第六十六話:掛けるモノ
センターの屋上。冬樹と直哉は、一言も話さずに上がった。屋上に着いても、直哉が話を切り出す気配はなかった。
涼しい夜風が二人の頬を撫で、沈黙だけが支配する。
「ぷっ……はっ!! ウケる、冬樹、ちょっと老けた?」
三十分は軽く黙り込んでいたが、その沈黙は直哉の突拍子もない一言で破られた。
冬樹は呆れたように眉をひそめながらも、肩の力が抜けるように笑い出す。
「直くん、もう僕ら34だよ? それなのに、まだ金髪って……」
「うるせえー!」
直哉がおどけるように冬樹の肩に腕を回す。
二人の姿は、誰がどう見ても親友そのものだった。
「はぁー!笑った。俺さ、珠玉の宣戦布告にめっちゃビビったんだよ。何日か寝られてねえの、ウケるよな?」
「直くんのビビリ〜」
「お前には言われたくないっつーの!」
笑い声が屋上の空気を少しだけ和らげたが、ふと冬樹の表情が陰った。
幼馴染として、生まれたときからずっと一緒だった。
同じ病院で一日違いに生まれ、幼稚園、小学校、中学、高校、大学まで、全て同じ。
そして、同じ病院で研修医としても勤めた。
長い年月を共にしたからこそ、言葉がなくても異変に気づける。
「冬樹はさ、まだ体……動くよな?」
その問いに、心臓がドクンと大きく跳ねた。
冬樹は無意識に震える指先を服の裾で握り込み、無理やり笑顔を作った。
「たった10年やそこらブランクがあったくらいで、忘れるわけないじゃん!
医師免許、家に置いてきちゃったけど、まだピカピカだしっ!!」
そんな冬樹に、直哉は肩をすくめて笑った。
「医師免許ピカピカとか逆に不安しかねーだろ」
だが、直哉の笑顔はすぐに引き締まる。
「……考えたくないけど、絶対に珠玉はここに来る。
もうすぐ、このセンターは、見たくもないほどの怪我人で溢れかえる」
「俺についてきてくれ、冬樹」
直哉の瞳は曇りひとつなく澄んでいた。
まっすぐで、人を引きつける天性の才能。
本当は、自分よりもずっと、魅了の魔女にふさわしいのは彼なのかもしれない――
そんな嫉妬が、胸の奥でチクリと疼いた。
「ふふーん。研修医時代、謎医と呼ばれた僕の腕が必要になるなんて……
よっぽど医者不足なんだね」
「出た出た、謎医!」
直哉が吹き出して笑い、その夜、二人はまるで10代に戻ったかのように朝まで笑い明かした。
「謎医に暴走医。二人揃うなんて世も末だよ!!」
「お局様、まだご存命かよ……」
深夜まで騒いでいたせいで、お局様が現れて怒鳴りつけられる。
「まったく!! 魔女だなんて呼ばれるようになっても、あんたらは変わらんよ!!」
「僕が魔女なのもバレてるんだ……」と頬をかく。
「お局様には何でもお見通しだ」と直哉は天を仰いだ。
「あ、癒しの魔女様!! 奏人様は!?」
お局様に怒鳴られた後、廊下を歩いていると、息を切らして走ってくる隼人と和哉の姿が見えた。
後ろからお局様が「走んじゃないバカ共が!」と怒鳴っているのも聞こえたが、気のせいだと思いたい。
「あ、和哉くんと隼人くん!!無事だったんだね!!」
「良かったぁ」
冬樹はホッと胸をなでおろした。
「奏人くん、体中調べたけど攻撃を受けたところは青痣程度で、どこも悪くなかった。おそらく、開闢の魔法だ」
直哉の言葉に、全員が目を見開いた。
隼人は拳をギュッと握りしめる。
「そんな……奏人様がいないと、ひより様は……」
隼人の震える声に、直哉は静かに頷いた。
「いつまで持つことか。相手は開闢だ。植え付けられた恐怖は根強い。助け出すのが遅くなればなるほど……ひなちーは戻ってこれなくなる」
「変われますよ」
和哉が一歩前に出て、真っ直ぐに直哉を見据えた。
「叡智の魔女は、もう一人じゃない。私たちがひより様を信じるように、ひより様も私たちを信じています。絶対に、開闢に屈したりはしません」
“あなたより、ひより様を知っている”
和哉の瞳がそう物語っていた。
その時――
「魔女様、急いで避難を!! 珠玉が……珠玉が西玄関前方、駅の方から接近しています!!」
誰かの叫びがセンター内に響き渡る。
一気にざわめき立つ空気。
「直くん、行って」
冬樹は足を震わせながらも、真っ直ぐロビーの方を見つめていた。
「和哉、隼人くんも行こうか」
直哉は二人の手を取り、勢いよく歩き出す。
その足取りが少しよろけると、隼人が支えた。
「待ってください!! 置いていくんですか!?」
隼人の叫びに、直哉は振り返らず一言だけ残した。
「時間がねぇんだよ。足手まといは来い」
荒々しい口調に和哉も隼人も何も言い返せなかった。
「冬樹さん」
残された冬樹に菜摘が声をかけた。
その瞳は鋭く、強い決意を宿している。
「俺は、叡智の魔女の仲間です。だから戦うのは、冬樹さんのためでも、あの人のためでもない。ひよりが笑える明日のために、今ここでナイフを握ります」
「そして、過去に決着をつける」
その言葉に、冬樹は吹き出すように笑った。
「そうだね。僕は魅了の魔女で、世間からすれば、ひよこちゃんとも直くんとも派閥が違う。でも……大好きな人たちが人生かけて築いたものを、一緒に守りたい」
「単純だよね」
ゲラゲラ笑う冬樹の姿は、やはり直哉の親友だった。
そんな彼に、菜摘も思わず微笑んだ。
「リベンジだ。次は……」
「命をかけて、ですね」
そう言って二人は、ロビーへと歩を進めた




