03.「その時、山が動いた」
「……う〜ん、もう入らないのか」
資産の口を開けてジャイアント・ラットの肉を入れようとすると、ポーチの口が赤く光って吸い込まれなかった。
どうやら資産が満タンになってしまうと、ここが光って知らせてくれるようだ。
ヒュラナスは数十匹に一匹ぐらいしか、肉を落とさないと言っていたように思う。
ところが、なぜか倒した全てのジャイアント・ラットが、毎回コインと肉を落とした。
お陰で俺の資産の中は、戦っていた一時間ほどの間に、肉で埋め尽くされてしまっている。
ポーチもそれとわかるほどに、重量が増してきていた。
最初ポーチはパンツの尻側のゴムに、引っ掛けて戦っていた。
ところが、戦闘中にパンツがずり落ちて、ズッコケそうになってからは、諦めて近くに置いて戦うようにしていた。
誰が見ているともわからないところで、これ以上魅惑の曲線を披露するのも避けたいところだしな……。
だが、周りに誰か知らない人物がいたら、やろうとは思わない戦い方だと思う。
俺が初めて出会ったヒュラナスという女性は、幸いなことに、とてもいい人物だった。
だが俺は、会う人全員が、善人だと思い込むほど純粋な人生を送ってはいない。
気をつけておかないと、今ポーチを誰かに持ち去られるようなことがあれば、改めて俺は一文無しに戻ってしまうしかないのだ。
「う〜ん、どうするか。
この肉、美味そうなのに、捨てるのはもったいないんだよな……」
さすがに一時間も連続で戦っていると、それなりに空腹を感じるようになっている。
俺は迷った末に、水場で肉を洗ってから、ちょっと端を齧ってみることにした。
生肉だけに、食べた後に色々危険がありそうな気もする。
ところが——。
「な、何だこれ!?
やばい、こいつメチャクチャ美味いぞ……!」
調味料すらないただの生肉であるにもかかわらず、ジャイアント・ラットの肉は臭みがなく、独特の味わいがある。
しかもナイフなどなくても、簡単に噛み切れる程の柔らかい肉だった。
多分、塩コショウをかけて、上手く焼けばもっと美味しいとは思うのだが……。
俺はたちまち一枚を平らげると、資産から更に数枚の肉を取り出す。
くそう、何で俺はこれを、今まで食べようとしなかったのか。
ジャイアント・ラットの肉、美味すぎる——!!
俺は次々と肉にかぶり付くと、たちまち満足するほどに腹を膨らませた。
ひょっとしたら気のせいかもしれないが、疲労も回復したような気がする。
俺はポーチが軽くなったのを確認すると、ヒュラナスのいる神殿から離れて、今までよりも少し遠くに歩いていった。
「いたぞ……」
俺がその方向へ、向かったのには理由があった。
今、俺の目の前には、イノシシのような生き物が見えている。
それはさっきジャイアント・ラットと戦っていた時に、ふと見かけた魔物だった。
無理をしないでおこうと思った俺は、先程はイノシシに手を出さなかった。
だが、今は違う。
……ってか、ネズミであんなに美味しかったのだ。
猪肉であれば、もっと美味いに違いない!!!!
「おりゃあああっ!!」
「ブモオオオオ……!!」
雄叫びを上げて、俺はイノシシを殴った。
殴られたイノシシは、悲鳴を上げて転倒する。
だが、ジャイアント・ラットに比べると、敵は身体も大きいし、強そうに見える。
一撃で仕留められなかったイノシシは、起き上がると急に突進してきた!!
「うおぉっ!? 危ねえ!」
俺は慌ててその突進を避ける。
そして木の棒を握り直すと、過ぎ去ったイノシシの方へと向き直った。
「……ん? あれ???」
俺が振り返ってみると、そこには二匹のイノシシがいた。
しかも二匹ともが俺に向かって、再び突進してきそうな気配である。
「いや……ちょっと、待った!!」
俺は一瞬だけ闘志を見せるように、木の棒を構えた。
だが、二匹が三匹に増えたところで、俺の闘志は瓦解する。
ひぃぃぃ! やべえ!!
近くの敵と連携しやがった……!
俺は三匹のイノシシに追い立てられながら、何とかヒュラナスのいる神殿に逃げ出した。
ヒュラナスを巻き込むわけにはいかないが、水場で戦わないと俺が危ない。
「ブホオオオオ……!!」
いつの間にやらイノシシたちは、五、六匹に増えている。
これは本格的にヤバイ……!
