05.「自分に何が起こっているのかを知る」
俺が神殿まで戻ると、ヒュラナスは変わらず水場の真ん中に立っていた。
目は閉じたままだから、俺の姿の変化にも気づいていないように思える。
俺が無言で彼女に近づいていくと、足音で俺だとわかったのか、ヒュラナスはニッコリと微笑んだ。
「ユッキー、おかえりなさい」
「……何だ、その呼び方は」
思わずその呼び方で、元の世界の佐々木桜のことを思い出してしまった。
「いけませんか?
親しみを込めて、こう呼ぶようにしてみたのですが、お気に召さないようですね」
「別に構わないけど、妙に馴れ馴れしい」
「良いではありませんか。
知らない仲でもありませんし」
「聞く人が聞いたら、何か誤解を受けかねない言い方だ」
「フッ……」
「それだ。
その『フッ……』っていうの、頼むからやめようぜ……」
ヒュラナスは相変わらず余裕の笑みを浮かべると、そこでうっすらと目を開いた。
「おや、もう毛皮のベストとパンツが手に入ったのですね」
それに気づいて欲しかった俺は、自慢げに伝えた。
「ヒュラナスさんに教えてもらった通り、ラピッド・ラットを倒したら上手く入手できたよ。
お陰で素っ裸の状態から、ようやく卒業だ」
「あら……。
それはそれで、残念ですね」
ヒュラナスはそう言うと、フフフと妙に悪戯っぽい笑い声を上げた。
……何だ? 急にお姉さんキャラになったぞ。
でも、アナタ……俺の裸なんて、ずっと目を閉じてて見てなかったでしょうに。
「毛皮のベストとパンツは、本来どちらも1%程度の確率でしか手に入りません。
両方を揃えようとすると、それはそれなりにまとまった数のラピッド・ラットを倒す必要があります。
この短時間で両方を揃えることができたというのは、本当に運が良かったようですね」
…………。
思いっきり一匹目のラピッド・ラットが、両方揃った状態で落としたような気がする……。
ど、どうしよう。あらゆる運気を、最初に使い切ってしまっているのかもしれない。
「ユキ、ところで戻ってきたのは、何か用があったのではないですか?」
「そ、そうそう! そうだった。
一度戻ってきたのは、フライング・ビートルがいる場所を教えて欲しいと思ったからなんだ。
できればフライング・ビートルも倒して、防具を揃えたいと思ってね」
「なるほど、わかりました。
フライング・ビートルは、私の後方から神殿を出て真っすぐ行った先によく現れます。
少し丘のようになっている場所がありますが、その丘を超えた向こう側です」
「丘の向こう——。
なるほど、結構先に進まないとダメなんだな」
「そうです。
でも、そろそろ行動範囲も広がって来ましたね。
その調子で装備が揃ってしまえば、きっとフラリアにも到達できるはずです」
「そっか、そうだよな。ありがとう。
でも、自分の強さってなかなか実感しづらくて……」
俺がそう言うと、ヒュラナスは少し楽しそうに笑ってから言った。
「フフフ。ユキ、あなたの状態は、新しい防具を装備したことで更新されているはずです。
今一度ご覧になりますか?」
「ああ、確かめてみたい。
お願いできるかな?」
俺がそう答えると、ヒュラナスは以前と同じように目を開いて、手元に光る文字を紡ぎ出した。
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【状 態】良好
【装 備】ナイフ/攻撃力上昇(F+)、毛皮のベスト(F+)、毛皮のパンツ(F+)
【友 好】黒川大樹(E)、佐々木桜(E)、神無月秋葉(C)、ヒュラナス(D)
▼
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おお……少し変わってる。
あっ、F+なんて段階があるのか。
しかも、よく見たらヒュラナスへの好意度が一段階上がっている。
危ないところも助けてもらったし、ある意味当然の結果と言えるのかもしれないが……。
とはいえ、このまま愛にまで行き着いたら、どうしようという話だな。
……まあ、その場合は多分に歪んだ愛のような気もする。
にしても、最後にはやっぱり「▼」の表示があった。
前回はバグって上手く表示されなかったが、今回は続きがちゃんと見えるだろうか……?
状態を見ていたヒュラナスも同じことを考えたのか、一瞬俺の目を見てから、一度両手を閉じた。
「……では、続く表示をしますね」
そう告げてからヒュラナスが、再び手を開いた瞬間――。
俺はそこに現れた文字を見て、思わず目を見張ったのだ。
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【特 殊】ドロップ率1000000倍
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「み、見えた……!!
は……? イチ、ジュウ、ヒャク……100万倍???
