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【婚約クラッシャー】デスリンドの破棄記録~その望まぬ婚約、破棄させてみせましょう~

作者: 青空あかな

「僕はこの婚約を破棄させてもらう! 君みたいな下劣な女を親族にしてたまるか!」


 穏やかな昼下がりの空気に包まれたレストランの一室に、男――アンドレア・リシャール伯爵嫡男の怒鳴り声が轟いた。

 男が指さす先には、紫とピンクのツインテールの少女がいる。

 デスリンドだ。

 毒々しさとケバケバしさが同居したこの令嬢により、アンドレアは婚約を破棄した。

 アンドレアは怒りながら店を出る。

 だが、婚約破棄されたのは……デスリンドではない。

 彼女の隣にいる少女――エリー・カルフォン子爵家令嬢だった。


「ありがとうございます、デスリンド様……。あなたに出会えなければ、私は暗い人生を送っていたに違いありません」


 アンドレアの姿が見えなくなった瞬間、涙ながらにお礼を述べるエリー。

 デスリンドはハンカチを出すと、彼女の涙をそっと拭いた。


「あなたの幸せが守られて私も嬉しいわ」


 ――婚約クラッシャー。


 望まぬ婚約を結ばされた少女たちのため、デスリンドは『自分が原因で』依頼人の婚約を破棄させる。

 これは、弱きを助け強きをくじく、一人の元令嬢の話である。



 ◆◆◆



「お嬢様、お茶でございます」

「ありがとう、クロード。気が利くわね。ちょうど喉が渇いていたのよ……あら、今日は一段とおいしいわ。腕を上げたわね」

「お嬢様のためならば、どんな努力も惜しみません」


 黒髪の優男が差し出した紅茶を、デスリンドはおいしく飲む。

 男の名はクロード、歳は二十四。

 今年で十六となるデスリンドに、幼少期から長く仕える専属執事だ。

 彼女たちがいるのは、マケドニウス王国の王都郊外。

 デスリンドが細々と経営するブティック――"ベンヴェヌータ"だ。

 まだ午前十時の開店直後ということもあり、客足はない。

 

「今日はいつものお客さんは来るかしら。できれば、来ない方がありがたいのだけど」

「世の中は平和という証でございますものね」


 そこまで話したところで、ドアベルがカランッと軽い音を立てた。

 小柄な茶髪の少女が入店する。


「「いらっしゃいませ」」


 デスリンドとクロードは揃って挨拶するが、少女は何も答えない。

 衣服の陰に隠れるように、サッと姿を消す。

 待つこと数分、少女がカウンターにやってきた。 

 だが、その手には何も持っていない。

 少女はしばしの間俯いていたが、顔を上げるとひと息に告げた。


「あの、すみません。……ハサミをくださいませんか?」


 少女の注文を聞いた瞬間、デスリンドとクロードの表情が厳しいものに変わる。

 ハサミをください――それが、婚約クラッシャーに依頼を頼むときの合図だった。

 クロードは静かに下がり、代わりにデスリンドが少女に言う。


「どうやら、お困りのようね」

「お願いです……どうか見捨てないでください。……もうあなた様しか頼れる人がいないのです」


 少女ーは下を向き、拳を震わせる。

 たったそれだけで、彼女の追い詰められた状況が伝わった。

 デスリンドは少女の手をそっと握り、安心させるよう努めて優しく言う。


「見捨てるはずがないでしょう。私はあなたみたいな人を助けるために、この仕事をやっているのだから」

 

