09.「会合と旅立ち」
『――おい』
それは、不意に聞こえた声だった。
虚ろな意識の中で、それが誰の声だったのか、記憶を辿ろうとする。
『無事に一日を終えたようだな。
まずは死なずに一日を過ごしたことに、祝福の言葉を送ろう。
……おめでとう』
まるで変声機を通したような声は、俺の意識に構わず一方的に話し続けた。
さすがに頭の中で雑音が聞こえ続けると、俺の意識も次第にハッキリとしてくる。
ただ、目を開いたように思ったのに……周囲の情景は昏いままだ。
「……誰だ」
『私だよ。
覚えていないかね』
「――――」
この『声』を再び、聞くことになるとは思わなかった。
俺を、不思議なこの世界に連れてきた声。
そして、俺と不可思議な取引をしようとしている声――。
「覚えてるよ。
あんた、この世界でも出てくることができるんだな」
だが、声は俺の問い掛けを、はぐらかすように不気味な笑い声を上げた。
『ふふふ……。
この世界に来ても、慎重さは保っているようだな。
……それでいい。君は一見いい加減に見えるが、そうやってしっかりと自分が取るべき行動を考え、いつも最適な選択肢を採る。
だから君を選んだのだ。きっと君なら私の欲しいものを集めることができるに違いない』
その言葉を聞いて、自分の身体に、悪寒のようなものが走るのを感じた。
俺はこの『声』を知らない。
だが、この『声』は、俺を以前から知っているのかもしれない。
「それで一体何の用だ……?」
『警戒しなくてもいい。
今回は私がこうしてここにいることを、伝えようと思っただけだ』
「……神無月にも、そうやって語りかけたのか?」
『それが、気になるか?
気になるのであれば、あの娘に訊いてみれば良いだろう』
「そうだな。あんたよりは、ずっと言葉が信用できる」
『フッ……。
そうして私に対して喧嘩腰になったところで、君が得るものはないぞ。
例えば、私からのサポート。それは君の役に立たなかったかね?』
そう問われると……確かに役に立った。
恐らくドロップ率UPの特記事項が無ければ、まだ装備も揃わず、フラリアへ向かうのもずっと後になっていたに違いない。
俺は無言でそれを認めると、声に対して質問を放った。
「……あんたに、二つ訊きたいことがある。
一つ目は、集めるアイテムの一覧が書かれた『本』のことだ。
あれを、他人に見せるなというのは理解した。
だが、俺がアイテムを集めていること自体を、誰かに伝えるのもダメなのか?」
『それは君の判断に任せる。
わかるか、つまり自己判断というやつだ』
「――――」
答えたようで、何も答えてはいない。
だが、絶対にダメだと言われた訳でもない。
そもそも俺がアイテム収集に失敗して、死ぬようなことがあれば、この『声』も困るはずだ。
だとすればヤツがこうして夢枕に立てる以上、俺がやろうとしていることが致命的に拙いことであれば、しっかりとそれを避けるよう、アドバイスしてくるような気がする。
「次の質問だ。
アイテムを集めるにあたって、特に制限時間は無いと考えていいんだな?」
『時間の制限は無い。何しろ時間は止まっているからな。
最終的に、アイテムを入手することができれば、何ら問題はない』
その答えを聞いた俺は、更に突っ込んだ質問を投げかけた。
「……俺は、溺れた神無月を助けたいと思って、あんたとの取引に乗った。
ところが今、神無月は元気な姿で俺と一緒にいる。
であれば、俺がこのままこの世界にいることに満足して、アイテム収集を事実上、放棄してしまうとしたらどうだ?
時間に制限が無いのであれば、その選択もできる」
すると、声は不気味に低い声で、不敵に笑った。
『フフフ……君の好きにすれば良いではないか。
そうすれば、君もあの娘も元の世界には戻ることはできない。
つまり、元の世界のあの娘がどうなるかは、一切私は保証しないということになる。
忘れたか? 君が自分の友達を不幸にするなと言ったのだ。
私は君が約束を守ろうとする限り、その約束を守る。
だが、君が約束を守らないのであれば、私もそれを守る必要が無くなる』
「————」
……どういうことだ?
