第九十六話:平和の終焉
直哉は顔を歪め、青筋を浮かべる。冬樹には「ましろちゃん」が誰なのか分からず、ただその白い髪に寒気を覚えていた。
「もう行くねェ。バイバイィ」
孤高は軽々と菜摘を担ぎ上げた。
「置いてけ…狐ババア…!」
直哉の怒声は震えていた。怒りか、焦りか、もはや自分でも分からない。
「古い時代の従者はァ、いィらないのォ。でも…目障りなのォ」
孤高の口元が不気味な弧を描く。
「お眠りィ…創造神様の思し召しのままにィ」
孤高がスッと直哉の頬に触れると、直哉は抵抗する間もなく瞳を閉じ、力なく崩れ落ちた。
冬樹の足がすくみ、声にならない悲鳴が喉に引っかかる。
「待てッ!!こっちを見ろ!!ここにいるだろうが!!」
冬樹は必死に叫び、手を伸ばす。しかし、その手は空を切るばかりだった。孤高は菜摘と直哉の二人を抱え、歩き去る。
「ゴミ掃除ィ、ゴミ掃除ィ ♪ 新しい時代にィ、冬樹ちゃんはいないのォ ♪」
去り際に残した歌のような声が、耳に焼きつく。
孤高は視界から掻き消えた。
「っ…あああああああああああああッ!!」
冬樹は膝から崩れ落ち、拳で床を叩く。
目の前が滲む。何もできなかった。16年前と同じ…。自分だけが、また生き残った。
『また、俺だけだ…』
その言葉が脳内で何度も反響する。
「珠玉…様…?」
「兄様ッ!!」
避難していた人々の元に、大斧が深々と突き刺さっていた。
大きなクレーターができ、死の匂いが漂う。
「借りは返そう。感謝する」
珠玉の左腕が…ない。
和哉は目を見開き、呼吸が乱れた。
「借り…って…」
震える声で問いかける。
「私の弟たちの良き友であってくれたこと。そして…憧れた人を殺させなかったことだ」
珠玉の顔に浮かぶ、かすかな微笑。
「あれェ、死ななかったァ。まァ、いいかァ」
突如響く孤高の声。
背後を振り向けば、黒いローブに黄金の天秤。菜摘を片手に、もう片手で直哉を軽々と抱え上げている。
「はい、あげるゥ。」
菜摘は無造作に投げ渡された。智春が慌てて影で受け止める。
「奏人様ッ!!」
代わりに、奏人の身体が孤高の腕に収まる。
必死に手を伸ばすが、届かない。指先が空を切る。
「バイバァーイ」
この戦いは、癒しの魔女…そして奏人を奪われて終結した。
癒しの夢と、珠玉の意地がぶつかった戦いは、孤高の介入で全てが崩れ去った。
珠玉は左腕を失い、紅玉は重傷で生死を彷徨う。
東京では信仰統制局が何者かに陥落させられ、開闢の魔女が行方不明。
第一聖教会もまた、壊滅。
死者・行方不明者の数は未だ不明。その殆どは…病院にいた一般人だった。




