07.「レクチャー」
一通りのことを神無月に話すと、彼女はその情報量と内容に、しばらく目を白黒させていた。
無理もない。体感した俺自身でさえ、今起こっていることが本当に現実なのかどうかがわかっていない。
ただ、現実問題として、俺と神無月はこうして会話を交わしている。
それに、目の前で俺と同じ恰好をしている彼女が、夢の中の存在だなんて、悲しいことは考えたくもなかった。
「別の世界って……。
色々と信じがたいけど、本当に起こっていることなのね」
「ああ、少なくとも俺はそう感じている。
……ところで、神無月のことも教えてくれないか?
ここにどうやって来たのか。何か覚えてることはない?」
俺がそう問い掛けると、神無月は目を伏せて首を横に振った。
「ごめんなさい、何となくプールで溺れたところまでは覚えてるの。
でも、その後真っ暗になったと思ったら、気づいたらもうここにいて……」
「なるほど」
彼女と俺とでは、ここに来るまでに辿った経緯に違いがある。
つまり、俺だけが『時間の停止』を、体験したことになるようだ。
だとすると、あの『声』に遇ったのも、俺だけということになりそうだ。
俺はひとまず、『時間の停止』と『声』のことを、神無月には話さずに伏せておくことにした。
今後、機会があれば、彼女にも詳しく話す時が来るのかもしれない。
ただ、今の状況において『時間の停止』と『声』のことを神無月に話すことが、どのような作用をもたらすのか、判断ができない。
話すこと自体は、いつだってできるのだ。
一旦伏せた上で、今後必要に応じて、話す機会を窺うことにしよう。
「それで、この後どうすればいいの?」
不安そうな眼差しで、神無月が俺に尋ねた。
気のせいか、先ほどから太陽が傾いてきているような気がする。
ひょっとしたら日没の時間が、近づいて来ているのかもしれなかった。
であれば少しでも、安全な場所に移動した方がいい。
そして、俺が知り得る一番安全な場所は――ヒュラナスのいる場所だ。
「ヒュラナスさんのところに行こう」
「ヒュラナスさん……?」
「さっき言ったエルフの女性のことさ。
神殿みたいな建物の中にいる、とてもいい人で、しかも服がスケスケだ」
「……スケスケ?」
「い、いや、最後の情報は余計だった。
とにかく困ったことがあったら、何でも相談に乗ってくれるいい人だよ。
ただ――」
「? ただ?」
「そこに行くまでに魔物がいるんだ。そいつらと戦いながら、移動しないといけない」
「ま、魔物???」
「そう、魔物。
……といっても、この近くにいるのはでっかいネズミとか、やたら飛び跳ねるウサギとかそういうのだけどね。
でも、戦わなかったら、こっちがやられてしまう」
「本当に、別の世界なんだ……」
「それを受け容れるのは簡単じゃないと思う。俺もヒュラナスさんに会わなかったら、そう簡単には受け容れられなかった。だから、神無月もヒュラナスさんに会った方がいい」
「わかったわ。ありがとう、松嶋くん。
案内をお願いしてもいい?」
「もちろんさ。俺の後に付いてきて」
俺はそういうと、彼女の前に立ち、先導を始めた。
しばらく歩くと、ヒュラナスがいる神殿が目の前にまで迫ってきた。
もはや太陽はそれと判るぐらいにまで傾いていて、少し夕焼け空になっている。
俺はそこでふと思い立つと、一旦足を止めた。
そして、神無月の目の前に、木の棒を差し出す。
「神無月、ちょっといいかい?
これを持ってくれ」
「……?」
彼女は素直に俺の差し出した木の棒を受け取った。
「この世界……エランシアっていうらしいんだけど、さっきから見ての通り魔物がいるんだ。
それで、ここにいる以上、魔物と遭遇したら身を守るために神無月も戦わないわけにはいかない」
「……う、うん……」
「じゃあ、一度、戦ってみよう」
「うん……。えっ?
た、戦うって、魔物とわたしが!?」
「そう。
ひとまず、あそこにいるジャイアント・ラットと、神無月が戦う」
「そ、そんなぁ……。
ううぅ……どうしても、やらないとダメ?」
くっ……上目遣いは反則だろ!
でも、神無月の今後のことを考えると、やっぱりここで一度戦闘を経験しておいたほうがいい。
でないと、この後魔物が強くなるようなことがあれば、戦いを経験すること自体が難しくなってしまう。
「ダメ。俺だって通った道だよ。
大丈夫。魔物をよく見れば、攻撃は避けられるし、俺もすぐ側にいるから」
「わ、わかった。やってみる」
意外にあっさりと、戦うことを受け入れたように思った。
彼女は木の棒を両手で握ると、俺が指し示したジャイアント・ラットの前に立つ。
「もう少し近づいたら恐らく気づかれて、こっちに襲いかかってくると思う。
でも、焦らず敵の動きを良く見て。
きっと真っ直ぐ向かってくるから、横に避ければ攻撃は必ず避けられるはず」
神無月は無言で頷くと、ジリジリとジャイアント・ラットに近づいていった。
すると、ジャイアント・ラットが彼女の存在に気づいて、小さく声を上げる。
「来るぞ……!」
「……!
えいっ!!」
彼女は向かってくるジャイアント・ラットを全く避けなかった。
それどころかすれ違いざまに、木の棒を振るってジャイアント・ラットを叩き落としたのだ。
気のせいか、メチャクチャ素晴らしいタイミングのカウンターだったようにも思う。
「おおぉ……」
俺が感嘆の声を上げているうちに、神無月は地面に落ちたジャイアント・ラットに追いすがって、その身体を木の棒でメチャクチャに叩きまくった。
「えいっ! えいっ!!」
可愛い掛け声とは裏腹に、哀れなジャイアント・ラットは、ボコボコに木の棒を叩きつけられている。
「か、神無月! ちょっと待った!!」
どう見てもジャイアント・ラットは、既に息絶えている。
神無月はそれに気づかずに、ずっと動かないジャイアント・ラットを叩き続けていたのだ。
明らかに、殺しすぎなんですが……。
「……もう、大丈夫?」
「あ、ああ。
スゴイよ。上手く戦えるじゃないか」
「でも、怖かった……」
微妙に死体を叩きまくってた神無月の方が怖いような気がしないでもないが、俺は若干引きつる笑みを浮かべながらも、神無月が倒したジャイアント・ラットを確認した。
ジャイアント・ラットはいつもと同じように、空気に溶けるように消えてしまったが、少量のコインを落としただけで肉は落としていない。
俺はコインを拾い集めると、神無月の前に差し出した。
「はい。今の魔物が落としたコインだよ」
「あ、ありがとう……。
でも、そんなのを落とすのね。何だかホントにゲームみたい」
「俺もここに来てそう思った。
そもそも物理法則とかガン無視だからね……」
神無月は俺の手からコインを受け取りはしたものの、それを収めるスペースがなくて少々困っているようだ。
「そっか、資産が……」
「資産……?」
俺は神無月に自分の資産を見せると、それがどういうものなのかを簡単に説明した。
「すごい……そんな便利なものがあるのね」
「俺もコイツはヒュラナスさんからもらったんだ。
神無月の分ももらえないか、早速ヒュラナスさんに訊いてみよう」
俺はそう言うと、神殿の中へと神無月を伴って入っていった。