何だ? このドロップ率って」
ヒュラナスは目を剥くような表情で、その文字を興味深げに覗いている。
「こ、これは……。
ドロップ率というのは、倒した魔物たちが素材やアイテムを落とす確率のことを言います。
それが、これだけ高められているというのは……。
あなたはどういう経緯なのか、非常に強い幸運を持って、この世界に到達したようですね」
「……どうやら、そうらしいな」
俺はあの不思議な『声』を思い出しながら、神妙にそう答えた。
俺は『声』——ヤツの要求に従って、いくつものアイテムを集めなければならない。
そして、ヤツは俺のアイテム収集をサポートすると言っていた。
「ですが、その幸運は人が羨むもの。
導く者たちは見たものの秘密は守りますが、みだりにその幸運を口にしない方が良いでしょう。
他からの強い嫉妬は、あなたに不幸をもたらすかもしれません」
「確かにそうだ……。
ヒュラナスさん、アドバイスしてくれて助かったよ」
俺がそう感謝すると、ヒュラナスは再び目を閉じてフッと笑った。
「色々ありがとう、ヒュラナスさん。
フライング・ビートルの装備を手に入れたら、またここに戻ってくる。
次はフラリアに行くにはどうすればいいのかを、教えて欲しい」
「わかりました。
お気をつけて。フラリアへ旅立てるのも、もうすぐです」
俺はその話を聞いて微笑むと、ナイフを構えて再び神殿を飛び出していった。
……そして、そのせいで俺は、ヒュラナスが呟いた言葉を聞き取ることができなかった。
「ユキ、そしてフラリアに旅立つ時が、私とあなたのお別れの時です——」
◇ ◇ ◇
向かってくる魔物を叩き落とすと、そいつは地面に落ちて、溶けるように姿を消した。
代わりにジャラリとコインが落ちる音と、何か硬いものが落ちた音がする。
俺はその硬いものを手に取ると、その物体を色々な角度から眺め回した。
……やはり、どこからどう見ても、それは平凡なヘルメットにしか見えない。
しかもそのヘルメットには、取ってつけたようにカブトムシの角が生えている。
これは……かなりダサいな。
いや、超カッコ悪い……。
俺が手に取っていた物体は、フライング・ビートルのドロップアイテムだった。
やはり、倒した一匹目で、ドロップしたアイテムだ。
ヒュラナスに教えてもらった通りの場所には、でかいカブトムシのような魔物が飛んでいた。
無論でかいといっても、人間の頭ほどの大きさで、食われてしまうような巨大なやつではない。
ただ、意外とすばしっこくて、なかなか攻撃を当てることができなかった。
俺は仕方なくナイフでの攻撃を諦め、木の棒に持ち替えた。
すると、それまでの苦労が嘘のように、あっさりとフライング・ビートルを叩き落とすことができた。
武器の強さで言ったら、ナイフ>木の棒な訳だが、ひょっとしたら武器ごとに得意とする敵の種類が違っていたりするのかもしれない。
もしそうなのであれば、木の棒よりナイフの方が強い武器だからといって、木の棒をおいそれと処分することはできなくなってしまう。
敵に合わせた武器が必要になるのであれば、なお一層資産の大きさは重要だ。
大きな資産を持っておかないと、数多くの武器をキープしておくことができない——。
……と、それはさておき、ひとまずは目の前のヘルメットだ。
何だか倒したフライング・ビートルよりも、ドロップしたヘルメットの方がサイズが大きいような気がしないでもない。
ただ、そのあたりを細かく考えていると、知恵熱が出てしまいそうなので、深くは考えないでおく。
「これ、ホントに被るかぁ……?
う〜ん……」
半パン姿もどうかと思うのに、さらにそれに加えて、カブトムシの角つきヘルメットを被るのである。
さすがに抵抗感があったが、よくよく考えれば、そもそも誰にも見られていない。
俺の近くに存在するのは魔物ばかりであって、唯一話ができる人物は、ヒュラナスただ一人。
そのヒュラナスは、いつも目を閉じているし、パンイチの俺にも全く驚かなかった。
だから、俺がカブトムシヘルメットを被っていたところで、絶対に驚いたりはしないだろう。
そう考えた俺は、手にしたヘルメットを頭に載せた。
……うおぉ??? 何だろう?
頭に載せただけにもかかわらず、全身が固く強くなった感覚がするぞ!?
この世界の装備は、見た目で判断しちゃいけないということなのか。
ビートルヘルメットを手に入れた俺は、ひとまずヒュラナスの元へ戻ることにした。
このエランシアにたどり着いてから、どれくらいの時間が経ったかは分からない。
幸い空の太陽は、まだ高い位置にあった。
フラリアまでの距離はわからないが、どちらにせよ早めに行き先はハッキリさせておいた方がいい。
俺はそう思って、神殿へ戻る方向へ進み始めた。
——そして、その出来事は、歩いて数分も経たない時に起こった。
俺の真後ろの方向から、目も眩むような強烈な光が立ち上ったのだ。
「……!! な、何だ!? 何が起こった!」
相対的に一瞬、周囲が暗くなったかのような錯覚に陥る。
後ろを向いていただけに、光を直視せずに済んだが、相当な強さの光だった。
俺はキョロキョロと後ろを振り返って、周囲をぐるりと見渡した。
既に光は消えてしまっているが、何となくぼんやりと輝きが残るような場所がある。
それは先程、俺がフライング・ビートルと戦っていた場所の近く――。
「あの光は……まさか!?」
それは単なる予感でしかなかったのかもしれない。
だが、微かに見えた残光は、俺が本を取り出した時の光景に似ている気がしたのだ。
ひょっとしたら、そこにあるのは何か途轍もなく、危険なものなのかもしれない。
にもかかわらず、俺は何かに導かれるようにその場所へと無心で駆けて行った。
「はぁ、はぁ……。
き、きっと、この……草むらの中だ……」
毛皮のベストに、毛皮のショートパンツ。
頭にはビートルヘルメットを被り、手にはヒュラナスから貰った木の棒を持っている。
そんな微妙な姿の俺は、光が現れたと思われる場所へ、草むらを必死で掻き分けて入っていった。
いつ物陰から魔物が、飛び出すとも限らない。
だが、俺は息を切らせながらも、一心不乱に進んでいく。
そして、俺はその光が現れた場所に到達し——そこで見つけたものに、思わず絶句した。
「ま、まさか……」
草むらの中に、一人の女の子が横たわって倒れていたのだ。
広がるように乱れてしまった、長く美しい黒髪。
そして、まるで下着に近いような、申し訳程度の衣服——。
俺はその女の子に——確かに見覚えがあった。