01.「颯爽と異世界に立つ。ただしパンツ一丁」
※プロローグを読み飛ばした方向けのあらすじ
夏のある日、松嶋幸(ユキ/♂)は友人の黒川大樹に誘われて、佐々木桜・神無月秋葉と共にプールへと出かけた。ところがそのプールで、神無月秋葉が事故に遭ってしまう。そして、彼女を助けようとしたユキは、その事故に巻き込まれてしまった。
死ぬ……! ユキがそう思った瞬間、周囲の時間は停止した。すると、その時、ユキの脳裏に不思議な声が響いてくる。不思議な声はユキに「時間を三分間戻す」代わりに、「いくつかのレアアイテムを収集」することを要求した。ユキは仕方なくその条件を飲むが、提示されたアイテムはどれも見たことのないものばかり。それもそのはず、それらのアイテムは全て異世界にしか存在しないものだったのだ。しかもアイテムを集めるには、魔物を倒して、アイテムが落ちるのを期待するしかないらしい。ただ、不思議な声はユキに対して何らかのサポートを約束するという。
そして、ユキはアイテムを収集するために、異世界へと運ばれてしまうのだが……!
風が撫でていく感覚に、俺はふと意識を取り戻した。
身体のそこかしこを、草がさわさわと、直接刺激しているような感覚がある。
「うっ……」
俺は、一度ギュッと目を閉じてから、その場でゆるゆると上体を起こした。
「ここは……?」
目の前に広がっていたのは、一面見渡す限りの平野だった。
土の地面を草花が覆っている。心地よい春の日に、日向ぼっこでもしていたような感覚だ。
ただし……。
「って、俺、裸じゃないか!」
プールの中で、溺れかけた。
そして、そのまま、ここに連れて来られた。
要するに、今の俺は水着パンツ一丁……通称、パンイチな訳である。
「……まさか、俺ってこの状態からサバイバルしちゃうわけ……?」
謎の『声』は俺に要求を突きつけて、俺を異世界へ運ぶなどと言っていた。
そして、俺はこの見知らぬ世界で、色々なアイテムを手に入れなければならない——。
ただ、目の前の原っぱを見ただけでは、ここと元の世界が、どれくらい違うのかはわからなかった。
そう言えばあの不思議な『声』は、俺が要求を満たせるように「サポートする」なんてことを言っていたはずだ。
——しかし、今の俺はパンイチ。
念のため唯一の装備品であるパンツを捲ってみたが、中ではお馴染みの相棒が、うなだれながらコンニチハしているだけである。
「ど、どうしろって言うんだよ!
こんなのありかあああああ!?」
目いっぱい、叫んでみた。
すると、声が綺麗に木霊する。
……でも、誰もいない。何も反応が返ってこない。
こりゃあ、参った! どこかわからない場所に放り出されて、俺の人生詰んだ!!!!
「ほ、本当に異世界に来ちゃったのか……?
冗談抜きに、どうする!?」
誰か近くにいないかと思って大声を上げた訳だが、例の不思議な『声』は、この世界に魔物がいるようなことを言っていた。
それを考えるとあまり軽率で、派手な行為は控えた方がよいのかもしれない。
何しろ魔物に襲われて死んでしまったら、そこで約束を破ったことになってしまうのだ。
今更ではあるが俺は慎重に屈んだ姿勢で、自分の周りをゆっくりと見渡すように窺った。
空にはちゃんと太陽があり、素っ裸で寝ても風邪を引かない程度の陽気に包まれている。
遠くには山や森も見えているが、取り急ぎ見渡したところ、近くには何も——。
「ん? あれは何だ……?」
何もないと思っていた平野にポツンと、何かの建物のようなものが見えた。
ただ、その建物には霞のようなものが掛かっていて、遠くからはどのような建物なのか詳細がわからない。
「行ってみるしかないか」
俺は即座に意を決すると、その建物へ向けてパンツ一丁の姿で、ゆっくりと歩き始める。
近くにまで到達してみると、建物は石で作られた神殿のようなものだということがわかった。
そこには明らかに人の手で作られた水路があり、潤沢に水が流れている。
ふと見ると、水は飲めそうな程に、綺麗に透き通っていた。
俺はそれを見てしゃがみ込むと、水路に手を伸ばして水をいくらか飲んだ。
……良かった。歩きづめで喉が乾いていたんだ。
飲水があるだけでも、かなりホッとする。
よく見ると水路は曲がりくねりながら、神殿の中心部へと続いていた。
俺はその水路に沿うように、神殿の中へと進んで行く。
すると、神殿の内部が大きな水場になっていることがわかった。
その水場の中心には、ポツンと小さな島のようになった場所がある。
そして——。
「……!!」
俺は水場に浮かぶ島を見て、思わず声を上げそうになった。
何しろ一人の美しい女性が、その島の中心に立っていたからだ。
「人間……?