神無月は確かに、この世界にいる。
にもかかわらず、元の世界の神無月に、危害が及ぶかもしれないという状況とは——?
まさか神無月が分裂して、元の世界の神無月と、この世界にいる神無月の二人になったとでもいうのだろうか?
この世界の神無月が無事でも、元の世界の神無月は無事じゃない——?
俺は一通り考えを巡らせてみたが、これといった結論には辿り着くことができなかった。
『……訊きたいことは、それだけだな?
では、また会おう』
「――――」
別れの言葉を聞いた直後、何やら身体の中から威圧感のようなものが消えて無くなるのがわかった。
俺は――緊張していたのだろうか?
暑いわけでもないのだが、少し寝汗もかいているように思える。
俺は、一つ溜息を吐くと、身体を起こして部屋からゆっくりと出た。
すると、いつも通りヒュラナスが、水場の真ん中に立っているのが見える。
それは昨日寝る前に見た姿と、寸分も違っていないように思えた。
「……あら、おはようございます。ユキ。
昨晩はよく眠れましたか?」
「あ、ああ……。
ヒュラナスさん、まさか一晩中、そこに立ってたの?」
「フフフ……そんな、まさか」
「で、ですよね」
「一晩中ではありませんよ。
一日中、立っていました」
「……えっ?」
「もちろん、冗談ですよ。ふふふふふふふふふ」
「あ、あはは——」
不敵な笑い声が怖すぎて、思わず愛想笑いを返してしまった。
取り敢えずヒュラナスの行動を、あれこれ詮索するのはやめておこう……。
「おはよう、松嶋くん」
俺とヒュラナスが話しているところに、反対側の小部屋から神無月が姿を見せた。
どうも今起きてきた雰囲気ではなく、少し前から起きていたようだ。
「おはよう、神無月。
もう出発できる準備は整ってる?」
「わたしはいつでも大丈夫よ」
俺はそれを聞いて、改めてヒュラナスに言った。
「ヒュラナスさん。
昨日言っていた通り、俺と神無月はこれからフラリアに向かおうと思う。
それで……フラリアまでの道を教えてもらえないだろうか?」
「わかりました。旅立つのですね。
フラリアへは私の後方から神殿を出て、真っ直ぐに行きます。
少し丘のようになっているところを越えると、フライング・ビートルがいた場所があるはずです」
「ああ、あそこか……」
「そのフライング・ビートルがいたところを更に真っ直ぐ行くと、小さな祠のような建築物があります。
その祠のところで右に曲がってください。そこからは街道がありますので、街道沿いに真っ直ぐ歩いていけば、フラリアに到達できるはずです」
「意外と道が簡単で安心しました」
神無月がそう感想を伝えると、ヒュラナスは目を閉じたまま、にっこりと笑った。
「ええ。ですが、それなりに距離があります。
少なくとも半日程度の距離は、歩き続けなければなりません」
げ……半日。
結構、距離があるんだな。
確かにパッと見た感じ、この近くに町があるような雰囲気ではなかったから、仕方がないことかもしれないが……。
「ところでヒュラナスさんとは、またフラリアで会うことはできるのかな?」
俺が無邪気にそう訊くと、ヒュラナスは小さく微笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「いいえ、私はここで『導く者』の責務を果たさねばなりません。
ここにあってフラリアにないものは、恐らく存在しないでしょうから、よほどのことがなければここへ戻る必要はなくなると思います。
ですので……ユキ、アキハ。
これでお別れです。」
「――――」
そんなアッサリした形で、別れを告げられると思っていなかった俺は、正直動揺した。
ここまで僅かの間ではあったものの、最初にヒュラナスと会えていなかったら、俺は困り果てていたに違いない。
……いいや、ひょっとしたら生まれてくる魔物に襲われて、死んでいたかもしれない。
目を開いて俺の顔を見たヒュラナスは、笑みを浮かべながら言った。
