オークより怪しまれたもの、鏡。
ミラージュ厶の冒険者ギルドは、外壁の半分がガラス張りという、この街らしい建物だった。
陽光を受けた外壁は淡くきらめき、通りを行き交う人々の姿を歪ませながら映している。近づくたび、自分が何人もこちらを見返してくるようで、どうにも落ち着かない。
扉も薄青い硝子でできていて、取っ手に手をかけた瞬間、指先まで冷えた。
「……落ち着かないな」
「己を見つめ直す機会だ」
「今は結構です」
金次郎のありがたいお言葉を受け流しつつ中へ入ると、酒と鉄と革の匂いが混じった空気が流れ込んできた。
そして――視線が一斉に集まった。
ジョッキを持ったまま固まる男。
椅子を引きかけて止まる女。
若い冒険者が反射的に剣の柄へ手をかける。
原因は明白だ。
金次郎が手に持つ紐の先には繋がれたそり。ちょこんと座るオーク。
「……オーク?」
「従魔、か……?」
ひそひそ声が波のように広がる。
ピグはきょとんとしている。
「ぶも?」
周囲を見回し、鼻をひくひくさせる。
「大丈夫、怖くないよ。」
「ぶも?」
余計に不安が増した気がする。
受付嬢が困った笑みを浮かべ、足早に奥へと引っ込んだ。
やがて――重い足音。
床板がわずかに軋む。
現れたのは大柄な男だった。
頭には白い手ぬぐい。腕組み。仁王立ち。
そして――片目が、ガラス。
透明な義眼が光を受けて冷たくきらめく。その側の額から頬にかけて、縦に大きな傷跡が走っていた。
ざわついていた空気が、すっと静まる。
「……従魔にオークとは、珍しいな」
低く、腹に響く声。
この人がギルドマスターだろう。
俺は財布から木札を取り出した。
「ナナフシギア所属です」
受け取った彼の義眼が、わずかに角度を変える。
透明な瞳の奥に、こちらの姿が映る。
一瞬。
瞳の奥、鏡の少年が映る。
ギルドマスターと鏡の少年の視線が合った気がした。
「聞かぬ名だな」
「最近できました」
「そうか。ギルドマスターのギルアだ。」
「山本誠です。こっちは従魔のオーク、名前はピグです。」
差し出された手を握れば、分厚い手がしっかりと握り返してきた。
「誠にピグだな。よろしく。」
木札が返ってくる。
「で、用件は」
「買取をお願いしたくて」
少しはにかむと、ギルアは顎をしゃくった。
「こっちだ。査定は別室でやる」
案内されたのは奥の解体兼査定室だった。
石張りの床。壁には解体用の刃物や器具が整然と並ぶ。排水溝からは、乾ききらない鉄臭さが漂っている。
厚い木の机の表面には無数の傷。
如何にも“仕事場”という空間だ。
「アイテムボックスか?出せ」
俺は、しずかに唱える。
「鏡の少年」
こん、と乾いた音が響き、どこからともなく鏡が現れた。
「は…?いま、なにを?」
驚くギルドマスターを横目に、鏡の少年は次々と獲物を吐き出す。
ごとり。
机がわずかに軋む。
ごと、ごとり。
鱗が木に当たり、硬い音を立てる。
素材が並ぶたび、空気が重くなる。
「……オーク」
「ゴブリン」
「コカトリス……」
査定係の手が止まる。
そして。
「……ワイバーン?」
鱗が机に触れた瞬間、金属にも似た乾いた音が響いた。
誰かが小さく息を呑む。
部屋が静まり返る。
ギルドマスターの視線がゆっくりと私へ向く。
「たしかお前、Fランク…だよな…?」
「Fランクです。」
「剣…は持っていないな」
「持ってませんね」
「そこのオークが仕留めたのか?」
「俺は可愛い子は旅させず手元に置いておく方針です。」
「よく分からんが、それじゃお前、これを、どうやって仕留めた」
問われて、俺はあっさり答えた。
「鏡です」
沈黙。
どこかで水滴が排水溝に落ちる音がした。
「……は?」
「鏡です」
そして俺は、先程獲物を吐き出した鏡を指さす。
「この子が吸いました」
ギルアの片眉がぴくりと動く。
「吸った?」
「はい」
「鏡が?」
「はい」
義眼が、わずかにこちらへ近づく。
「……は?」
二度目である。
ピグが胸を張る。
「ぶも!」
「お主ではないぞ」
金次郎が静かにたしなめる。
ギルアは腕を組んだまま、じっと鏡を見る。
透明な義眼が、鏡面を映す。
一瞬。
義眼の中に、少年の姿がはっきりと映った。
少年の口元が、ゆっくりと動く。
――なにかを、言いかける。
だが次の瞬間、義眼の表面に光が走り、像が歪んだ。
少年は無表情に戻っている。
まるで、何もなかったかのように。
「……お前、俺をからかっているのか」
「至って真面目です」
「鏡がワイバーンを吸う?」
「はい」
「どうやって」
「近づいてきたら、こう、すっと」
「説明が雑だな」
「実際そんな感じで」
ギルドマスターは深く息を吐いた。
「……従魔のオークがやった、と言われた方がまだ納得できる」
「だから違いますって。こんなに可愛い子に戦わせる訳ないでしょ!」
少し食い気味に言う。
ピグが俺の足元でぺこりと頭を下げた。
「ぶも」
ギルアはしばらく沈黙し、やがて短く言った。
「……査定と解体に時間がかかる」
「はい」
「街でも見てこい。終わったら呼ぶ」
踵を返しかけたその時、低い声が背中に飛ぶ。
「その鏡」
振り向く。
義眼が、真っ直ぐこちらを見ていた。
その透明な瞳の奥に、街の光がいくつも映り込んでいる。
「……妙だ」
「妙?」
「ミラージュ厶は、映る街だ」
静かな声。
「映るものは残る。映らぬものは、弾かれる」
一瞬だけ、義眼が鈍く曇ったように見えた。
「……映らぬものは、嫌われる」
それだけ言って、彼は奥へ消えた。
部屋に残された俺は首を傾げる。
「どういう意味だ?」
鏡の少年は何も言わない。
だが鏡面の奥、遠くの街並みがわずかに歪んで見えた。
ほんのわずかに――
少年が楽しそうに笑った気がした。
「……よし。街、見に行くか」
「ぶも!」
「参ろう」
解体室を出ると、ガラス張りの壁に自分たちの姿が映る。
そこには確かに、俺とピグと金次郎がいる。
そして――鏡。
だが、映り込みの中の少年は、こちらではなく“どこか別の方向”を見ていた。
ガラスの街、ミラージュ厶。
どうやら、ただの観光では済まなそうだ。




