第七十九話:知らないこと
「まだ弟子じゃない」
ひよりが低く呟く。その瞬間、辺りは一気に灼熱に包まれた。
紅玉の足元から湧き上がる炎は渦を巻き、まるで生き物のように彼女の細身の体を飲み込む。
「炎の操作っていうのは――こうやるんだよ」
紅玉を覆っていた炎が、吸い込まれるように消える。その刹那、無音の世界で光だけが炸裂した。
――大爆発。
ひよりは咄嗟に防御の炎を展開したが、紅玉の炎にあっけなく掻き消される。
「骨も残ってないじゃーん。ウケるね」
軽い口調。だが、ひよりの背中を冷たい汗が伝った。
(これが…本物の“炎の支配者”)
「いっくよー♪」
手をひらひらと振りながら、紅玉は迷いなく先を歩く。
現れる敵を、その度に過剰なまでの炎で焼き払っていった。
「全階、見て回ったはず…」
ひよりは息を整えながら呟く。既に建物の炎は消されていたが、肝心の親玉らしき人物は見当たらない。
「ないもんはしゃーない。帰ろー」
紅玉は伸びをしながら、肩をぐるぐると回す。
ひよりは腑に落ちない表情で紅玉を見つめる。
「ここ…地下、ないの?」
ぽつりと呟いた声に、朱里がハッと目を見開く。
「……そうだ!シェルター!!革命後に義務化されたって聞いた!」
ひよりは頷き、硝子と視線を交わすと足を踏み出した。
「動いたら――今度は手加減してあげない。」
背後から冷たい声が降る。次の瞬間、紅玉の細い指がひよりの首元に当てられていた。
「っ…!」
ひよりの体がピクリと震える。その指先からは微かな熱が伝わり、まるで皮膚を焦がすような錯覚が走った。
「叡智ちゃんは気づいた方がいい。」
紅玉はゆるりと笑いながらも、瞳は氷のように冷たい。
「沢山の人が、叡智ちゃんを思って警告や助言をしてくれてる。それは、私達“大人”が生きた知見で君を導くためだ。たった10年やそこらしか生きてない君をね」
硝子はすぐに剣に手を伸ばしたが、
「……動けない」
彼女の体は硬直し、汗が額を伝った。
朱里もまた唇を噛む。
「こいつ…本気だ。少しでも動けば殺される…!」
「まだ、君は若すぎる」
紅玉はひよりの耳元で囁くように言った。
「爪も甘いし、考えも子供。その場のノリでなんとかなると思って生きてきた。違う?」
図星だった。
ひよりの心臓が強く跳ね、(バレてる…全部見透かされてる)と焦りが広がる。
「まっしーが、なんで叡智ちゃんにあんなに人を殺させたんだろうね?」
「なんで残酷なことばっかり要求したんだろう」
「なんでフクロウなんて腐った教団に預けたままにしたんだろうか」
その問いに、ひよりは小さく息を呑む。脳裏に浮かぶのは開闢の狂気と気まぐれな笑顔。
(あの人は…ただおかしい人だから…)
必死に理由を探すも、それ以外が出てこなかった。
「幼い君が、創造神の天命で人を殺めることに病んでしまわないようにだ」
紅玉の声音は優しさと冷酷さが入り混じる。
「命を狙ってくる反魔女を躊躇なく殺し、自分の身を守れるように――そう仕向けたんだ。」
「知らなかったでしょ?」
紅玉がひよりの頬を軽くつつく。
ひよりの目が見開かれ、声にならない声が漏れた。
(嘘…だよね?)
否定しようとしたが、さっき開闢と再会したときの優しげな表情が脳裏をよぎる。
(でも、あの人は…本当に…?)
「君は確かに不遇な魔女だよねぇ」
紅玉は少し哀しげに目を細める。
「魔女として生まれてなければ、こんな思いしなくて済んだ」
「両親からも、たくさんの愛を受けて育ち…友達も、きっとたくさんいたんだろうね」
それは、ひより自身が何度も願った“普通”の人生だった。
何度も、何十回も、何百回も――諦めたはずの夢。
「でもさ。形は違くても、叡智ちゃんが知らない人たちだって、みんな君のことを思ってる」
紅玉は真っ直ぐひよりの瞳を覗き込む。
「視野が狭い君には分からないだろうけど」
ひよりは紅玉の視線を受け止めきれず、わずかに目を逸らした。
胸の奥がじくじくと痛む。素直に認めたくない。認めたら、自分がこれまで抱えてきた孤独が崩れてしまいそうで。




