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無騒の半音  作者: あっこひゃん
主旋律
1/89

第1騒 別れの日

 ――何かが始まる時、何かが終わる。


 予感をしていた。漠然とした予感だ。

 終わった先に始まりがあるのか。始まったからこそ終わりがあるのか。

 哲学的な問いかけに答える声は無く、慌ただしい風が目の前を通り抜けた。

「お兄ちゃん!忘れ物はない!?」

「大丈夫……だと思う」

「もぅ!忘れても取りに帰れないんだからね!」

「あぁ……」

 妹の小言を、居間に座って聞き流し、心の中だけで言い返す。

(大丈夫かは、俺の台詞だ)

 会話の途中すら慌ただしく走っている奴の言うことではないだろう。

(いつも出かける寸前に、あれやこれやと物を足すくせに…)

 女の支度には時間が掛かると言っていたのは、隣の旦那さんだっただろうか。

 それとも恐妻家の村長だっただろうか。

 どちらにしても、まだまだ時間は掛かると見た。

 同じ所ばかりを往復する姿を見たついでに、忘れ物がないかと頭を動す。

(………)

 素朴な一階立ての木の家は狭い。

 こうして居間に座ると、家中が見渡せるぐらいには狭い。

 居間から小さな台所に続いて、扉の開いた、二つある個部屋に視線を移す。  

 建って三十年以上。修繕を繰り返した家は、家具も最初に揃えたままだと言う。

 だから。あの柱の傷の由来だとか、家具の隅が不恰好に丸くされている理由だとか。

 思い出しはじめるとキリがない。

 とりあえず。

 改めて家中を見渡した結果。


「何も無い」


 清々しいほどに何も無い。

 正直、もう少しだけ、忘れている何かが欲しい。

(さすがに金目の物は…もうない、か…?)

 ………………。

 ………………。

 ………………本当に?

(落ち着け、俺)

 荷物をまとめる合間、妹に隠れて家捜しをしたではないか。

 天井裏まで入り込んだにも関わらず、出てきたのは子供の小遣い以下。

 隠し財産などという都合の良い展開は無かったのだ。

 そもそも、探し物すら直に発見できてしまう我が家において、探す行為に意味は無い。

 自己満足だ。

 ――分かっている。ただ、諦め切れないのだ。

(結局、これしかないのか)

 視線を絨毯の上に落とした。

 膨れ上がった鞄の周りに転がる、鈍い光を放つ物へ。

 俺の相棒。愛しき鍋や金物達へ。

 金が無いなら、替わりの物を用意するしかない。

 家中から金にできそうな物を集めた結果が、この状態だ。

 とにかく!

 より高く換金できそうな相棒を、より多く、より良く鞄に詰めていくしかない!

(やるぞ!俺は!!)

 一番近くにあった、修繕を繰り返した愛しい鍋を、決意を持って握りしめた。

 何も考えず袋に入れ、破れている鞄の内側から鍋の取っ手を出してみた。

「!!」

 閃きと匠の神イォドが降臨。

 破れが防げる上、取っ手が嵩張らない!まさに一石二鳥!!

(この調子ならやれる!!)

 確信を持って、取っ手と鍋底が無い、勤労年数十数年のミルク鍋に手を掛けた。



 入れ替え、差し替え、並べ替え。  

 パズルのような作業に没頭している間も、妹は一向に立ち止まる気配を見せなかった。

(………何をしているんだ?)

 持って行く最低限の物はお互い既に入れている筈なのに、何をまだ入れようとしているのか。

 さすがに気になる。

 妹の荷物が置いてある、占領された台所のテーブルを見た。

 大量の衣服に埋もれた鞄は膨れ上がり、今にも破裂しそうだ。

 入らないのだろう。ぬいぐるみが数体、首に縄を掛けられ袋口に吊るされていた。

 ………見なかったことにしよう。



「よぉし!終了!」

 妹が最後の荷物を鞄に捻じ込み、叩く。と、首を吊られたぬいぐみ達が揺れた。

 支度が終わったのは喜ばしいことだが、溢れていた大量の衣服が気にかかる。

 無いのだ。テーブルの上に。

 いつの間に片づけたのだろうか?

 それとも………全部、入れたのだろうか?