 元貴族令嬢の彼女もまた、望まぬ婚約の辛さをよく知っている。

 クロードに閉店の看板を出すよう伝え、デスリンドは店の奥にエリーを連れていく。


 □□□


「まずはあなたのお名前から聞かせてもらおうかしら」

「はい。私はエリー・カルフォンと申します。カルフォン子爵家の一人娘です」


 バックヤードに案内したデスリンドは、少女からさっそく話を聞いていた。

 少女の名はエリー・カルフォン、十四歳。

 緩やかなウェーブがかかった茶髪に、くるりと丸い茶色の目。

 小柄な体型も相まって、愛くるしい小動物のような印象だった。

 クロードが紅茶を差し入れると、こくりと小さく飲む。

 一口飲んだだけで吹き抜ける爽やかな爽快感、ほのかに香る柑橘類の香りに、自然と笑顔がこぼれた。


「お口に合うかしら? これくらいのおもてなししかできないのだけど」 

「とんでもございませんっ。本当においしい紅茶でございますわ……」


 大事に飲むエリーを見て、デスリンドとクロードはホッとする。

 依頼人の中には、取り乱して会話にならない状態の者もいるのだ。

 デスリンドは真剣な表情になると、淡々と尋ねた。


「もし話せそうなら、婚約者の情報も教えてちょうだいな」

「ええ……もちろんでございます」


 彼女の言葉にエリーはカップを置き、静かにひと息吐く。

 デスリンドとクロードもまた、エリーの言葉をそっと待つ。


「婚約者はアンドレア様と言いまして、リシャール伯爵家の嫡男でいらっしゃいます」

「リシャール伯爵家ね……。クロード、資料を」

「こちらでございます」


 間髪入れず、クロードは一冊の開かれた本を差し出す。

 アンドレア・リシャールについての情報が書かれたページだった。

 名前や住所、性格などの基本情報の他に、似顔絵、好みの女性・嫌いな女性のタイプ、女性へのひどい仕打ち、はたまた流れた浮名の数々まで……事細かな情報がまとめられている。

 思わず、エリーは驚きの声を出した。


「デ、デスリンド様、そちらの本はいったいなんでしょうか。なぜ、アンドレア様のことがこんなに詳しく調べられているのです。もしかして、デスリンド様は未来予知のお力があるのでは……」

「いいえ、未来予知なんかではないわ。クロードに命じて、日頃から貴族界の情報を集めているのよ。……ねぇ、クロード?」

「おっしゃる通りでございます」

 

 二人のやり取りを、エリーは感嘆とした様子で聞く。

 デスリンドはクロードに命じ、日々貴族界の情報――特にゴシップ関連の情報を収集させていた。

 依頼人の話と合わせ、多角的に作戦を練るためだ。 

 デスリンドは本を見ながら話す。


「どれどれ……アンドレア・リシャール伯爵嫡男、18歳男性。優男な外見に人気があるが、女性が大好き。浮気を繰り返し、彼に泣かされた令嬢は数知れず。口車に乗せてお金をせしめることも多々あり。……ふむ、端的に言うとクソ野郎ね」

「残念ながら、概ねの情報はそちらの資料と合っています」


 エリーは悲しそうにため息を吐きながら言った。

 そのまま、彼女は補足の説明をする。

 誠実な恋がしたく、浮気をするような男性はご遠慮したい。

 まだろくに会話もしていないのに、身体をまさぐられ怖かった。

 いずれお金を要求されたらと思うと気が気でないとも……。

 デスリンドは真剣な表情で彼女の話を聞いた。


「あなたはどこでアンドレアと会ったの?」

「貴族の夜会でお会いしたときです。一言二言お話ししただけで、一方的に婚約を告げられてしまいました……」


 しょぼしょぼと言うエリーを見て、デスリンドはまたか、と思う。

 デスリンドに助けを求める令嬢のうち、ほとんどが一方的な婚約の被害者だった。

 今回のように夜会で一目惚れされた結果だったり、はたまた生まれながらの政略結婚……。 それが貴族の習わしなのは、元令嬢のデスリンドも承知していたが、この世界は女性にとって生きにくいと常々思う。

 また、どうにかして変えてあげたいとも……。

 爵位の違いは身分の違い。

 子爵家が伯爵家に反抗するなど、あってはならないことなのだ。

 エリーも彼女の両親も十分承知しており、カルフォン家は暗い日々を過ごしていた。

 最後に残った頼みの綱が、婚約クラッシャーことデスリンドだった。

 デスリンドは最終確認をする。


「あなたはアンドレア・リシャールのことが好き?」

「……いいえ、好きではありません。嫌いですわ。今でもあの身体を触られる感覚が残っているくらいです」


 話ながら、エリーの全身は小さく震える。

 男性と手を繋いだこともない彼女にとって、アンドレアのセクハラは心に強い傷を与えていた。

 デスリンドはエリーの手を強く握る。


「ご心配なく。万事私に任せて。あなたの婚約は私が必ず破棄させるから」

「ありがとうございます……デスリンド様……。どうか……どうか、よろしくお願いします」


 涙ながらに頼むエリー。

 互いに握手を交わし、この瞬間をもって契約は成立した。


「婚約破棄のプランはこうよ。エリーさんはアンドレアと食事会を開くの。エリーさんの姉ということで私も同席するからね。食事会で私がアンドレアを怒らせて、"こんな女と親族なんてごめんだ!”……みたいな感じで婚約破棄させるわ。ついでに隠れた本性を明らかにしてやる」

