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番外編

レオンハルト視点です。

 馬車の中で書類を眺めていたとき、ふと窓の外に目を向けた。

 季節は初夏。緑が眩しく、広場には子どもたちの声が響いていた。


 そこで私は目を奪われた。

 輪の中に混ざって走り回る少女がいたのだ。


 十代の後半、私とそう変わらぬ年頃。

 綺麗に結い上げているわけでもなく、裾に泥をつけて笑っている。

 子どもたちに追いかけられ、転びそうになって、それでも声を上げて笑っている。


 胸の奥を突かれたように、思わず息を呑んだ。

 ――どこかで見たことがある気がする。けれど思い出せない。


 ただひとつ確かだったのは、その笑顔が心を打ったということ。

 あんなにも無邪気に笑う女性を、私は今まで知らなかった。




 数日後の夜会で、私は彼女を見た。

 豪奢なシャンデリアの下、華やかなドレスをまとい、扇を手に静かに微笑む姿。


 紹介された名は――アンネリーゼ・フォン・バルテルス。男爵家の令嬢。


 彼女の姿を見て、私は心臓を打たれる思いだった。

 あのときの少女だ。間違いない。

 けれど、目の前の彼女は完璧な「貴族令嬢」で、あの広場で見た奔放な笑顔の影はない。


 私は彼女と会話を交わした。上品で、穏やかで、誰もが好ましく思うであろう受け答え。

 だが――違う。私が惹かれたのは、この顔ではない。


 心の奥に芽生えた確信と疑念に、私は揺れ続けた。



 後日、どうしても答えを知りたくて、再び街を訪れた。

 広場に足を運べば、やはり彼女はいた。

 子どもたちの輪の中で、声をあげて笑い、泥が頬につくのも構わずに遊んでいる。


 「アン姉ちゃん!」と呼びかけられ、振り返る彼女。

 その笑顔に、迷いはすべて吹き飛んだ。


 ――やはり彼女だ。

 あのとき見た無邪気な笑顔も、今この目の前にある姿も、すべて彼女自身なのだ。


 その瞬間、決意は固まった。

 この人と共に生きたい、と。



 父と母に願い出た日のことを、私は一生忘れないだろう。


「寄り添いたい人ができました」


 そう頭を下げた私に、父は厳しい顔で言った。


「男爵家の令嬢だと? 侯爵家の嫡男が軽々しく言うことではない」


 それでも退かなかった。

 母が口を開いた。


「この子が初めて自分の望みを口にしたのです。……あなた、聞き入れてあげませんか」


 長い沈黙の末、父はようやく頷いた。


「……お前の覚悟に免じて、認めよう」


 その言葉に胸の奥が熱くなった。

 この瞬間から、私は彼女の婚約者になれる道を手に入れたのだ。




 アンネリーゼ嬢の両親には、私の口で説明した。

 「街で見かけた彼女を好きになりました」と。


 驚いた顔をされたが、すぐに優しく微笑まれた。


「アンの気持ちを第一に考えてくださるなら、それで構いません」


 その答えに、胸の奥が温かく満たされていくのを感じた。




 だが、肝心の彼女にはまだ何も話していない。

 街で見かけていたことも、惹かれた理由も。


 それは、彼女自身の口から「自分はこうだ」と打ち明けてほしかったからだ。

 誰に強いられるでもなく、自らの意志で。


 けれど会うたびに、彼女は一線を引いてしまう。

 表情は穏やかでも、どこか遠い。

 焦る気持ちが胸をかすめるが、それ以上に思う。


 ――彼女の日常を壊してはいけない。

 ――あの笑顔を押し込めてほしくない。


 私はただ待つ。

 いつか彼女が心から笑って、打ち明けてくれるその日まで。

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