第二十六話:刈られる者
睨み合い、距離を取る。すると、カシャン、と低い金属音が響いた。ナイフにしては随分と大きい刃物を、ひよりに向ける菜摘の姿があった。
「手加減すれば、屋敷の奴らもまとめて殺すからな」
低い声で釘を刺され、ひよりも無意識に肩を強張らせる。だが、すぐに手を伸ばし、当たり前だとでもいうように強く頷いた。
しばらく沈黙が続き、緊張で耳鳴りがするほどだったが、どこからか聞こえた子供の声を合図に、双方が地面を蹴った。
ひよりが自分から距離を詰めてくる姿に、菜摘は内心で微かに驚く。魔法を使う人間が、あえて間合いを狭めてくるとは。
「地を這え」
ひよりは、小刻みに繰り出される攻撃を身をひるがえしながらかわし、言葉と同時に握った手をパッと開いた。すると、地面に広がるように炎が走る。しかし、炎の熱気をものともせず、菜摘は正確無比に刃を向け続けた。
「噂にしか聞いたことなかった。それが理想郷の崩壊と嘆かれた…創造神への冒涜。対魔法を目的に作られた装備」
猛暑日に全身を覆い尽くす重厚な服に、やけにゴツいブーツ。炎を浴びても燃え移らず、ひよりは背筋に冷たいものが走る。菜摘は来た当初、ボロボロの装いをしていた。しかし、いつの間にか服装は整っていた。その真相がこれだったとは思わず、ひよりは寝首をかかれた気分になる。
「その強度なら、腕の一本や二本飛ばす気でやっても問題なさそうだね」
菜摘は「そういうこと」と軽い調子で答えるが、その目に油断や驕りはない。辺り一面が炎の海になろうと、攻撃の速度も精度も鈍らず、むしろさらに鋭さを増していた。
「魔女の業火に人間の知恵がどこまで通用するか。確かめてあげる」
その言葉と共に、ひよりは空へ手を伸ばし、指先をぎゅっと閉じるようにして糸を繰る仕草を見せた。
「私が勝つまで出してあげない…捕まえた」
ガチャン、と大きな音がして、炎の海に沿うように炎の格子が現れ、周囲を覆う。
「お前は勝てない。俺が勝つからな」
少しの動揺くらいは見せると思った。しかし菜摘は一切顔色を変えず、炎の格子の中を悠然と歩む。その姿にひよりの喉がひりついた。
これが経験の差。対人間での戦闘経験がないひよりには、相手の不意をつく行動を取ることさえ難しい。魔法使い相手なら、ある程度どんな規模の魔法が来るか予想はできる。しかし、魔法を使う素振りを見せない菜摘は、何を仕掛けてくるか全く読めなかった。緊張で足の裏が汗ばんでいるのを、ひよりは初めて意識した。
「戦いづらいか?」
「っ!!」
自ら菜摘に近づいたことが裏目に出る。早い。確かに早いとは思っていたが、その攻撃や移動の速度は奏人相手にしていた時より格段に上だ。菜摘の姿が一瞬視界から消えたかと思えば、もう間合いに入り込まれている。ひよりは息を呑んだ。
「戦い慣れてない魔女はそうだ。そもそもまともに戦闘経験のある魔女なんてほとんどいない。歯向かうやつが少ないし、歯向かわれても赤子の手をひねるように殺して終わり。戦いにすら発展しないからな」
初めてだ。ひよりは、誰かに対して本気で“命の危険”を感じた。奏人の狂気じみた姿も確かに恐ろしいと思ったことはある。司教たちの笑みや振る舞いも不気味だった。しかし——ここまで剥き出しの死の恐怖を味わったのは初めてだ。
「これが…刈られる側の恐怖…。死ぬことが怖いっていう感情…」