「な、なるほど……」


 デスリンドは計画を伝える。

 依頼人の親族になりすまし、食事会や夜会をぶち壊すのが定番だった・

 ただ、デスリンドは一つだけエリーに頼むことにした。


「エリーさん。一つだけお願いがあるのだけど、聞いてくれる?」

「もちろんです。私にできることなら何でもやらせていただきます」

「食事会の場所はエリーさんが決める、ということだけアンドレアに伝えてほしいの。重要な仕事だけど……大丈夫かしら?」

「わかりましたわ。絶対に遂行いたします」


 デスリンドの頼みを、エリーは力強く了承した。

 その後、当日のプランを追加でいくつか説明。

 エリーは注意深く聞くと、深く礼をしてベンヴェヌータを後にする。

 前日に最終打ち合わせを控えているが、エリーに伝えるべきことは伝えた。

 残ったデスリンドとクロードは、どちらともなく顔を見合わせる。


「さて、クロード。仕事の時間よ。用意はいいかしら?」

「万全でございます、お嬢様」


 二人は、さっそく動き出す。

 エリーの望まぬ婚約を破棄させるために。


 □□□


「場所はこの辺りにしましょうか」

「よろしいかと存じます」

 

 エリーの食事会を明日に控えたデスリンドとクロード。

 彼女らは王都近郊に広がる森の中にいた。

 ベンヴェヌータから歩いておよそ三十分ほど。

 二人がいるのは木々が生えておらず、ちょうど広場のような開けた空間だ。

 このような森の中や閑静な住宅街、はたまたダンジョンの中など、デスリンドは時と場合にふさわしい場所を選んだ。

 当然の如く、周囲にレストランや料理屋の類いはない。

 そよそよと風が木々を撫でるのみ。

 だが、彼女らにとってはそれでよかった。


「クロード、お願い」

「かしこましました。……《臨時開店》」


 クロードが手をかざして魔力を込めると、一軒のこじゃれたレストランが出現した。

 濃い青色の外壁が落ち着いた印象の店だ。

 彼のユニークスキル――《臨時開店》。

 二十四時間だけ、一軒のレストランを具現化できるスキルだ。

 外観と内装は毎回自由に設定できる。

 実際の店を利用しては、その店主にも迷惑がかかる可能性があった。

 よって、デスリンドは毎回クロードのスキルで生み出した店を、婚約破棄の舞台とした。

 二人は中に入ると、まずデスリンドが感嘆の声を出す。


「相変わらず見事な魔法の腕前ね。どこか偉い貴族の専属魔術師にでもなった方が豊かな暮らしを送れるんじゃないかしら?」

「ご冗談を。私はお嬢様に仕えることが至上の喜びなのであります」

「ありがとう。あなたは最高の執事だわ」


 頑丈そうな樫のテーブルが数台に、艶があるしゃれた椅子……。

 壁には美しい風景画が何枚も飾られている。

 王族御用達の店にも負けないくらい立派なレストランであった。


「お嬢様、この店の名前はいかがいたしましょうか」

「そうねぇ……“ナイス・リーブン“にしてちょうだい」


 新しい人生という意味だ。

 クロードはうなずくと、外の看板に店の名前が刻まれた。

 デスリンドとクロードは椅子に座り、アンドレアの情報を確認しながら食事会のメニューを考える。

 特に、アンドレアは昆虫が苦手……という情報が使えそうだった。


「子どもの頃、寝ているときに蜘蛛が顔に落ちてきて嫌いになったようね。そのまま驚いて死ねばよかったのに」

「お嬢様、お口が滑られてございます」

「安心して。当日はちゃんと麗しい令嬢を演じるから」


 二人は軽快にやりとりを交わす。

 これもまた見慣れた光景であった。

 デスリンドが婚約クラッシャーを初める前からの。

 クロードが資料の一隅を指して言う。


「こちらには自分語りを妨害されると激昂する……という情報もあります」

「いいじゃないの。利用してやりましょう」


 デスリンドはアンドレアと出会ったことはない。

