第百五話:頼る力
「っ! ひよ……ましろ様、早くこちらへ!!」
さすがに両頬を真っ赤に腫らした痛々しい姿のまま、一人で家に帰すわけにはいかない。
レイシス、そして理事長は珠玉邸を訪れていた。
玄関から入ってすぐ、出迎えた和哉がひよりの姿を見て、慌てて手招きする。
「痛くない」
確かに痛かった。でも、それは一瞬だけで、今はジリジリと熱を帯びているだけ——そう言い聞かせるように口にした。
しかし和哉は、ひよりの頬を見つめ、酷く顔を歪めた。
「ひより様は痛くなくても……私が、とても痛いです」
ひよりにだけ聞こえる小さな声。
その言葉にひよりの肩がピクリと揺れる。
和哉の瞳には、涙が今にも溢れそうに溜まっていた。
「ごめん……なさい」
シュンと落ち込むひより。
それを見て、和哉は慌てたように明るい声を出した。
「おやつ、用意してますからね!」
ひよりの喜びそうな話題を持ち出し、場の空気を変えようとする。
この日は珠玉の帰りが遅い。下手をすれば帰ってこない。
そのため、菜摘が理事長たちの対応を引き受けた。
ひよりの許可も取り、珠玉には今回の件を報告しないことに決まった。
「学校、明日は休むか?」
一通りの対応が終わった後、菜摘がひよりに声をかける。
「明日も、理事長先生と授業して、草むしりするの」
ニコリと、楽しそうに笑うひより。その笑顔に「行かないで」とは言えなかった。
菜摘は心の奥でため息をつく。
理事長やレイシスからひよりの学校での様子を聞いて、兄や親代わりの立場としては行かせたくない気持ちが強かった。
珠玉の名を出さねば、いくら末端とはいえ魔法学院グループに入れるわけがない。
それでも出してしまった。ひよりが憧れていた学園ライフとは程遠い現実。
菜摘の心には葛藤が渦巻いていた。
「たくさん勉強して……いつか、みんなの頼れる魔女になるからね……」
ひよりは拳を軽く握り、目を細めて言った。
みんなが「ついていきたい」と思える魔女に。
フクロウが行っていたような強制的な支配と信仰ではない、平和と平等のための力。
その気持ちは、少なからず直哉から受けた影響だ。
小さくても、少しずつ芽生え始めている。
教団フクロウの教徒たちを救いたい——その想いが確かに心の奥で灯っていた。
「すごい魔女っていうのは、頼るのも上手い魔女のことだぞ」
菜摘は少し照れ臭そうに笑いながら言った。
「兄貴が特にそうだ。自分一人で何でも決定できるし、全てを従わせる力もある。魔女で、白百合グループの長だ。だが……兄貴は人を育てることを選んだ。白百合の血が途絶えたとしても、社員たちが自分たちだけでグループと共に生き残ってくれるように。だから、重要な仕事もいろんな社員に任せてる」
普段は口にしないような兄への敬意。
その瞳には確かな尊敬の光が宿っていた。
「直哉で言えば第一聖教会の医療スタッフ、紅玉様で言えば紅玉大同盟もそうだろう。魔女が一般人を助ける必要なんて、本来ない。それでも助ける。そして、共に肩を並べて歩く。少なくとも俺は……ひよりにはそういう人間になってほしい」
菜摘の本音。
ひよりは真剣な瞳で見上げ、コクリと頷く。
気づけば和哉や硝子、隼人たちも静かに聞き入っていた。
「子供だからじゃありません。ただ、頼ってほしいんですよ」
硝子の穏やかな声に、ひよりの目が潤む。
もう一度大きく頷くと、皆が優しい笑顔で迎えてくれた。
「でもまぁ、」
「舐められっぱなしって、気分よくないですよね」
菜摘と隼人が珍しく意見一致。
硝子も、隣で小さく剣を振る仕草をしながら同意の意を示している。
「大事になったらまずいんじゃ……」
和哉のその一言に、一同はぎりぎり残った理性で踏みとどまる。
確かに事が大きすぎて、ドンパチやって終わる話ではない。面倒ごとになるのは目に見えていた。
「大事にならない程度に勝つ」
しかし、そんな理性もひよりの一言で吹き飛んだ。
珍しく、ひよりがやる気なのだ。
どう転んでも本人がそう決めたなら、従者はそれに従うしかないだろう。
「程々にな」
菜摘が苦笑する。
ひよりは全員の視線を受け、大きく頷いたのだった。




