第八十六話:知らないこと
「もう、お終いですか?」
双子の片割れを相手にした和哉は、じっと冷たい視線を送り、わずかに目を細めていた。
「なんで…なんでお前みたいなのが…魔女の従者なんてやってんだよ!!魅了よりも、叡智よりも…」
――強いだろ。
そう言いかけた片割れの首筋に、和哉は迷いなく手を添えた。指先に伝わる鼓動の速さが、相手の動揺を物語る。
「弱かった私を、強くありたいと思わせてくださったのは、間違いなくひより様です。…主人への忠誠は、力の優劣では決まりません」
その声には微塵も迷いがなかった。
片割れは、納得がいかないとでも言うように和哉を睨みつける。
その幼さすら残る目に、和哉は小さくため息を漏らした。
「貴方は、自分より弱ければ――珠玉の魔女《自身の兄》にも――刃を突き立てるんですか?」
「そんなわけないだろ!」
怒鳴り返す片割れの声が、どこか震えていた。
「それと同じですよ」
和哉の低い声に、片割れはハッと息を呑む。肩がわずかに揺れ、悔しそうに唇を噛んだ。そして、ゆっくりと頭を垂れる。
「…わるい」
根は悪人ではないのだろう。敵対する和哉に対して、こうも素直に謝罪できるのだから。
だが、血が登りやすく、兄への忠誠が強すぎる――そんな性格が今の悲劇を招いたのだと和哉は悟った。
(人間味がある…さっきまでなら、迷わず殺せただろうに)
だが今、この片割れを殺すことは、和哉にはできなかった。
「目的は何ですか? 何故、叡智と癒しを狙ったんです?」
殺意を悟らせぬよう、和哉は質問へと切り替えた。
「戦いに負けちまったしな…。ただ、聞いたからには…見逃してほしい。頼む」
「答えが必要なんだろ?」
片割れは、わずかに自嘲気味な笑みを浮かべる。和哉も一瞬だけ目を閉じ、悩むことなく頷いた。
この程度の敵なら、菜摘でも勝てる――そう踏んだからだ。
「愚弟の回収がメインだった。でも、状況が変わった。…孤高の魔女が動き出したからだ」
その名を聞いた瞬間、和哉の胸にひやりとした感覚が走る。
孤高の魔女。16年前の革命で生き残った2人の魔女のうちの1人。
表舞台に出てこないため、どんな人物かは謎に包まれている。それでも、良い噂を聞いたことは一度もなかった。
「叡智は守り人も司教たちもいなくなり、良くわからない状況だ。それに子供だし、弱い。癒しも戦闘向きじゃないから戦えない。孤高のいい標的だ。だから…叡智と癒しを吸収して傘下に加える。2人が孤高に討たれたら、間違いなく社会は大混乱だからな」
その言葉に、和哉は強く拳を握る。無意識に唇を噛み、微かな血の味を感じた。
自分たちは、ひよりを守っている。守れているつもりだった。
だが、世間の目にはそう映っていない――だからこそ、他の魔女が動き出したのだ。
「事情は分かりました。でも…だからって、力ずくは違うでしょう?」
一度吐き出すように息をつき、和哉はわずかに声を震わせながら続けた。
きっと珠玉が大人しく交渉したとしても、ひよりも直哉も首を縦に振らなかっただろう。それでも…オークションをきっかけに近づき、弟を助ける大義名分を盾に攻撃を仕掛けてきた彼らを、簡単には許せなかった。
「時間がないんだよ!!お前にも分かるだろ!!魔女社会が崩壊したら、また16年前みたいなことが起きる!!自分の兄貴が死ぬかもしれないんだぞ!他のやつのことなんて考えてられるか!」
激情を吐き出す片割れ。和哉の心にも小さな共鳴があった。
確かに、方向性で言えば、ひよりは魔女社会の崩壊を目指している。
それに対して、魔女社会を長く維持しようとする珠玉。
相容れない思想。だが、理解できないわけでもない。
崩壊とは、家族や友人や主人が死ぬかもしれない未来なのだ。
平穏を望めば誰も死なない――そんな希望にすがる気持ちも、わからなくはなかった。
「癒しも…同じなんじゃないのか?癒しの魔女は、人々の平穏を守りたいから戦ってるんじゃないのか?兄様と戦ってたあの人間たちも、そうなんだろ?」
その問いに、和哉はわずかに目を伏せる。直哉の姿が脳裏に浮かび、唇が震えた。
確かに兄もまた、変革を望んでいない。ただ、人々の平等と平和を願って戦っているのだ。
「あと一時間もしないうちに、孤高の魔女が癒しを殺しに来る!!お前が説得してくれよ!!頼む!お互い、兄貴が死ぬのは見たくないだろ!!」
「あと一時間」――その言葉に、和哉の心拍が一気に上がる。
焦りが喉を焼くように広がるが、答えは出ない。それどころか…
「私の…兄が…誰だって…?」
低く震える声が、静かな怒気を帯びていた。
なぜ、直哉と自分が兄弟であることを知っている?
直哉は用心深く、家族の話は外で絶対にしなかった。
和哉自身も同じだ。唯一知っているのは、ひよりたちを含む、ごく限られた人間だけのはず。
「はぁ?お前、和哉だろ?兄様と直哉は――幼馴染だろ!!」
片割れは当然のことのように続ける。
「会ったことはないけど、お前のことだって兄様から話に聞いてるし…。何より、菜摘が家出してそのままにしておいたのも、親同士が知り合いだったからで…」




