副業だろうか?
村に居た頃。
近所の老人の変わりに荷物を運び、お礼に、お菓子と少しのお金をもらった記憶がある。
それと一緒なのだろうか?
揺さぶられる俺の心。
意味もなく空のスープ皿を掻き回していた。
「マジ頼むよ!」
(!?)
フィラットが突然、両手を机に付けて頭を下げた。
突然どうした?!
「実は兄貴から頼まれてたんだ! 前から言われてたのに、予定を入れちまったんだ!!」
フィラットの兄は同じ軍の先輩だ。
しがない歩兵部隊の一兵らしいが、弟から見ると、兄は非常に怖いらしい。
切々と弟の立場の弱さを訴えられた。
(兄弟か……)
困った。
家族話は弱いのだ。
特に家族の中で、一番立場が弱そうな相手には親近感を覚えてしまう。
「……わかった。引き受けた」
俺は頷いた。
兄弟話には、心が動く。
昼飯代は、それ以上に心が動く。
助け合うことは素晴らしいことだ。
「マジで?助かった!」
フィラットは俺の手を握り、激しく上下に振った。
握られた手が痛い。
肩が抜ける。止めろ。
横が俺の二倍あるのに、手加減を考えろ。
「本当に簡単だから大丈夫だって!」
トドメのように大きく厚い手で背中を叩かれた。
「!?」
息が胸で詰まった。
「詳しくはまたな!」
痛みに顔を顰める俺に気付きもしない。
最初と同じように、最後も一方的で強引だ。
フィラットは上機嫌で席を離れていく。
(………なんか、失敗した気がする)
体中から訴える痛みでテーブルに突っ伏しながら、軽く後悔した。
カラトは毎食欠かさず来て、おかわりをするので、食堂の人に人気です。