そして、俺がバチャバチャと、水場を踏み越えて神殿に逃げ帰った瞬間。
俺の後方でドカン!という爆発音が聞こえて、イノシシたちは一気に爆散した。
「なっ……」
一瞬のことで見逃しそうになったが、これまで一歩も動かなかったヒュラナスが動いたのだ。
しかも何か魔法のようなものを放ったようで、その攻撃でイノシシたちは一撃で爆発した。
彼女はそそくさと元の位置に戻ると、何事もなかったかのように、目を閉じて佇んでいる。
……って、待て。
こんな強かったら、ヒュラナスを守る必要なんかないじゃん……。
「ユキ……何という恐ろしいことを」
「いや、恐ろしいのはあんたですけど……」
地面に転がったイノシシたちは、しばらく時間が経つと、空気に溶けるようにして消えていった。
残念ながらイノシシたちは、アイテムを一つも落としていないようだ。
——とはいえ今のは、かなり危なかった。
ヒュラナスが動いてくれなかったら、俺は無事では済まなかったに違いない。
「でも、今のは本気で助かったよ。
ヒュラナスさん、ありがとう」
俺が感謝の言葉を述べると、ヒュラナスは目を閉じたまま微笑む。
「いいえ。
今のはワイルドボアという魔物で、個々は弱いのですが、近くにいる敵と連携しやすいので注意が必要です」
「おかげさまで身をもって体験したよ。
ただ、木の棒だけでは、なかなか倒しきれない」
「……ユキ、あれからずっと、魔物と戦っていたのですか?」
「そうだけど?」
「単に魔物を倒すだけでは、強くなることはできません。
もちろん、戦闘のコツは戦うだけでも、ある程度は学ぶことができるでしょう。
ですが、最も効率の良い戦い方は、通称『クエスト』と呼ばれる依頼を受けて、それを達成していくことです」
「クエスト……?」
「エランシアには沢山のお願いごとをしたい人がいます。
それらの依頼内容を達成していくことで、報酬を得たり、自分自身を強化していくことができるのです」
何ともロールプレイングっぽい仕組みではある。
ただ、仕事を依頼する人がいて、それを満たせば報酬というのは、原始的ではあるものの理にかなった形だとは言えそうだ。
「でも、フラリアの町に行かないと、さすがにお願いごとをしたい人はいないだろうな。
一方で、そのフラリアに行くためには、俺が強くなる必要がある。
なのに俺が強くなるためには、フラリアに行かなければならない。
……これは微妙に、詰んでる気がしないでもないな」
「いいえ、詰んではいません。
お願いごとをしたい人は、近くにもいますよ。
ほら……ここに」
ヒュラナスはそう言いながら、自分の胸元に手を添えた。
思わず胸元に注目してしまったが、要するにヒュラナスにもお願いごととやらが存在しているらしい。
「ただし、私が依頼するのは、一度きりのクエストです。
……『ジャイアント・ラットの肉』を五つ、持ってきていただけませんか?」
「ジャイアント・ラットの肉……?
そんなのでいいのか」
ジャイアント・ラットの肉なら、資産の中にいくつも入っている。
俺は肉を五枚取り出すと、ヒュラナスの前にそれを差し出した。
「おや、もう集めてあるのですね。
かなりの数のジャイアント・ラットを倒さなければ、五つ揃わないと思うのですが」
……う〜ん。
俺がジャイアント・ラットを倒すと、100%肉を落としていた気がするんだがなぁ。
そんな俺の考えにはお構いなしに、ヒュラナスは白い手を出して、俺の手からジャイアント・ラットの肉を受け取った。
すると、ジャイアント・ラットの肉×五枚は、彼女が腰に下げた小さな資産に吸い込まれていく。
……それにしてもヒュラナスは、肉を集めてどうするつもりなのか。
まさか誰も見ていないところで、こっそりと食べたりするのだろうか。
誰にも見つからないように肉を齧るヒュラナスを想像して、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。
「では、依頼達成の報酬をお渡しします」
「おおぉ……」
「ユキ、こちらのアイテムを受け取ってください」
ヒュラナスが両手を差し出すと、彼女の手の上に一本のナイフが現れた。
鞘などはついておらず、完全に刀身が抜き身のままだ。
あまり高価なものには見えないが、切っ先は鋭く、切れ味は良さそうに見える。
「これはなんと、『ナイフ』という武器です」
「いや、それ見たらわかるし」
「ユキ、これがあれば、おそらくあなたはワイルドボアに勝つことができます」
「……! マジで!?」
「もちろん、あなたが下手な戦い方をしなければという前提でのことです。
わかりましたか? あなたが下手な戦い方をしなければ」
「何で今、それ二回言ったし」
「大事なことですので、二度申し上げました」
「————」
ヒュラナスはホントいい人ではあるんだけど、気のせいかどこかで、俺をスゲー侮ってるような気がするんだよなぁ……。
俺は気を取り直してナイフを受け取ると、その感触を確かめるように、何度かその場で振ってみた。
かなり軽いがその分だけ、取り回しは良いように思う。
木の棒より当てるのが難しいかもしれないが、当てられさえすれば、木の棒で叩くよりも確実なダメージを与えられそうだ。
俺は一通り試した武器に満足すると、ヒュラナスにもう一つ気になったことを尋ねる。
「ところで、さっきヒュラナスさんが使ったのは、魔法……で間違いない?」
複数のワイルドボアを、一気に片付けた攻撃。
あれが使えれば、俺もかなりの敵と戦えそうな気がする。
「はい、魔法です。
あれは【爆裂】という木属性の攻撃魔法でして、範囲が広く殺傷力が高いため、巻き込みの危険を恐れて普段はあまり使わない魔法です」
……。
あなた、それ一発目に、躊躇なく俺の側でブチかましましたよね?
「ま、巻き込んだ時は……?」
「それは、その時ですよ。フフフフ」
と、取り敢えず……ヒュラナスにイタズラしたりするのは、絶対にやめておくことにしよう。
「……で、気を取り直して。
訊きたかったのは、俺も魔法を使えるようになったりしないのかな、ということで」
「使える可能性はあります」
「おおぉ……」
「ですが、人間にはたまに魔法を使えない人がいます。
それに使えたとしても、その魔力量や習得できる魔法の数は、装備や人によってまちまちです。
フラリアに魔法ギルドがありますから、そこで相談してみるのが良いと思います」
「それもやっぱりフラリアなのか。
これは、ぜひともフラリアに到達しなければならないな」
俺はそう決意すると、再び神殿から駆け出した。