寵愛
「リン……か」
カイが名を反芻するように呟いた。
警戒は解いていないが、
剣先はわずかに下がっている。
「……助かった」
そう言ってから、少し間を置いて続けた。
「さっきの魔徒、俺たちじゃ終わらせきれなかった」
リンは短く首を振る。
「偶然よ。相性がよかっただけ」
その言葉に、レイは視線を向けた。
リンの声は落ち着いているが、
短剣を握る指先は強張っている。
「行こうか」
カイが周囲を見渡す。
「もう、完全に領地の中だな」
「ええ、境界は越えてる…」
歩き出すと、足音がやけに大きく響く。
敵はいない。 それなのに、空気だけが重い。
「……何も出てこねぇな」 カイが低く言う。
「普通じゃないわ」
リンはそう答えた。
その直後だった。
地面が、わずかに沈んだ。
「……来る」
リンが低く言う。
次の瞬間、地面が裂け、
黒い腕が這い出してきた。
その腕は人間のもののように見えるが、
節や関節が不自然に歪み、爪は鋭く伸びていた。
「……な、なんだ……?」
カイが剣を構え、目を凝らす。
「……魔将…!」
リンの声は低く、冷静だ。だがその瞳は、
黒い腕から放たれる圧迫感に釘付けになっていた。
腕は地面を叩きつけるたび、砂や岩が粉々に砕け、
亀裂が次々と走る。
その裂け目から、さらに異形の手や肢が蠢き、まるで大地そのものが生きているかのように動く。
「来るぞ、レイ!」
カイが叫ぶ。レイも無言で拳を握る。
魔将の腕が同時に三方向から振り下ろされる。
拳を突き出し、レイは一撃を受け止める。
衝撃で地面が割れ、周囲の砂が巻き上がる。
「――重い……!!」
カイが剣を振るい、飛び掛かる腕を切断する。
しかし切った瞬間、腕はゆっくりと元の形に戻り、
再び攻撃の準備を整える。
「雑魚と同じ再生……じゃねえな」
リンが短剣を握り直す。
大地から這い出す腕は増え、
領地全体が生き物のように蠢き始めた。
空気は重く、呼吸するのも困難だ。
レイは拳を握り締め、
砂煙の中で魔将の腕を睨みつける。
カイも剣を構え、リンは静かに呼吸を整えた。




