08.「寝床を探す」
神殿の水場の中心には、やはり変わらない様子のヒュラナスが立っていた。
ただ、傾いた太陽の光が神殿に射し込んで、彼女の姿をこれまで以上に幻想的に飾っている。
綺麗な髪の毛が光に溶け込むようで、さらにスケスケ衣装もキラキラと輝いていて眩しい。
神無月もさすがに彼女の姿を見て、一瞬我を忘れたように呆然としていたようだ。
俺と神無月が何も言わずにヒュラナス近づいて行くと、ヒュラナスは目を閉じているにもかかわらず、神無月の存在に気づいた。
「ユッキーよ、お帰りなさい。
おや……新しい仲間が見つかったようですね。
その方はあなたの恋人ですか?」
「えっ!?」
思わず神無月が驚いた声を上げる。
俺もさすがに肯定するわけにはいかず、照れるように否定した。
「い、いやあ。恋人だなんて……」
「では、赤の他人ですね」
「……ちょっと待て。何でそんなに極端なんだよ。
もっと中間とかあるだろ? 友達とか!」
「あら、お友達だったのですね。
これは失礼しました」
「調子狂う……。
それにしても、またユッキーって。その呼び方どうにかしてもらえないのか」
「フフフ。
あなたに親しみを込めて、そう呼んでいるのですよ」
すると、それを横で聞いていた神無月が、俺に向かってボソッと言った。
「…………。
じゃあ、わたしもユッキーって呼んでいい?」
俺は、疑わしげに神無月を半目で見た。
ってか、ヒュラナスは「親しみを込めて」って言ってるんですが。それでいいんですか、お嬢さん……。
「……と、ところで、ヒュラナスさん。
彼女もやっぱり、ここに到達したばかりで何もわからないみたいなんだ」
俺がそう言うと、ヒュラナスは、俺と初めて会ったときと同じセリフを神無月に向けて繰り返した。
「そうですか。よく来ましたね、さまよう者よ。
私の名はヒュラナス。エルフたちを『導く者』です。
私は旅立つ者たちの道標となる存在。
何かわからないことがあれば、遠慮なく訊いてください」
そう言われた神無月は、どう切り替えして良いのか困っているようだ。
俺がそのまましばらく待っていると、彼女はおずおずと口を開いた。
「え、えっと……。
何でも訊いていいんですか?」
「もちろん、構いません。
無論、この世界の真理のような、私に答えられない質問でなければ、ですが」
「……その恰好、寒くないんですか?」
ドテッ。
気になるのは、そこかよ!
いやいや、俺も別の意味で気になるけど、最初の質問がそれとは想像してなかったよ!
「フフフ。
これはエルフの伝統装束で、寒くはありません。
エルフは元々、風と水の精霊に近い存在。
こうして風と水が感じられる状態であれば、それはむしろ心地よいとすら言えるのです」
「は、はあ。そうなんですね」
「何でしたら、あなたも着てみますか?」
「い、いえ……遠慮します。
わたし、エルフじゃありませんし。
そう言えば、さっき『エルフを導く』と仰っていましたけど、エルフでなくても大丈夫なんですか?」
神無月が問いかけると、今度は目を剥くことなく、ヒュラナスは穏やかに答えた。
「ええ。もちろん構いません。
あなたが無垢な冒険者なのであれば」
「無垢?」
「わかりませんか? 心当たりがあるでしょう。
無垢とはつまり、異性との関わりを持たぬ、処じ……」
「!! きゃあああああああああ!!!! いやああああああ!!」
どわっ!? 突然の大声にびっくりした!!
神無月は両手を振って、ヒュラナスの言葉を思いっきり遮っている。
彼女の顔は一気に真っ赤になって、この場に居合わせた俺を、恨めしげに振り返った。
「だ、大丈夫!!
俺、何も聞いてないよ? 処女とか!」
「……松嶋くん、キライ」
神無月はむくれて、そっぽを向いてしまった。
いやいや、今のは俺が悪いわけじゃないよね……!?
