夜会のざわめき
夜会の大広間は、きらびやかなシャンデリアと楽団の演奏に包まれていた。
煌めく衣装に笑顔を貼り付けた令嬢や子息たち。わたしもまたその輪に加わり、完璧な笑みを浮かべる。
「まあアンネリーゼ様、そのドレス、とてもお似合いですわ!」
「ええ、深い緑が本当に映えます。髪のお色との対比が素晴らしいですわ」
「まあ、ありがとうございます。ですが、皆さまのお召し物こそ……」
わたしは自然に微笑みながら、褒め言葉を返す。
「このピンクの絹は春らしくて華やかですわ。レースも繊細で、どれほどの職人が手をかけたのでしょう」
「まあ! お気づきいただけて嬉しいですわ」
「こちらの青いドレスも、胸元の刺繍がとても優美ですこと」
「まあまあ、アンネリーゼ様のお言葉はいつも優しくて……」
輪の中にいるときは、皆が誰かを褒め、また褒め返す。
笑顔と賛辞の応酬。それが貴族令嬢の嗜み。
──けれど、心の中ではため息ばかり。
よくもまあ毎度同じやりとりを飽きもせず続けられるものだ。
「そういえば……」
一人の令嬢が声を上げる。嫌な予感がして、胸の奥が重たくなる。
「先日の夜会で、あの伯爵家のご子息と令嬢が仲睦まじく踊っていましたでしょう?」
「ええ、ついにご婚約なさったとか。お似合いでしたわねぇ」
「しかも恋愛結婚ですって! 素敵だわ」
やっぱり。
ドレスの次は結婚の話題。流れはいつも同じ。
「アンネリーゼ様は、どんなご結婚がお望みでして?」
唐突に矛先がこちらへ向けられる。
わたしは背筋を伸ばし、笑顔を崩さずに言葉を選んだ。
「……そうですわね。ご縁があれば、それで十分かと」
「まあ、落ち着いていらっしゃるのね」
「わたくしなんて、夢ばかり見てしまいますのに」
笑い声が弾む輪の中で、わたしは笑顔を保ちながら、心の奥で小さくため息をついた。
――素敵だとは思う。けれど、わたしにはまだ遠い話。
曲が流れ、ダンスが始まる。断るわけにはいかず、足の痛みに耐えながら優雅に踊る。
仮面の笑顔を貼り付けたままのわたしに、ふと視線が突き刺さった。
――侯爵家の嫡男、レオンハルト様。
穏やかな笑みで、じっとこちらを見ている。目が合った瞬間、胸がざわついた。
なぜ、そんなに見てくるのだろう。
やがて彼は歩み寄り、丁寧に頭を下げた。
「ごきげんよう、アンネリーゼ様」
「ごきげんよう、レオンハルト様」
形式的な挨拶。けれど彼はそのまま長く話し込み、当たり障りのない話題を交わす。
天気のこと、領地の収穫のこと。話題はごく普通なのに、彼の眼差しだけは穏やかで深く、わたしを落ち着かせるどころか、逆に心をざわつかせた。
――どうして、こんなに見てくるの?
別れた後も余韻が胸に残る。
すると周囲の令嬢たちが、待っていたかのようにひそひそと囁き始めた。
「今のご様子……ずいぶん親しげではなくて?」
「もしかして、恋愛結婚に……?」
わたしは慌てて首を振り、微笑んでみせた。
「まさか。お家の格も違いますもの」
けれど令嬢たちは夢見るように笑い、侯爵家なら誰をでも選べると俗っぽい話を繰り返す。
心の中に不吉な予感がじわりと広がった。
視線をそらした先で、再びレオンハルト様と目が合う。
柔らかな微笑みに、令嬢たちの小さな歓声が重なる。
――嫌な予感しかしない。