 だが、彼がどんな人となりなのか、どのような会話をすれば喜び、逆にどのような会話をすれば怒るのか、彼女はすでに把握していた。

 元より、デスリンドは人心の機敏に敏感な令嬢だった。

 頭の中で思索を巡らし、


「クロード、後でこれをエリーさんに渡しておいて」

「かしこまりました。お嬢様が合図をするまで外さないように……と口添えすればよろしいでしょうか?」

「よくわかっているじゃない」


 デスリンドはクロードに小さな耳栓を渡す。

 彼女の会話によるエリーへの心理的ダメージを、極力抑えるためだった。

 麗しき令嬢に、自分が話す内容は少々刺激が強すぎるだろうと考えた。


「エリーさんに迷惑がかからないよう、いつも通りメニュー自体は普通にしてね。いえ、貴族の食事会にふさわしい内容にしてちょうだいな」

「承知しております」


 婚約クラッシャーは、大前提として依頼人に迷惑をかけてはいけない。

 あくまでも『デスリンドが原因で』婚約を破棄させる必要があった。

 そのため、あくまでも料理のメニューなどは普通もしくは豪華であるべきと、デスリンド考える。

 名目上はエリーが選んだ店だからだ。

 彼女が逆恨みでもされたら、それこそ台無しになってしまう。


「では、私は少し買い出しに行ってくるわ。いくつか必要な物がありそうだから」

「私もお供いたします。食材の調達もございますので」


 デスリンドとクロードは店を出て街に向かう。

 歩きながら、彼女は思う。

 世の中には不遇な目に遭う女性が多すぎると。

 往々にして、救いの手が差し伸べられることもない。

 貴族社会は身分差社会。

 未だ、その構造が変わる気配すらない。

 でも、令嬢たちには自分がいる。


 ――誰も救わないのなら、この私が救うのだ。


 決意を新たにし、デスリンドとクロードは食事会の当日を迎える。


 □□□


「こ、こちらでございます、アンドレア様」

「へぇ、なかなか良い店を見つけたじゃないか。身分が低い子爵家出身の地味な君にしてわね。まぁ、この僕に出会えたことを感謝してくれたまえ。君がこのような洒落た店に来られるのも、全ては僕との食事会のおかげなのだから」


 風に乗って、すでに聞き捨てならない声が聞こえてくる。

 窓からそっと様子を窺うと、いた。

 今回の対象――アンドレア・リシャールが。

 似顔絵通りのさらりとした金髪に美しい碧眼。

 笑顔は爽やかで背も高いし、遠目に見ると誠実な男性に映る。

 だが、そんな良い人間ではないことは、彼の言葉、そして馬鹿にしたようにエリーを見る瞳からわかる。

 エリーは疲れた笑みでアンドレアの嫌みを聞き流している。

 出会ってから、ずっとこのような日々を送ってきたのだろう。

 デスリンドとクロードはアンドレアについて、事前情報より一段と女性を軽視する人物だと感じた。

 エリーたちが婚約破棄の舞台――”ナイス・リーブン”に近づくのを見ながら、デスリンドは気を引き締める。


「クロード、サポートの方よろしくね」

「承知しております。お嬢様、存分に暴れてくださいまし」


 クロードはキッチンカウンターの奥に移動する。

 デスリンドは、空いているテーブルの一つに座った。

 彼女らの体勢が整ったところで、ちょうどエリーとアンドレアが入室した。

 すかさず、何食わぬ顔でクロードが挨拶する。


「いらっしゃいませ」

「声が小さいなぁ。僕は伯爵家の人間だ。もっとハキハキと挨拶したまえ。君が我が家の使用人だったら即刻クビになっていたぞ」

「申し訳ございません」


 クロードは至って普通に、かつ丁寧にハキハキと挨拶したが、アンドレアは説教する。

 自分より立場の低い店員に強がる……彼との食事ではよく見られる光景だった。

 デスリンドは内心呆れながらアンドレアの説教を聞いていた。


「まったく、店の外観は良いのに台無しだ。一から指導したいくらいだね。店長を出したまえ……君が店長? だったら、ちょうどいい。指導してやろう。まずは僕の靴磨きから……」