「フフフ。
それはそうと、ここへ戻ってきたのは、何か訊きたいことがあったのではないですか?」
ヒュラナスの問いかけに、俺は思い出したように話し始めた。
「そうだった。
神無月も俺と同じように、武器がもらえたり、クエストが受けられないかなと思って。
差し当たっては資産が無いのに困っているんだ」
すると、ヒュラナスは微笑みながら答える。
「はい、旅立つものを導くのは、私の役割ですから。
お名前は……カンナヅキさんで良かったですか?」
「あ、はい。
神無月秋葉です」
「では、アキハさん。
あなたに資産と最初の武器を授けますね」
すると、神無月は少し言いづらそうに、それに口を挟んだ。
「あ、あの――!
わがままかもしれませんが、松嶋くんを、サポートするようなものにしてもらうことはできますか?」
俺はふと神無月の方を見た。
そこで俺の視線が、恥ずかしげな彼女の視線とぶつかる。
俺をサポートというところで、何だか俺の胸が熱くなった。
神無月……なんていい子なんだ!
「実はさっき、ちょっとだけ武器で戦ったんですけど……やっぱりわたし、あまり向いてないようで」
……いや。
むしろ素晴らしいカウンターとオーバーキルで、無類の戦闘力を見せていたような気がしないでもない。
「なるほど。
これから旅立つものは、物理戦闘か魔法戦闘のどちらを主にするのかを選ぶことができます。
であれば、あなたは魔法戦闘を選んで、ユキの補佐をすると良いでしょう」
……待て。
そんな選択肢があるなんて、俺、全然知らなかったぞ!?
俺の時は問答無用で、棒っ切れがコロンと落ちてきたような気がする。
「は、はい!
そうします。魔法戦闘ができるようにお願いします」
神無月がそう言うと、ヒュラナスの足下に何かがカシャンと落ちた。
音からすると、木ではなく金属のようである。
「さあ、武器を手にしなさい」
そう言われた神無月が、足下に落ちた武器を手に取る。
それは、手の平から肘ぐらいの長さの、金属製の棒のような杖だった。
……ってか、木の棒っ切れより、数段こっちの方が良くね!?
金属の杖で殴った方が、木の棒で殴るより、どう考えても強いよね……?
「その『初心者の杖』があれば、一番初期の攻撃魔法と簡単な回復魔法が使えるでしょう」
「いやいや、待った待った!
確か魔法はフラリアに行かないと、習得できないって……」
「物理攻撃を選んだ者は、フラリアに行かなければ魔法は習得できません」
「————」
ち、ちくしょう。
俺、選んだ憶えないのに……。
「魔法はどうやって使うんですか?」
そう訊いた神無月の目は、気のせいかキラキラと好奇心に輝いているようにも見える。
「攻撃魔法は、杖を対象に向けて【火炎】と唱えるだけです。
回復は、同じく杖を対象に向けて【回復】と唱えてください」
「あ、簡単なんですね」
「初期の魔法は武器の力だけで使うことができます。
ですが、中級以上になると、道具だけではなく、本人の能力や適性が必要になってきます。
優れた魔法を使うためには、恐らくお金も必要になることでしょう。
それと、魔法は何度も連続して使うことができません。
杖の握りのところに、光っている部分があるのがわかりますか?」
そう言われた神無月は、自分の持つ杖の柄の部分を見つめた。
俺がそれを横から覗き込むと、持ち手の部分にインジケーターのような光が二つ灯っている。
「赤い方が【火炎】、白い方が【回復】を表しています。
一度魔法を使うとその光が消えて、再び光が灯るまで同じ魔法は使えません」
「なるほど。
結構考えて戦わないとダメなんですね」
ちょっ……何かそっちの方が、随分と面白そうじゃね?
何で俺は、木の棒必死に振って、戦ってるんだよ!
「では、次に資産を授けます。
使い方は……ユキが知っています」
「あ、端折ったな」
「フフ……。
お互い仲間同士で、助け合うのも重要なことです。
……さて、アキハ。
導く者は武器を装備して強くなったあなたの『状態』を、可視化することができるのです。
一度、ご覧になりますか?」
「可視化……?
