囁かれる噂
煌びやかな夜会の大広間。
シャンデリアの光が反射して、まるで昼のように明るい。音楽隊の演奏に合わせ、幾組もの貴族が優雅に踊っている。
わたしは輪の外で微笑みながら、他の令嬢たちと談笑していた。
けれど、その耳に入り込むのは――。
「やっぱり恋愛結婚だって噂よ」
「まあ、侯爵家の嫡男と男爵令嬢ですもの。よほど強いご縁があったのでしょうね」
囁き合う声に、胸がちくりと痛む。
隣の年嵩のご婦人は、涼しい顔で扇を動かしながら言った。
「けれど……釣り合いというものがあるでしょう。いくら風潮が変わりつつあるとはいえ」
その一言に、わたしは笑顔を固めたまま息を呑む。
――一番意味が分からないのは、わたし自身なのに。
そのとき、背後から穏やかな声がした。
「アンネリーゼ様は、とても素敵な方ですよ」
振り返れば、そこに立っていたのはレオンハルト様だった。
彼の声は決して大きくないのに、周囲の空気をやわらかく震わせる。
「……レオンハルト様」
思わず名を呼ぶと、彼は微笑を浮かべてわたしの傍らに並んだ。
その場にいた令嬢たちは目を丸くし、奥にいたご婦人でさえ言葉を失ったように黙り込む。
けれどわたしの胸は、ますます苦しくなっていた。
――どうして。どうして、こんなにも優しいのだろう。
やがて舞踏会がひと段落し、人の流れが緩んだ頃。
レオンハルト様はそっとわたしを人気の少ない回廊へ誘った。
「顔色が優れませんね。やはり噂が堪えているのですか」
「……わたしは、男爵家の娘です。侯爵家に嫁ぐのは、不相応かと」
口にした途端、胸がひりついた。
彼はすぐに否定するでも、無理に慰めるでもなく、ただ静かに首を振った。
「いえ。恋愛結婚が広がりつつあるのは、凝り固まった貴族社会に新しい風を吹き込む好機だと私は思っています」
目を見開くわたしに、彼は続ける。
「だから……アンネリーゼ様も、ご自身の思うように自由に振る舞ってほしい」
その言葉に、胸の奥で何かが跳ねた。
――自由。
街での時間、子どもたちの笑顔、庶民の温かな声。すべてが脳裏によみがえり、どきりとした。
けれど唇から出たのは、かすかな声だけだった。
「……努力いたしますわ」
彼は優しく頷き、もうそれ以上は言わなかった。
夜風にあたってもなお、わたしの心は落ち着かなかった。
自由に、なんて。そんなこと、望んではいけないはずなのに――。