「ア、アンドレア様、そろそろお席に座りませんか?」

「僕が話しているのに口を出すな。子爵家と伯爵家のどちらが上だと思っているんだ」


 一転して、アンドレアは厳しい顔をエリーに向ける。

 爵位の違いは格の違い、という思考が強く、しかも女性に逆らわれるなど許さない思いだった。


「姉も来ておりますので……どうか……」

「……そうだったな。まぁ、いいだろう。今回は見逃してやる」


 ホッとするエリーと、イライラするデスリンド。

 デスリンドは外国から帰国したばかりの姉、という設定だった。

 アンドレアはそのとき初めて姉の存在を聞いたが、ろくに家庭環境を調べもせず婚約を決めたので、そういうものだろうという軽い気持ちだった。

 彼は内心、エリーの姉にも手を出そうと考えている。

 見目麗しい彼女の姉なら、きっとなかなかの美人だろうと。


「こちらでございます」


 クロードはテーブルに二人を案内する。

 髪の右半分は毒々しい紫色、左半分はやたらと目に眩しいピンク色に染めた、縦ロールツインテールの令嬢――デスリンドがいるテーブルに。


「初めまして、こんにちは。エリーの姉、デスリンド・カルフォンでございます」

「……君が?」


 アクを煮詰めたような出で立ちのデスリンドを見て、常に外面が良いアンドレアもさすがに顔が引きつる。

 入店したときから、視界の片隅にいた見るからにヤバそうな女。

 なるべく見ないように心がけていたが、まさかこいつがエリーの姉だったとは。

 予想外の真実に、アンドレアは一瞬思考が止まる。


「おっしゃる通りでございますわ。ワタクシはエリーのあ! ね! のデスリンドでございます。エリーのあ! ね! のデスリンドはワタクシでございます」

「わ、わかったから、静かにしたまえ。大きな声を出すんじゃない。圧がすごいな、君は」


 思わず、デスリンドのプレッシャーに気圧される。

 確実に今までに出会ったことがないタイプの令嬢……という言っていいのかわからない女だった。

 デスリンドが自分の身体を覆う魔力の膜を解除する。

 直後、彼女の特製香水がアンドレアの鼻を襲う。

 濃厚に漂うスパイシーな香り。


「うっ……!」

「どうなさいましたか、エリーの婚約者たるアンドレア様。美しいお顔が台無しですわ」

「そ、その香水はどうにかできないのか……!」


 アンドレアは刺激的な匂いが嫌いだった。

 コショウ、唐辛子、クローブ、ハッカ、カルダモン……本来なら薬膳料理などに使われる香辛料を混ぜ、デスリンドは文字通り刺激的な香水を開発した。

 およそ香水とは呼べない香りの暴力。

 どうにかしろと言われ、デスリンドは両手を顎に当てた。

 きゅるるん……という効果音が聞こえそうなほど、目をうるうるさせる。

 デスリンドは婚約クラッシャーとして、種々の仕草を習得していた。


「アンドレア様のためを思って買いましたのに~」

「こんな香水が売っているわけないだろう……げほっ、ごほっ」


 エリーには事前に、耳栓の他に透明鼻栓を渡していたので、彼女はスパイス香水の被害に遭わなかった。

 アンドレアは仕方がないので、テーブルに座ることにする。

 とにかく、早く食事会を終わらせたかった。

 デスリンドから距離を取りたかったが、デスリンドはあえて彼の近くに椅子を寄せてくる。 何はともあれアンドレアは気を取り直し、いつものマウンティングを始めた。


「せっかくだからデスリンドくんにも僕の趣味の話をしてあげよう。そのなりじゃ男性と話す機会もないだろう。僕は知り合った女性のフィギュアを作らせるのが趣味で……」

「私、昆虫の飼育が趣味なんですの」

「…………なに?」


 先手必勝。

 それがデスリンドの定石だった。

 アンドレアが話し出す前に、己のペースに持ち込む。

 この世界に昆虫を飼育する流行はおろか、そもそもそれを娯楽と考える人間はいない。

 さりげなく彼女はエリーに耳栓の合図を送る。

 この先、少々グロテスクな会話が続くからだ。


「特に蝶を幼虫から育てるのが好きでしてね? 主な餌は葉物類なのですが……」

「今すぐその話をやめたまえ、デスリンドくん」

「前菜のフレッシュサラダでございます」


 幼虫の主な餌は葉物類……と説明したところで、クロードがサラダを持ってきた。

 水も滴る新鮮のトマトにレタス、爽やかなドレッシングがかかったおいしいサラダを。

 デスリンドとエリーは喜んで食べ始めるが、アンドレアは無理だった。

 葉っぱの陰に潜んでいそうで、どうにも食べる気にならない。


「食べないのですか、アンドレア様。エリーの婚約者たるアンドレア様。具合が悪いのであれば、おっしゃってくだされば良かったですのに」

「ぐ、具合は悪くない。ただ……」

「ただ……?」


 何も気づいていないフリをして、デスリンドはアンドレアを詰める。

 アンドレアは勢いよく頭を振って、蝶の幻影を、詳しく言うとその幼少期の幻影を打ち消……せず、食べるのを断念した。


「……君、下げたまえ」

「かしこまりました」


 結局、クロードにサラダを丸ごと下げさせた。

 エリーは耳栓のおかげで、先ほどからデスリンドの会話は聞こえていない。

 デスリンドはエリーの落ち着いた様子を確認すると、さらに拍車をかける。

 

「繁殖させるには産卵から始めないといけないですから、少々大変ですわね。でも、これが本当に美しい白い卵ですの」

「デスリンドくん、いい加減にしなさい。これ以上虫の話をするのは……」

「チーズリゾットでございます」


 絶妙のタイミングで、クロードが新たな食事を持ってくる。

 白い米が光り輝くチーズのリゾットを。

 正直に言って、産卵だの繁殖だの聞かされ、アンドレアの食欲は地の底に落ちていた。

 耳栓をしたエリーは何も聞こえていないので、黙々と食事を楽しむ。

 料理自体は見た目も華やかで味も素晴らしかった。

 デスリンドもまた普通に食べる。

 よって、アンドレアの皿だけまたもや手つかずのまま残るハメになってしまった。

 エリーもデスリンドも全部食べている。

 アンドレアは焦る。

 