あ、はい。見ます」
神無月はどう理解したのかわからないが、素直にヒュラナスの言うことを受け容れた。
ヒュラナスは目を開くと、両手を神無月の方へと差し出す。
すると、彼女の両手のひらの上に、何やら光る文字が浮かび上がってきた。
「……これは?」
「これが、今のあなたの『状態』です。
確かめてみてください」
神無月はしげしげと、自分の『状態』を見ているようだ。
「すみません、これ……【友 好】ってところの、AとかDは何を意味してるんですか?」
やっぱり俺とおんなじ質問してるや。
……ん? あれ? A???
「それは、あなたのその人物に対する好意度を表しています」
「好意度……。
!!!! だ、だめっ!! 見ないで!!」
俺が覗き込もうとした瞬間、ものすごい勢いで拒絶されてしまった。
「フフフ……大丈夫ですよ。
視覚化された『状態』を見ることができるのは、導く者と、本人だけです」
「な、何だ。そうなんだ……」
神無月はそれを聞いて、随分とホッとした表情だ。
そんなに俺に覗かれるのがイヤなんですか……。
「……好意度A」
俺がいじるようにボソッと呟くと、神無月はビクッとした後に、慌てて取り繕うように言った。
「う、家に真っ白な『スノー』って名前の犬がいるの。
その犬が……Aだったの」
ガクッ。
何だ、飼い犬かよ!
……まあ、気を取り直して、ヒュラナスに訊いておくべきことを訊いておこう。
「ヒュラナスさん。
もうそろそろ、日が暮れてしまいそうなんだけど」
「そうですね。
夜は魔物が強くなりますから、より気をつけなければなりません」
「まさか寝ずに一日中戦い続けるわけにはいかないけど……。
どこか安全に寝られるところはあったりするのかな」
すると、ヒュラナスは神殿の一角を指差した。
「ご覧なさい。あの床に書かれた紋章がわかりますか?」
「紋章……?
あっ、確かに何か描いてある」
少し近づいて見ると、複雑な文様が石造りの床に刻まれていた。
ふと見渡すと、どうやら神殿の四隅に同じ紋章が彫り込まれているようだ。
「これは結界です。結界の内部には、連れて入らない限り魔物が近寄りませんし、中で魔物が生まれることもありません。
また緩やかではありますが、体力の回復効果も得られます。
この結界の中で眠れば、安全に朝を迎えることができるでしょう」
「おぉ……」
まさに求めていた答えだ!
「すみません。
ここから離れてしまった場合は、どうすればいいですか?
やっぱり日が暮れるまでに、町や村に戻る……?」
俺の横から、神無月がヒュラナスに質問していた。
でも、俺はその質問の内容にちょっとだけ驚く。
神無月は、早くもここから別の場所へ行った時のことを考えているのだ。
「基本は町に戻るということになるはずです。
ですが、エランシアには何箇所も結界が張られた場所が存在します。
また、特殊なアイテムを得られれば、何もない場所に結界を張ることもできます」
「ヒュラナスさん。
俺は明日の朝にも、フラリアの町に向かいたいと思っている。
フラリアに行くまでにも、そういう結界はあると思っていていいかな?」
俺がそう言うと、ヒュラナスは気のせいか少し寂しそうに笑った。
「ええ。もちろんあります。
ここは多くの無垢な冒険者が旅立つ地。
結界が張られた場所は、比較的多く存在しています」
「そっか、良かった!
……でも差し当たっては、今日はここで寝てしまってもいいのかな?」
俺がヒュラナスに確かめるように訊くと、彼女はそれを聞いて目を閉じたまま笑みを浮かべた。
「ええ。もちろん構いません。
神殿の左右に小部屋が二つありますから、そこで分かれてお休みいただくことも可能です。
無論、同じ一つの部屋を希望されるのであれば、それでも構いませんが」
「ゴクリ……。
ひ、一つの部屋……!」
「じゃ、じゃあ、松嶋くん、わたしは左側のお部屋を使うね」
神無月はそう俺に告げると、サササッと左の小部屋に移動していく。
うう……まあ、そりゃそうか。今日はさすがに俺も疲れたしな……。
そうして、その日、全くの別世界に到達した俺と神無月は、ヒュラナスのいる神殿で夜を過ごすことになった。