「何も永遠の別れということではありません。私はいつもここにいます。
あなたたちが旅立ち、先に進む以上、これは必要な別れなのです。
それに、このエランシアには、私の他にも『導く者』がいます。
何か困ったことがあれば、その者たちに相談すると良いでしょう」
「そ、そうか……。
でもヒュラナスさんと会えなくなるのは、凄く寂しいよ」
偽りなしに沈み込む表情の俺を見て、神無月が気遣うように言った。
「松嶋くん。
またしばらくしたらここへ、ヒュラナスさんに会いに来ましょう」
「……そうだな、そうしよう。
わかった。ヒュラナスさん、今までありがとう。
またいつかここへ必ず戻ってくる」
俺が力強くそう言うと、ヒュラナスはフフフと声に出して笑った。
これで、俺と神無月はフラリアへ向かうことになるのだが……。
その前に、俺には一つ、確かめておかなければならないことがある。
「ヒュラナスさん。
最後に、一つ訊いておきたいことがある」
「はい、何でしょうか?」
「今から俺が名前を挙げるいくつかのアイテムについて、もし何か知っていたら教えて欲しい」
もったい付けて訊かれたのに、それがアイテムに関する質問だとは思っていなかったのだろう。
少し意外そうな表情をして、ヒュラナスは俺の言葉を繰り返した。
「アイテム……ですか?」
俺はその問いかけに無言のまま頷く。
隣を見ると、神無月が無言でじっと俺を見ていた。
今から俺はヒュラナスと神無月に、探しているアイテムの名前を伝える。
それが、今後どんなことを引き起こすのかは、完全に自己責任というやつだ。
「――まず一つ目。【ヴァリトスの爪】。
二つ目、【エルミナス鉱石】。
三つ目が、【ミオカンタの枝】……」
すると、ヒュラナスは三つ目のアイテムに反応を示した。
「残念ながら最初の二つは存じません。
ですが、最後の【ミオカンタの枝】は、名前を聞いたことがあります。
確か魔除けなどに使うアイテムですが、この辺りでは見掛けることのない、かなり貴重なもののはずです」
「魔除け……」
「その手のアイテムは、呪術師が詳しいと思います。
フラリアにはいないかもしれませんが、どこかで呪術師を見つけることができれば、それに関する話を聞けるかもしれません」
「呪術師か。なるほど、ありがとう。
とても参考になった」
「すみません。私が知っているのは、わずかにそれだけの知識です。
恐らくフラリアに行けば、最初の二つについても詳しい人がいるかもしれません」
そうか……やはり俺は、フラリアに行かなければならないんだ。
そして、俺と神無月が暇を告げると、ヒュラナスも別れの言葉を口にした。
「では、ユキ、アキハ。これからもお気を付けて。
私は無垢な冒険者を導く者ですが、仮にあなたたちが無垢でなくなったとしても、気にすることはありません。
いつでも気が向いたら、戻って来ていただいて構いません」
ヒュラナスが微妙な単語を強調するものだから、俺と神無月は思わず顔を見合わせた。
神無月はその遠回しの意味に思い当たって、顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。
ちょっ……これから一緒に旅立とうというのに、微妙な空気にしてどうするんだ。
すると、そんな心配など振り切るように、神無月が笑みを浮かべながらこちらへ振り返った。
「……松嶋くん、行きましょう。
では、ヒュラナスさん。色々とありがとうございました」
「アキハもお元気で。
ユキをこれからもしっかりサポートしてあげてください」
「はい!」
それは思いの外、元気な返事だったように思う。
俺が神無月と顔を見合わせると、彼女はにっこりと微笑んだ。
俺はその輝くような表情を見て、同じように笑顔で応じる。
「さあ、行こうか」
俺がそう声をかけると、神無月が頷いた。
何が起こるかわからないが、さあ――フラリアへ向けて、出発だ!!