「やはり、お腹の調子でも悪いのではありませんか?」

「あ、いや……」

「いや……?」


 貴族社会において、女性の前で食事を残すのは恥とされている。

 特にプライドが高いアンドレアにとって、それはあってはならないことだった。

 是が非でも食べなければならない。

 意を決してライスにスプーンを入れるが、脳裏にちらつく虫の卵……。


「……下げてくれたまえ」

「かしこまりました」


 結局、クロードに命じて下げざるを得なかった。

 腹は減るし鼻は痛いし、心なしか気分まで悪い。

 どうにかしてエリーにマウントを取りたい、このままでは自分が見下されるではないか……。

 アンドレアの頭にいくつもの感情が渦巻いたとき、クロードが別の料理を持ってきた。


「お口直しの菓子としてクッキーをご用意いたしました」


 クロードが持ってきたのは黄金色に焼かれた、何の変哲もない単なるクッキー。

 ただ二つ、三日月のように緩やかなU字を描き、頭の先っぽがチョコレートでコーティングされた以外は。

 アンドレアは今までの虫談義を吹き飛ばすかのように、大きな声で言う。


「よい形をしたクッキーじゃないか。そう、まるでみかづ……!」

「大きな芋虫みたいですわね」


 それが決め手だった。

 アンドレアは頭の中で、何かが切れるような……そう、まるで糸が切れるようなぷつんという音を聞いた。


「さ……」

「さ……?」


 アンドレアは言葉を切る。

 そして、深く息を吸うとひと息に叫んだ。


「さっきからなんだんだ、君はあああ!」


 アンドレアは怒号を上げテーブルを力の限り叩く。

 グラスがガチャガチャと揺れ、デスリンドは大仰に顔をしかめた。

 これまたさりげなくエリーに耳栓の合図を送る。

 婚約クラッシャー、最後の締めが始まった。


「あら、恐ろしい。本性が現れましたわ」

「君のせいだろおおお!」

「大切な妹の婚約者がこんな凶暴な方とは思いませんでしたね」

「ぐっ……うるせえええ!」


 彼の怒号に、エリーもまた驚く。

 アンドレアと知り合ってまだ日は浅い。

 デスリンドに会わなければ、その秘めた本性に気づくことはなかっただろう。


「僕はこの婚約を破棄させてもらう! 君みたいな下劣な女を親族にしてたまるか!」


 アンドレアは鬼のような形相で叫ぶ。

 デスリンドを指さして。

 彼はもう怒りを抑えられなかった。

 婚約者の手前ということも忘れ、叫びに叫んで叫びまくる。

 そのまま、勢いよく席を立った。


「デスリンド、もう二度と僕の前に姿を現すな! こんな不快な思いをしたのは初めてだぞ!」

「アンドレア様、お食事代を忘れておりますわ。エリーからアンドレア様が払ってくださると聞きました。令嬢に恥をかかせるなんて野暮なこと……いたしませんよね?」

「……クソがぁ! 釣りはいらん!」


 デスリンドの追い打ちによりアンドレアは乱暴に財布を取り出すと、中身の札束をテーブルに叩きつけた。

 予定していた食事代の三倍はあったが、デスリンドは内心ほくそ笑みながら全ていただくことにする。

 アンドレアはデスリンドに対して罵詈雑言を吐き、ナイス・リーベンを後にする。

 地面の石や土を蹴飛ばしながら木々の中へ消えたのを確認すると、エリーがデスリンドに抱きついた。

