第八十八話:凍てつく戦場
「放心してる場合か! 立てるか!?」
駅側の西玄関口。辺り一面は、凍てつく氷に閉ざされていた。冷気が肌を刺し、吐く息さえ白い。
「兄さん…」
春馬の長い髪が、横たわる隼人の顔にかかる。最前線で孤軍奮闘していた春馬の元に、菜摘と隼人が合流したのは、ほんの30分前の出来事だった。
「女子供をいたぶる趣味はない。引かぬというのなら、一瞬で終わらせよう。」
駅側からゆっくりと歩いてくる珠玉。その姿は威圧感そのものだった。
「生憎、背は低いし化粧もしていますが…男なので問題ないでしょう。」
春馬は、魔女最強の一角――何より「魔法を使わせたら右に出る者はいない」とまで言われる珠玉を前に、一歩も退かなかった。
「春馬様…」
「春馬様、ここは我々が!」
だが、その背に控える仲間たちは違った。勝機のない戦いだと悟っているのか、春馬が前線に立つことに困惑の色を浮かべていた。
「例えここで倒れようと、必ず意志は紡がれる。1分1秒でも平和と平等が続くなら…だから、あの人に生きてほしい」
「貴方方も同じでしょう?」
凛とした声が響く。その言葉に、人々の視線が変わった。拳が握られ、突き上がる。恐怖の中に火が灯る。
「行きます」
春馬が珠玉に向かって一歩踏み出す。続くように、仲間たちも駆け出した。
「ここにも不穏な因子が一人…。次なる皇帝となりゆる。早々に摘むべきだ。」
珠玉の革靴が冷たい地面を打つ。
カツン、カツン――
冷たい音が規則的に響くたび、春馬の心臓が締め付けられる。
カツン、カツン――
氷柱が次々と立ち上がり、春馬は仲間たちと分断された。
「癒しの魔女が魔法を使うとき、声を発したことはあるか?」
突如として投げかけられた問いに、春馬は目を見開き、氷柱ギリギリまで距離を取る。
「答えは否。魔法を使い慣れた者ほど、息をするように使う。息をするのに気張ったり、叫んだりはしないだろう?」
淡々と告げる珠玉の声。春馬の背に冷たい汗が流れる。嫌な予感に駆られ、その場を跳び退った瞬間、そこに氷柱が突き刺さった。
「使い慣れてなお、魔法に名をつけ唱える変わり者もいるが、それは戦略だ」
珠玉が再び歩を進める。春馬は走り出した。足音の数だけ現れる氷柱――そこに何か仕掛けがあると確信し、注意深く観察する。
「春馬様!!」
「ご無事ですか!?」
外の仲間たちには影響はない様子。
(俺が少しでも時間を稼げば、外の皆も…!)
春馬は必死に氷柱の迷路を駆け抜けた。
「なら、これはどうだ」
珠玉の声と同時に、空間に水の粒が現れた。
「クッ…!」
目にも留まらぬ速さで飛ぶ水弾が、春馬の右肩に直撃。
「打撲程度だ。だが次はない。降参するなら今のうちだ。楽に殺してやろう」
珠玉の冷酷な声。それに対し、春馬は血を滲ませながらも恐ろしく美しい笑みを浮かべる。
「悶え苦しんで死ねるなら、それは誇りです――!」
走る足は止まらない。珠玉は降参の気配を見せぬ春馬に、もうよいと言いたげに指を鳴らした。
「言っただろう?」
春馬は分かっていた。その瞬間、懐から刀を抜く。
「敵ながら、見事だ」
春馬は自らの右腕を切り落とした。すると落ちた腕は瞬時に凍りつく。
「ッ…がッ…!」
想像を絶する激痛。歯を食いしばり、血が口の端から溢れる。それでも、足は止まらなかった。
「だが、残念だ。」
カツン――その音と同時に春馬の足が止まった。
左太ももに氷柱が突き刺さっている。
「言ったはずだ。音を立てるのは作戦だと。足音に気を取られれば、リズムを外した攻撃には対応できない」
珠玉の声は、もはや春馬の耳に届いていない。痛みに喘ぎ、血に染まった呼吸を繰り返しながらも、必死に氷柱を抜こうと足を震わせる。
(意地でも…逃げる。時間を稼ぐ…あの人は…馬鹿じゃない。きっと逃げてくれているはずだ)
「期待はするな。あの男(癒し)は逃げないぞ。そういう男だ。」




