仮面の令嬢
サロンの中は、令嬢たちの明るい笑い声で溢れていた。窓辺の花々より鮮やかなドレス、飴細工のようにきらめく宝飾品。その輪の中で、わたしは笑顔を張り付けて座っていた。
「先日の夜会で見かけたあのドレス、ご覧になりました? 新しく仕立てたものですって」
「まあ、素敵でしたわねぇ。淡い青色に銀糸の刺繍……あれは都でも評判の仕立屋に違いありません」
「裾のレースも本当に細やかで、わたくしなど一目で欲しくなってしまいました」
──またこの話題か。
わたしは微笑んで相槌を打つ。けれど心の中では、もう何度聞いたか分からないとぼやいていた。
「でもあれ、かなり値が張るのではなくて? あの程度の刺繍なら、城下の職人でも十分ですのに」
「まあ、違いがお分かりにならないの? 銀糸の輝きがまるで月明かりのようで……わたくし、舞踏会の夜に映えるだろうなと想像してしまいましたわ」
「銀糸も素敵ですけれど、わたくしは裾のレースが好みでした。あれは三ヶ月待ちでなければ手に入らないはず」
仕立屋の評判も、流行の色味も、繊細な刺繍やレースの種類も、彼女たちの口から何度も聞いた。どれも昨日も聞いたし、その前も聞いた。同じ話を場所を変えて繰り返すだけ。それなのに、皆飽きもせず楽しそうに語り合う。
よくもまあ、毎回同じ話をして飽きないものだ。
「そういえば……」
ひとりの令嬢が思い出したように声を上げる。
嫌な予感がして、胸がわずかに固くなる。
「先日の夜会で、あの伯爵家のご子息と令嬢が仲睦まじく踊っていたでしょう?」
「ええ、聞きましたわ。ついにご婚約なさったのですって」
「しかも恋愛結婚ですのよ。羨ましいこと」
――やっぱり。
ドレスの次は、結婚の話題。流れはいつも同じだ。
「アンネリーゼ様は、どんなご結婚がお望みでして?」
唐突に矛先がこちらに向けられ、思わず背筋が強張った。
けれど令嬢としての仮面は崩せない。にこやかに微笑んだまま、当たり障りのない答えを口にする。
「……そうですわね。ご縁があれば、それで十分かと思います」
「まあ、落ち着いていらっしゃるのね」
「わたくしなんて夢ばかり見てしまいますのに」
笑い合う令嬢たち。
わたしも笑顔で頷くけれど、胸の奥では小さくため息をついていた。
――素敵だとは思う。恋愛結婚が流行しているのも分かる。
でも、わたしにはまだ遠い話。今はただ、こうして“令嬢”を演じているだけ。
サロンを辞した後、屋敷に戻ると糸が切れたように体が重くなる。ドレスを脱ぐのも面倒で、そのままベッドに横たわった。
「お嬢様、ドレスのままお休みになるなんて……」
すぐに侍女のマリアの声が降ってきて、わたしの肩をそっと揺らす。
困ったように眉をひそめているのが目を開けずとも分かる。
「……ごめんなさい。少しだけ」
申し訳ないと思いながらも、どうしても体が動かなかった。
昼間の話が、頭の中で何度も反芻される。
ドレスの色だの刺繍だの、どこそこの仕立屋がどうのこうの。
最後にはやっぱり結婚の話題で、恋だの愛だのと浮き立つ声。
思い返すだけで胸が重くなる。
――わたし、本当に貴族令嬢に向いていないのかもしれない。
にこやかに振る舞い、当たり障りのない返事をすることはできる。
けれど、心の奥底では退屈と息苦しさばかりが募っていく。
仮面の笑顔を貼り付け続けるだけで、こうしてぐったりと動けなくなってしまう。
目を閉じると、次の休日のことが自然と浮かんだ。
あの市場のにぎわい、子どもたちの笑い声、甘いパンの香り。
ほんのひとときだけれど、わたしが“令嬢”ではなく“ただのアン”でいられる時間。
――早く、休日にならないかしら。