 エリーの瞳には何粒もの涙が流れる。


「ありがとうございます……デスリンド様、なんとお礼を申し上げたらいいのかわかりませんっ……。あなたは私の人生を救ってくださいました……」

「涙を拭いてちょうだいな。私は私にできることをしただけなのよ」


 呟くように言う彼女を、クロードは静かに見る。

 デスリンドの活躍により、今日も望まぬ婚約から一人の令嬢が救われた。


 □□□


「デスリンド様、本当にありがとうございました。悩みが解消されて、心が軽くなりました。なんとお礼を言えばいいのかわかりませんわ。両親もデスリンド様に強く感謝しております」

「私もあなたの笑顔が見られて嬉しいわ」


 アンドレアの婚約破棄の翌日。

 デスリンドが経営するブティック――ベンヴェヌータで、エリーはお礼を述べた。

 自分だけでは決して解決できなかった問題を、いとも簡単に解決してくれたデスリンドに。 エリーは鞄から封筒を差し出す。

 

「こちらは今回の謝礼でございます」

「ありがとう。確認させてもらうわ」


 デスリンドは丁寧に受け取ると、札束を確認する。

 ピッタリの金額だった。

 彼女は依頼人の経済状況に応じて報酬額を設定する。

 よって、カルフォン家の生活に支障をきたさない程度の金額であった。


「……デスリンド様っ」

「な、なに、どうしたのっ」

 

 突然、エリーがデスリンドに抱きついた。

 あふれる想いに耐えきれなくなったのだ。

 

「今回のことを、私は一生忘れません」

「忘れてくれていいのに」

「いいえ。デスリンド様こそが、私の人生の救世主だったのですから」


 固く抱きしめるエリーを、デスリンドはそっと抱く。

 この瞬間に、デスリンドは確かなやりがいを感じた。


「また嫌な婚約を結ばされたらいつでも来てね」

「今度は自分からお断りしてやりますわ」


 二人は見つめ合い、ふふっと笑いを交わす。

 笑い合った後、エリーは再度深くお辞儀をして、店を出た。


「お嬢様……」

「ん?」


 エリーが退店した後、クロードがポツリと呟いた。

 いつになく険しい彼の顔から、デスリンドは何かを察した。


「このお仕事は、いつまで続けるおつもりですか?」


 クロードはどうしても許せなかった。

 尊敬する主がいつも罵倒され、悪者とされることが。

 人のために悪役に徹するデスリンド。

 それが主の仕事なのは、クロードも重々承知していた。

 だが、デスリンドが他人に悪く言われるたび、心にわだかまりを持つのも事実だった。

 デスリンドはというと、


「いつも言っているでしょう。……望まぬ婚約に苦しむ令嬢がいなくなるまでよ」

「そうでしたね……。では、そのようなご令嬢がなるべく早くいなくなるよう、私も精一杯努力いたします」


 クロードはやや呆れつつ静かに笑う。

 我が主は本当に強い女性だと……。

 そこまで話したところで、また新たな客が訪れた。

 やや怯えた様子の令嬢が。

 デスリンドの経験則では、彼女も望まぬ婚約の被害者だ。


 優秀な執事の秘めた想いに気づかぬまま、デスリンドは今日も望まれぬ婚約をぶち壊す!

お読みいただきありがとうございました。

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