虹色の君と透明な僕
「――も君を――から」
――目を覚まし、ゆっくりと身体を起こす。
最初に目に入ったのは、一人の女の子だった。高校生くらいだろうか。整った顔立ちをしている。
(喉が渇いた……)
立ち上がると、今度は壁一面に貼られた大量の付箋が目に入った。
(なんだこれ……)
「あ!」
「おはよう!」
「起きたんだね」
彼女は嬉しそうに話しかけてくる。
(誰だ……?)
「えっと、君は?」
そう尋ねると、彼女は少し寂しそうな表情を浮かべた、しばらく沈黙が流れる、しかし彼女は質問には答えず、話を続けた。
「そんなことより、早く朝ご飯を食べよう?」
「今日は君の好きな目玉焼きと焼き鮭フレークだよ」
(美味しそうな料理だ)
(でも、僕の好きな料理だったっけ?)
朝ご飯を一緒に食べる、会話はない、それもそうだ。僕は彼女のことを知らないのだから。
(母親……なわけないよな)
(若すぎる)
(僕と同じくらいの年齢だし)
食べ終わり、食器を片付ける、そして、ふと考えた。
(この後の予定は何だ……?)
(そもそも今日は休日なのか……?)
壁に掛けられたカレンダーを見る、今日は平日だった、だが、それと同時に違和感を覚える。
(何だ……?)
(なんでこんな知らないことだらけなんだ……)
朝の支度をする、制服らしきものを着ているところを見ると、どうやら学生らしい、学校へ行く準備を済ませたところで、また一つ疑問が浮かんだ。
(僕はどこの学校に通っているんだ?)
場所すら思い出せない、すると彼女が話しかけてきた。
「どうしたの?」
「ああ、いや」
「これから学校に行くんだよね?」
「そのことも全く覚えてないんだ」
彼女は少し呆れたように言った。
「壁の付箋、見なかったの?」
そう言われて思い出す、びっしりと文字が書かれた、あの大量の付箋だ。
「あれは何なの?」
「それ、君が書いたんだよ」
そう言われても、まったく覚えがない。
「とりあえず、案内してくれないかな」
彼女は優しく笑った。
「元からそのつもりだよ」
――学校では、知らないことだらけだった。
授業の内容、クラスメイトの顔、そして、自分がどんな人間だったのか、何一つ覚えていない。誰にも話しかけられないところを見ると、友達はいないのだろう。
一人を除いて。
彼女――染彩香だけは、紙谷透である僕に話しかけてくれる。
けれど会話を返すことはできない、知らないことばかりだからだ、相槌と苦笑いを返すのが精一杯だった。
彩香は同じクラスらしい、彼女を見ていると、他の男子からも頻繁に話しかけられている。
当然だろう、僕みたいな得体の知れない人間にも優しい、それに顔も整っている、彼氏がいると言われても驚く人はいないはずだ。
やがて放課後になり、帰り道を並んで歩きながら、僕は疑問を口にした。
「なんで彩香は僕にここまでしてくれるの?」
彩香は少し考えてから答えた。
「君が染めてくれたから……かな」
「私も君を染めたいの」
意味が分からない、何を言っているのか理解できなかった、だから僕は、一番の疑問をぶつける。
「僕は記憶障害かなにかなのか?」
「不自然なところが多すぎる」
彩香の反応を見る限り、正解だったようだ。
「この話をするの、何回目だっけな」
「もう覚えてないや」
そう笑いながら彼女は言う。
「君の記憶のことは、私のせいでもあるから」
そうして帰り道、彩香は過去について語り始めた。
――僕たちは幼馴染だったらしい。
家も近く、よく一緒に遊んでいたという、そして話は、僕の家族のことになった、五年前の事故、僕たちの家族と彩香で、遠くの遊園地へ向かっていた。
その途中、山道でタイヤがパンクした、車を崖側に停め、車内でレッカーを呼んでいた時だった、一台の車が突っ込んできた、その衝撃で車は崖下へ転落した、フロントから地面へ叩きつけられ、父と母は即死、僕は彩香を庇うようにして頭部に重傷を負ったという。
「あの時、君が助けてくれたから今の私がある」
「ずっと感謝してるんだ」
「君の記憶障害は、眠る時にピークが来るみたい」
「あの付箋は、前の君が覚えておきたいことを書いた日記なんだよ」
話しているうちに家へ着いた、僕が彩香を助けた、そんな記憶は欠片もない、いや、そもそも僕の記憶には何もない、空っぽで、透明だ、いくら君が僕を染めようとしても、それは空を切るだけだ。
僕に色はつかない、やがて空が暗くなる。
夜だ、眠りにつく、明日にはまた、透明な僕がいるのだろう、そんな僕に、彩香は眠る前こう言った。
「大丈夫」
「明日も君を染めてみせるから」