いや、まさか……エルフ?」
光が射している訳でもないのに、女性はぼんやりと何かの光をまとっているように見えた。
遠慮なしに近づいて行くと、はっきりとわかるぐらいに、大きな耳が尖っているのがわかる。
明らかに俺たちとは違う種族だと思った。
女性は淡く青みがかかった銀色の髪をしていて、その美しい髪をまとめるように、きらびやかな冠を着けている。
ただ、俺がどんどん近づいているにもかかわらず、彼女の両目は完全に閉じたままだった。
俺がそのまま無遠慮に彼女の側まで来ると、その女性がまとっている服が、スケスケのシースルーであることに気がついた。
何という、けしからん服……! しかもその中には、何もつけていないように見える。
さすがに下はパンツのようなものを履いているが、上の方は素っ裸だ。
ところが肝心の頂点は、長い髪が左右の胸元に落ちかかっていて見えない。
何なんだ、この恰好は! パンツ一丁の俺に対する挑戦か!?
すると、女性は側に来た(素っ裸の)俺に驚くことなく、目を閉じたままの状態で話し始めた。
「……よく来ましたね、さまよう者よ。
私の名はヒュラナス。エルフたちを『導く者』です。
私は旅立つ者たちの道標となる存在。
何かわからないことがあれば、遠慮なく訊いてください」
ヒュラナスと名乗った女性は、ずっと両目を閉じたまま喋っている。
それにしても安心したのは、女性が喋った言葉が、完全に理解できたということだ。
一瞬、ただの人間がエルフのコスプレをして、俺を騙しているんじゃないかとも考えた。
だが、残念なことにどう見ても、そういう安っぽい雰囲気ではなさそうだ。
「何を訊いてもいい?」
俺が様子を見るようにそう尋ねてみると、ヒュラナスは目を閉じたまま、微笑んで答えた。
「もちろん、構いません。
無論、この世界の真理のような、私に答えられない質問でなければ、ですが」
「俺、どうやら別の世界から、ここに連れてこられたようなんだけど……。
ここは一体どこなのか、教えてもらえないだろうか」
するとヒュラナスは、『別の世界から来た』という話に驚くこともなく、あっさりと今俺がいる場所を答えてくれた。
「この世界の名を告げるとすれば、それはエランシアという名前でしょう。
そして、ここは迷い込んだエルフたちが最初に到達し、新たな冒険に旅立つ聖地です」
エランシア……聞いたこともない名前だ。
それに『最初に到達する場所』というのは、ロールプレイング的に言って、スタート地点みたいなところなのだろうか。
ただちょっと気になるのは、「エルフたちが旅立つ聖地」と言っているところだ。
「ヒュラナスさんは、ここで何をしてるのかな」
「私は『導く者』です。このエランシアには何人かの導く者がいます。
私を含む導く者たちは、旅立つエルフたちを導いて、その手助けをしています」
また、「エルフたち」という言葉が出た。
俺はもしやと思って、自分の耳を触ってみる。
でも残念ながら、俺の耳は尖ってはいないようだ。
「……俺、どうやら人間で、エルフではないようなんだけど」
「……!!」
ずっと目を閉じていたヒュラナスは、一瞬凄い勢いで両目を剥いた。
ってか、目は開くのかよ!
しかも微妙に血走ってるように見えて、ちょっと怖い。
「……種族の違いは、大した問題ではありません」
いや、待て。
あんた俺が人間だって知って、さっき凄い顔してたぞ!?
「いいのか」
「いいのです。
あなたが無垢な冒険者なのであれば」
「無垢?」
「わかりませんか? 心当たりがあるでしょう。
無垢とはつまり、異性との関わりを持たぬ、童て……」
「うわあああああ!! 待てやあああああ!!!!」
何が楽しくて俺のライフスタイルを、勝手にカミングアウトされねばならんのだ!
いいか、俺は好き好んでそうなんじゃない!
ちょっと機会に恵まれなかっただけなんだ!!
「フッ……」
ヒュラナスは再び目を閉じると、妙に余裕の有りそうな表情をして、鼻で笑った。
「そのスケスケ衣装で、悟りきったような笑いはやめろよな……」
ちくしょう。絶対バカにされている。
「ところで、あなたのお名前は、何とお呼びすれば良いのですか?」
ヒュラナスは目を閉じたままで、俺に改めて尋ねた。
「名前? そういや名乗ってなかったか。
俺はマツシマ・ユキだけど」
「ユキ……美しい響きの名前ですね」
「そうかい? そりゃあ、ありがとう」
俺は素直にそう答えて、ニヤリと笑った。
子供の頃は、女みたいな名前だといって、結構からかわれたことがある。
でも、今の歳になってからは、これはこれで覚えやすいし、結構気に入ってる。
「では、ユキ。
あなたがこれから生き抜くには、望む望まざるにかかわらず、戦うことを覚えなければなりません」
「……やっぱ、ここには魔物がいたりするんだな」
「います。この神殿の周りにも、下級ではありますが魔物は現れます。
今の時間は『エランシアの休息』と言って、魔物が出現しない時間なのです。
このエランシアの休息が終われば、この周囲とて、途端に魔物が溢れかえります」
うげ……それはヤバイ。
何がヤバイって、俺はパンイチ丸腰だということだ。
魔物というのがどの程度のものかは知らないが、どんな強さであっても徒手空拳で戦えるほど、甘い相手ではないだろう。
するとヒュラナスは俺の思考を読んでいたかのように、武器についての話を始めた。
「何も無しでは戦えません。
私たち導く者は、これから旅立つものに、戦うための武器を与えることにしています」
「おお……」
俺がその言葉に期待していると、どこからともなく、コロンという乾いた音がした。
気づくと俺の足元に、見るからに安っぽそうな木の棒っきれが転がっている。
「……へっ?」
「さあ、ユキよ。
その武器を手に取りなさい」
俺は仕方なく足元に転がった木の棒を、右手に拾い上げた。
「それはなんと、『木の棒』という武器です」
「いや、そんなこと教えてもらわなくても、見ただけでわかりますけど……」
しかも、もったいぶったような言い方だった。これは、侮れない。
「武器を手にしたあなたは、攻撃力が上がります」
「そりゃあ、上がるだろうよ。さすがに素手で殴るよりは強力だろうし……」
「導く者は強くなったあなたの『状態』を、可視化することができるのです。
一度、ご覧になりますか?」
「可視化……?
