根本から思考する
「はーい。勉強を始めまーす」
嫌だ。
「んー?何でそんな俯いてるんですかー?」
教卓の上でチョークに手をかける一さん。
言いたいことが幾つがあるが、まずは何故リビングだった場所が教室になっているのかという問題。
廊下の突き当たりはリビングだったろう。しかし現在、窓ガラスから床まで、さながら俺が通ってた高校の教室の様だ。
机と椅子は俺が使う様に一つ。
それと、何で勉強なんて、と言う話。
俺が教科書の文章すら理解出来ない事は千も承知の筈じゃないか。
だから俺は机に突っ伏して一さんにやる気ないですよと示している。
「まあ、君は覚えるのは苦手だもんね」
察した様にすかさずのフォロー。しかし、一さんは黒板に何かを書き始め、辞める気はない様だ。
「大丈夫。すぐ終わるから」
「それ。信用して良い奴ですか?」
うつ伏せの状態から黒板をチラッと見ると
『思創師の力について』
と、マジ授業の様に書いてある。
興味が出た。
「これくらいは知識として知っておいて損はないでしょ?」
「興味あります!」
「わぁ。すっごい食いつきー」
そして、一先生による授業が始まるのだった。
一時間後。
俺はまたもや机に突っ伏していた。
「つ、疲れた…」
黒板びっしり教わった。
思創師…思ったより単純で難しそうだ。
先日、俺が使用した謎の場所移動についても思想の力の一端だという。
出来る人は君しかいないだろうって話だったが。
思想師というのは思いがものをいう。出来るといえば出来る、これはこうと断定すれば誰かの世界ではそういうものなんだ。
そして素直であればあるほど、純粋であればあるほど思いを形にしやすいという。
というのも社会に染まった価値観とか、ルールはある手誰かの思想だ。それはそういうものであるという価値観。例えば法定速度を守らなければいけないだとか、霊はいない、そう決めつけるだとか。そんな人にそれ以上何が生まれるだろう。思いもへったくれもなく、それはそういうものとして存在し続けるのだろう。自分達がそう願っているから。
それが無ければ自由な論理構築が可能なわけで夢を完成させるための自分で考える脳がある。
原点はそれに強く反応する。人の喜び、悲しみ、怒りという表現が人の印象に強く残るのは、原点が純粋にそれを表現してくれているからだ。応援が強みになるのも一つの理由だろう。
原点は何にでもなりうる。
だったら、誰でも何でも生み出せるのでは?と言う話にもなったが、ここでも生み出るのが価値観という弊害だ。
人は原点を形にするため、夢に対して全精力を注ぐ。
それはすなわち、原点は夢の為にあると言っても過言ではない。他に力を使えないとは言はない。しかし、他に力を扱う術も分かっていない。
そこまで考えずとも使える原点。しかし、どうしても先入観というか、価値観というか、自分の中のルールが原点の幅を狭めるのだ。
つまり、誰もが同じ力、同じ質量で使えるものではない。
逆にいえば、柔軟さ、思いの強さ一つでどれだけでも原点は力を貸してくれるという話だ。
まあ、結局私達もそう言う価値観というか、こじつけに捉われているだけかもしれないけどね。
と、最後に一言。
理解するのに時間は要しない。
頭を使う事が久しぶり過ぎて、倒れそうなんだ。
「大丈夫?」
光ちゃんはずっと俺の膝に座っていた。
振り返られるとやっぱ眩しッ!
「大丈夫!」
「良かった!元気!」
んー。元気はない…。
「あ!そうだ由羅君!」
「はい?」
「今日の午後は、実戦ね!?」
「はい!…え?」
もう体無理なんですけど…泣