第七十三話:最後の警告
「ひより」
押し寄せる群衆から少女を守るように、必死に覆いかぶさった。けれど、いくら待っても人々は押し寄せてこない。奇妙な静寂が舞台を包む。
「オバサン……」
あたり一面、血の海。そこにたった一人立っていたのは、返り血で真っ赤に染まった髪をなびかせる開闢だった。
「16年前。皇帝の最後と瓜二つだよ」
開闢はゆっくりと血だまりに足を踏み入れ、音も立てず胡座をかく。天井を仰ぐその姿には、薄気味悪いほどの落ち着きがあった。
「最大の組織を率いていた皇帝は、当時まだ大学生だった。本当に……日本を導くべき人だった。私も、直哉も、鈴乃くんも、彼の友人だったんだ。」
ひよりは息をのんだ。開闢も、坊さんも、ゆったんも……みんな、皇帝の友達だったなんて。そんなこと、考えたこともなかった。
「彼はいつも、大学終わりに新宿のバスタ前で教徒たちへ演説をしていた。魔法の有無、入教の有無に関わらず、すべての人は平等に生き、平和に暮らせる……そう夢を語っていたよ。当時の人々からすれば驚愕だろうね。魔女や創造神を信仰することでしか平等を望めなかった時代だ。」
魔女なのに……そんな考え方をする人がいたなんて。でも、なんとなく分かった気がした。
「反魔女が増えたり、天命を素直に受け入れられない人が増えたのって……」
皇帝ほどの影響力を持つ魔女が平和や平等を謳えば、それは創造神の権威の否定につながる。その結果、今もなお一部の人々に創造神や魔女への不信感が残っているのではないか――自分なりに答えが見えた気がした。
「彼の存在は、間違いなく魔女社会を変えたよ。もう昔ほど、天命をすんなり受け入れる人は珍しい。浅い信仰が増加しているのもその証だ。」
「魔女社会を変えた人」
その一言だけで、どれほどの人物だったのかが伝わる。
「平等や平和を謳う彼の元へ、医療の平等を掲げる直哉が集い、その後を追うように鈴乃くんも続いた。それに賛同したのは、彼らだけじゃない。あの紅玉の魔女までが一枚噛んでいた。」
疑問が、胸の奥に浮かんだ。
「オバサンは……なんで皇帝の元へ集ったの?」
問いかけに、開闢はプフッと吹き出し、大笑いした。しかし、その笑顔はいつもの胡散臭いものではない。心底楽しそうに、懐かしむように笑っていた。
「彼を皇帝にしたかったんだよ。創造神なんてくだらないものを、捻り潰してくれる存在としてね」
その言葉に、ひよりはハッとした。通り名を持たなかった魔女に、人々が「皇帝」と呼び始めたのは、確か……誰かがそう呼んだからだ。それが――開闢だったのか。
「ひより」
再び名前を呼ばれ、肩がビクリと揺れた。開闢の瞳は、氷のように澄んでいながらも、真っ直ぐ私を射抜いていた。
「皇帝はね。失踪したと言われているが……実際は嵌められたんだよ。いつものように新宿で演説をしていたとき、さっきのひよりのようにね。」
さっきの――。その言葉に、笹野の挑発的な質問や群衆の怒りの表情が脳裏に蘇る。
「皇帝も……あんな気持ちだった?」
私の問いに、開闢はゆっくりと首を横に振った。
「私には分からない。ただ私は、天命の名のもとに殺されゆく彼を見ていた“傍観者”に過ぎない。ひよりには、私の記憶を体験させただけだからね」
あんなに心細くて、絶望して、どれだけ叫んでも届かない。その時、皇帝は――どんな気持ちだったのだろうか。
「でも、私には分かる。君たちのうち、誰かが次なる彼になる。崩壊が始まっている魔女社会を完全に終わらせるのは、その者だ。」
「次なる皇帝」
その言葉に、ひよりは無意識に奏人の顔を思い浮かべた。
「仲間の屍を踏み越えていくだけでは生ぬるい。時には喰らい、自らの糧とすることもある」
開闢の声は淡々としているのに、全身に刺さるような重さがあった。その言葉に、ひよりは拳を固く握る。
「さっきみたいに、泣いている暇は誰も与えてくれないよ。それでもひより……君は彼らのところへ行くのかい?」