(………)

 あきらかに許容量を超えて、鞄が中身を吐き出しそうになっている。

 ……いや、気のせいだ。何も見なかった。

 隙間を埋め切った俺の鞄も、膨れ上がりは上々だ。

 鞄一つ。

 それだけが、俺たち兄妹の、唯一の荷物。

「いくぞ」

 妹の頭に手を置き、外へと促した。

 家族で住んでいた小さな家を出ると、見渡すばかりの畑が目に映る。

 種まきを始める前の、土色の畑に物足りなさを感じつつも、愛着は薄れることがない。

 俺の楽園。俺の子供達。

 手塩にかけて育てた土を取り、食べた。

 自分のことながら、良い仕事をしている。

 癒しと豊穣の女神ノアンの加護に溢れた土だ。

(もう、ここの野菜が食べられなくなるのか…)

 家も畑も、お隣の大家族に売却済みだ。

 本来なら売却した時点で家を出て行かなくてはいけなかったのだが、お隣のご厚意に甘えた。

 明日からここは、俺とは違う誰かのものになる。

 俺の楽園は無くなり、俺の子供達も俺の手から離れる。

 場所は同じでも、作り手が違えば味は違う。

「………………さびしい、な」

 畑の上にあるのは空だ。一面の、空。

 浮かぶ雲は、遮るものが無いまま、遥か彼方まで続いて行く。

 草が揺れ、土と海の匂いが混ざる。

 畑仕事をしながら見ていた。

 いつも景色。いつもの匂い。

 それも今日でお別れだ。 

 振り返ると、家の前で妹が立ちすくんでいた。

 癖の無い黒髪が、俯いた顔を完全に隠している。

 どんな表情なのか、分からない。

 だが、何年兄妹をやっていると思っているのか。

 茶色の目から、とうに零れているだろう涙に、気付かぬ振りをしてやる。

 泣き顔が見られることを嫌がる癖に、よく泣くのだ。

 当たり前に傍にいた妹。

 無償の愛情を注げる。今となってはただ一人、唯一の家族。

 さすがに、明日から会えない妹の機嫌を損ねるのは得策ではないだろう。

 強がる妹を笑うのは、心の中だけに留めておこう。

 ――今日だけは。

「そうだ。挨拶」

 大事なことを思い出した。

 大きな荷物を玄関に置き、小さな家の後ろ手に回る。

 玄関と畑の反対側、日陰の位置に、そこそこ大きい、丸い石が二つ並べて置いてある。

 二つの石に黙想を捧げている途中。

 草を踏む音が近づき、後ろで止まった。

 振り向いて確認するまでも無い。妹だ。

 俺と妹の間に、一瞬、暖かい風が通った。

 大地に吹く風が数日前から柔らかくなっている。もうすぐ季節が変わる。

 新しい季節、新しい生活。

 俺は今居る国の軍に入って、妹は隣の国の学校に入る。

 今日は、別れの日。

 今まで慣れ親しんだ全てに別れをしなければならない。

 なんでもない田舎が、これほど尊いと思う日が来るとは思わなかった。

 寂しい淋しい。

 今が無性に。

 さびしい。

 記憶の回想を辿ると、喜怒哀楽、全ての感情が浮かんでくる。

 “懐かしい”家族との思い出。

(そうか……俺の中ではもう過去なのか)

 過ぎ去った時間を自覚した。

 ほろ苦い感情が湧き上がり、溢れそうになった。

「父さん、母さん、行ってきます」

 声は、震えていないだろうか。

 形以外、何もない所から目を離し、妹を見た。

「行こう!お兄ちゃん!」

 気持ちの整理がついた妹が、真っ赤な目で、真っ直ぐに見返してきた。

「あぁ……行こう」

 玄関まで戻って、荷物を背負い。

 並んで歩いた。

 毎日通った、歩きなれた道を、妹と二人で。



「……まって…お兄ちゃん……失敗したかも……」

 肩に食い込む紐が、尋常ではなく痛いことに気付いたのは、歩いて直ぐだった。

 背を丸めて、重心を前に移動した妹が、弱音を吐く。

「………仕方ない。向こうで新しく何かを買う余裕はないからな」

 戻って荷物を減らす気にもなれず、俺たちはそのまま進んだ。

 毎日通ったはずの道を遠く感じながら。

 俺たちは、それぞれの道を歩き出した。


小説家になろう、初投稿です。

更新は早くないですが、じっくり付き合って頂けたら幸いです。

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