一.プロローグ
「太郎、太郎や……」
暖かい声に太郎はゆっくりと目を開けた。微笑みながらこちらを見る先生に驚いて太郎は飛び起きた。
「イカロス先生、おはようございます。どうして、ここへ?」
「寝ぼけているのかい? 君は昨日から修行のために、私の部屋にきているんだよ」
ああ、そうだった。太郎は慌てて飛び起きてぼんやりと部屋を見回した。やさしさで溢れた暖かい場所。一生ここで暮らしていけたらいいのに。
「さあ、太郎。朝食を食べたら早速、朝練を始めるよ。今日は君にダブルクラッチを教えてあげよう」
「ええー、あの先生の十八番をですか。早く食べないと」
太郎は夢中で暖かいスープを口にほおばった。イカロスは優しい笑顔で食べ終わるのを待った。
※
コートに到着後、イカロスがにこやかに話し始めた。
「さて、まずはジャンプをすることから始めよう。見ていて」
イカロスが助走をしてリングに向かってジャンプした。まるで空中を優雅に歩くかのようなその姿を太郎はうっとりと眺めた。
「じゃあ、太郎もやってみて」
太郎はイカロスを真似して力いっぱいジャンプをした。ぴょーんと飛び跳ねた太郎はイカロスの半分にも届かない場所で着地して、はずかしくて顔を真っ赤にした。
「この年齢で私の半分まで到達するなんて。やっぱり太郎はジャンプ力があるね。これをもっと伸ばせば、私なんか簡単に追い越せる」
「えぇ、先生を追い越すなんて絶対に無理です」
「大丈夫、太郎。自分を信じて練習をすれば必ず努力は実る」
イカロスの言葉に太郎は嬉しくなって、ある事を思い出してもじもじとした。
「どうしたんだい?」
「えっと。エレメンタル・ドライブをおしえてもらいたいんです。それと、アルティメット・ダンクも」
驚いた顔をしたイカロスはすぐににこやかな顔になった。
「君がそう言ってくれて私もうれしい。喜んで教えるよ」
イカロスに教えられてぐんぐんと成長するのを太郎は感じた。これならあのガルヴァンにも勝てるかもしれない。そして、先生を助けることも。
「イカロス― 呑気に子供と遊んでねーで、おれと勝負しろ」
驚いて太郎が振り向くとガルヴァンとその仲間のバッドボーイズたちが、にやにやとした顔で立っていた。
「また来たのか。この間のような卑怯な手は二度と喰わんぞ」
イカロスは厳しい顔をしてガルヴァンを睨んだ。君はここにいなさい。イカロスは優しく太郎に微笑んだ。
(だめだ)
太郎は震えて声が出なかった。あの時の恐怖の記憶が蘇った。バッドボーイズたちに羽交い絞めにされてボロボロになった先生。そして、突然に姿を消した。また僕を置いてどこかに消えてしまう。なんとかしないと。
「この間は後一歩のところで逃げやがって。今度は容赦しねー」
ガルヴァンたちが太郎とイカロスの周りを囲った。
「太郎。よく聞くんだ。私は異世界で、ある大事な事を学んだ」
(異世界? 突然、先生は何をいってるんだ?)
「仲間のために戦う、そうすることで思わぬ力を生み出すことができる事に」
不意に太郎の頭の中にぼんやりと映像が浮かんだ。これはどこだ? 知らない場所。男の子がこっちを見て笑っている。何故か懐かしいその顔。先生の笑顔と重なった。異世界……思い出した。彼は向こうの世界の山下太郎……。
「君に眠る力。今こそ開放する時が来た。一緒に戦おう、太郎」
イカロスが太郎をみて優しくうなずいた。僕に眠る力。そして、信じる心。僕は向こうの世界で先生に助けられた。今度は僕が助ける番だ。
「何をぐちぐち言ってやがる。食らえ 全力開放 魔力スラッシャー」
巨大な豪炎にくるまれたボールが二人めがけて飛んできた。
「先生、いきましょう。せーのーエレメンタル・ドライブーーーからのアルティメット・ダーーーンク!!」
太郎とイカロスは一緒に声高々に叫んだ。二人の周りを眩いオーラが囲んだ。燃え盛るボールを二人で受け止め、ガルヴァンとその仲間たちめがけて投げ返した。
※
パタン
山西里奈。東山中学二年 バスケットボール部 女子キャプテン。学校の帰りに買ったライトノベル、『Dunk of Destiny 第二章 伝説のイカロス編』の出だしに目を通した後、あきらめたように本を閉じた。
(ん……ちょっと私には無理かなーー)
読みやすいのは認めるが、これをバスケとよんでいいものか。はーとため息をついて買ったことを後悔した。
「この表紙の顔、どこか懐かしい気がして思わず買っちゃたけど。主人公のイカロスという鳥人? 人間ができすぎているというか、もうちょっとドジな感じの方が、おもしろい気がするんだけどなぁー。あと異世界ってのも、いまいちピンとこないし」
「何独り言いってんの? あれ、珍しい。ねーちゃんが小説なんて読んでるの初めて見た。てっきりバスケにしか興味ないかと思ってた」
慌てて振り返ると弟の春樹が目を丸くして立っていた。
「こら、入る時はノックしてって」
里奈は顔を赤めて本を隠した。
「開けっ放しにしてぶつぶつ話してたら誰でも気になって覗くよ。で、何読んでたの? イカロスがどうとかって聞こえたけど。いらないなら僕がもらうけど」
春樹は興味深そうに里奈の持つ本を見つめた。そういえば弟はこういうのが好きだったな。
「ん……ほしければあげるよ」
「なんだ、ダンデスの二章か。あんま人気ないんだよなーこれ」
そうなんだ。里奈は驚いて弟をみた。
「主人公がシュウの時はかっこよかったんだけど、二章のイカロスがいまいちなんだよな。うまいのは認めるけど、派手さがないというか……必殺技もシュウの物まねだし」
ふーん。里奈は表紙を見て何だかかわいそうに思えてきた。いい人そうなんだけどなぁ。
※
二人の様子を異世界モニターで見ていたシュウは顔を曇らせた。
「第二章の売上が思いのほか伸びない。イカロスではインパクトが足らんか。太郎もまだ未熟。ガルヴァンも魔力スラッシャーの一点張りだし、なんとかせにゃいかん。ここはもう一度、異世界に飛ばして、成長してもらう以外ないかのぉ」
モニターがぱっと変わった。煤だらけの顔をして呆然とするガルヴァンとバッドボーイズたち。その前でイカロスと太郎が笑っている。
(お楽しみ中に悪いが……)
シュウが目を閉じて呪文を唱えた。
「ア、ブダ、ぱらぺったん、ぽーつのほいっ」