よくわからないけど、何か見せて貰えるなら、見てみたい」
ホントはヒュラナスの髪の毛の下が、どうなってるのかが、一番見たいんだけど。
ヒュラナスは俺が思っていることにはお構いなしに、目を開いて両手を俺の方へと差し出した。
すると、彼女の両手のひらの上に、何やら光る文字が浮かび上がってくる。
「おおぉ……何か書いてある」
「これが、今のあなたの『状態』です。
確かめてみてください」
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【状 態】良好
【装 備】木の棒/攻撃力上昇(F)
【友 好】黒川大樹(E)、佐々木桜(E)、神無月秋葉(C)、ヒュラナス(E)
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おおお……。
って、情報量、結構少ないな。
しかし、たったこれだけとは言いつつも、ここで黒川たちの名前を見ることになるとは思わなかった。
「この【友 好】というところのEとかCっていう表示は、何を意味してるんだろう?」
「それは、あなたがその人物に対して抱いている『好意度』を表記したものです」
……ってことはこの四人の中で俺は、神無月秋葉に一番好意を持っているということだ。
別にそれで間違っちゃいないだろうが、何ともこうして明記されると、それはそれでハズカシイ。
「じゃあ、この一番下にある『▼』って記号は……?」
「……?
何か表示がありますか?」
ヒュラナスはそれが見えていないのか、俺が言ったことが分からないようだ。
「ヒュラナスさんがわからないなら、まあこれはいいか」
俺がそうして諦めようとすると、彼女は異変に気づく。
「……おや? 通常視覚化できる内容が、二つ続くことはないのですが……。
どうやら、まだ表示すべき情報が続いているようですね」
「ん?」
ヒュラナスが両手を一度閉じてから、もう一度開けると、そこには先程とは別の情報が書かれていた。
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【特 殊/くぁw率せdr1ft0gy0ふじこl倍p
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「ん……何だこれ???
まさか表示がバグってる……?」
ヒュラナスは不可思議なものを見たという表情で、その表示を見つめている。
「これは……何でしょうね。
何か特記されたものがあるようですが、これでは内容がまったくわかりません。
ですが、あなたには何かしら、特別な事項が存在しているようですね」
「特別な事項……」
俺はこの世界に到達した経緯を思い出しながら、無意識にそう繰り返した。
「状態に記載されているいずれかの内容に変化があれば、それをきっかけにして、特記された内容が見えるようになるかもしれません」
「なるほど。
だとするとその中にある内容を変えるなら、一番手っ取り早いのは装備を変えることになりそうだ」
俺がそう言うと、ヒュラナスは再び目を閉じてフフフと笑った。
「フフ、そうですね。
ひとまずは、装備を整えることから始めるのが良いと思います。
……さあ、そろそろ『エランシアの休息』が終わるようです。
ユキ、あなたは武器を手にして、魔物を迎え討つのです」
俺はその言葉を聞くと、手にした木の棒を握って、神殿の外側を窺い見た。
すると、それからいくらも時間が経たない間に、うっすらと巨大なネズミのような生き物が、何匹も現れたのが見える。
まさに空気の中から、急にぼんやりと魔物が生まれ出てきた感じだった。
「何かいっぱい出てきたぞ……」
「あれはジャイアント・ラット。
この辺りに多く出現する、もっとも弱い魔物です。
ですが、侮ることのないように。
どんな弱い魔物であっても、魔物には違いないのですから」
その言葉が終わるのに合わせるように、神殿のすぐ外にいた一匹のジャイアント・ラットが、俺の存在に気づいたようだった。
直後ジャイアント・ラットは、チュウチュウと声を立てながら、俺の方へと向かって来る!
「こっちに来た! いきなりかよ!?」
「さあ、武器を構えて迎え討つのです!」
俺はそのヒュラナスの声に弾かれるように、木の棒を手にジャイアント・ラットの前に躍り出た。