偽物の恋人同士のフリをしている本物のカップルの話
「おはよう、マイハニー」
俺・速水時生の一日は、現実では誰も言わないであろうそんな一言から始まる。
俺に呼ばれたハニーこと新井美雨も、それに倣って「おはよう、マイダーリン」と返した。
「美雨。今日も君は綺麗だよ」
「あら、ありがとう。あなたの彼女でいる為に、肌や髪の手入れを欠かさず行なった甲斐があったわ。……因みにもう一つ念入りに手入れをしたところがあるんだけど、どこだかわかるかしら?」
「うーん。どこだろうなぁ……」
俺は美雨を、まじまじと見る。
ノーヒントというのは、いささか難しいな。
「見事正解したら、手入れの成果を堪能させてあげるわよ」
そう言って、美雨は自身の唇に手を当てる。
……成る程。そこが正解というわけか。
「それじゃあ、答え合わせをして良いか?」
「えぇ、いつでもどうぞ」
俺が美雨の頬に手を添えると、彼女は目を閉じて軽く唇を尖らせる。
二人の唇は、ゆっくりと近づいていき、そして――
『ヒューヒュー! お二人さん、朝からお熱いねー!』
周囲からの野次によって、中断されるのだった。
俺と美雨が現在いる場所は、通っている高校の正門前。登校時間ということもあり、周りには沢山の生徒が群がっている。
彼らも青春真っ盛りの高校生。生徒の誰かが正門前でラブコメを始めれば、そりゃあ気になってしまうわけで。
数十人の生徒から揶揄われた俺と美雨は、逃げるように校舎裏へ避難するのだった。
生徒たちを撒き、近くに誰もいないことを確認した後で、俺たちは頷き合う。
そして先程のキスの続きを――することはなく、代わりに盛大に溜息を吐いた。
「人目を気にせずイチャイチャするカップルって、今みたいな感じで良かったのか?」
「えぇ。気持ち悪いこと以外は、上出来よ」
「そりゃあ、どうも。でも恋人相手に、気持ち悪いはないだろう?」
「事実そうだったのだから、仕方ないじゃない。それに恋人と言っても、今はフリをしているだけでしょう?」
そう。
俺と美雨は先程、「付き合って間もないラブラブカップル」のフリをしていたのだ。
よく考えてみろ。
本物のカップルが、見せつけるように正門の前でキスしようとなんてするか?
恥ずかしいから、誰もいないところで。それが一般的なカップルの姿だ。
あんな風にキスをするのは、周りに「自分たちはラブラブなんだぞ」と印象付ける為であって。それはつまり、カップルのフリをしているということである。
「しかしラブラブアピールするのって、案外難しいものね。私みたいな奥ゆかしい女には、なかなか出来ないことよ」
「奥ゆかしいねぇ……。恐ろしいの間違いじゃないのか(ボソッ」
「何か言ったかしら?」
地獄耳の美雨さんは、ニッコリとした笑顔を俺に向ける。
「「美雨さんこそ奥ゆかしさの代名詞と言っても過言ではない、素晴らしい女性です。もう大好き」と言ったんだ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。なら、許す」
イチャイチャとは程遠いこのやり取りこそ、俺たちの本来の姿だった。
まぁこれはこれで、楽しいし心が落ち着くんだけど。
甘々な空気など微塵も感じさせない俺たちが、一体どうしてラブラブな恋人同士のフリなんてしているのか? 全ての始まりは、二日前に遡る。
◇
二日前。
俺と美雨のクラスでは、来たる文化祭に向けて学級会が開かれていた。
「それでは! 我がクラスの出し物はメイド喫茶にすることとして、次の議題に移りたいと思います!」
学級委員長の元気良い掛け声に呼応して、クラスメイトたちが『おぉ!』と声を上げる。
文化祭といえば、修学旅行と並んで高校生活の一大行事として挙げられる。それ故クラスメイトたちの気合の入り方も、尋常じゃなかった。
俺の通う高校では、文化祭を盛り上げる催し物として「カップルコンテスト」なるものが開催される。
その名の通り、校内で最も羨ましがられるカップルを決める為のコンテストで、見事優勝を果たしたカップルには某有名テーマパークのペアチケットが贈呈されるそうだ。
しかしこのカップルコンテスト、残念なことに数年前まではイマイチ盛り上がりに欠けていたらしい。
というのも、校内におけるカップルの数が少なすぎるのだ。
ただでさえ少ないカップルたちの中には、人前に出ることを好まない者たちだっている。
結果目玉イベントである筈のカップルコンテストは、毎年3組程度の出場者しかおらず。聴衆だって、いないも同然だった。
このままではいけない。何か対策を講じなければ。
焦燥感に駆られた生徒会は、「優勝カップルの所属するクラスには、一週間の学食タダ券を贈る」という学校泣かせのお触れを全校に流した。
学食タダ券は、誰だって欲しい。
翌年の文化祭から全てのクラスが最低1組のカップルを出場させるようになり、カップルコンテストも賑わいを手に入れたのだ。
今年も生徒会から、同様の賞品が提示されている。
クラスメイトたちは、出し物のメイド喫茶より寧ろこちらの方にこそ本気だった。
しかしカップルコンテストに臨むにあたって、俺たちのクラスには大きな問題がある。それは……このクラスに、「私たち付き合ってます」と公言しているようなカップルが1組もいないことだった。
カップルコンテストの出場条件はただ一つ。二人組でエントリーすることだ。本物のカップルでなければならないなんて記述は、どこにもない。
だからクラスの中から二人の生徒をカップルとして祀り上げれば、この問題は解決する。
さて、ここで新たに浮上した難問に直面する。
一体誰と誰を、カップル役にするのかということだ。
学級委員長はしばらく考え込んだ後で、ゆっくりとその口を開いた。
「カップルコンテストで優勝する為には、やはりこいつらに全てを託さなければならないと思う。我がクラス一の美男美女・速水くんと新井さんに出場して貰うのはどうだろうか!?」
予想だにしていなかった推薦。俺と美雨は『はあ!?』と声を揃えるも、その声はクラスメイトたちの賛同の雄叫びによってかき消されてしまった。
「誰もが認めるイケメンと、誰もが見惚れる美少女がカップルになれば、最早我らに怖いものはない。だから、頼む。速水くんに新井さん、是非とも二人でカップルコンテストに出てくれないだろうか?」
あくまで俺と美雨の自主性に任せてくれるようだが、クラスメイト全員から期待のこもった眼差しを向けられている以上、どうして断ることなど出来ようか?
俺が美雨の顔を見ると、彼女は諦めたように頷いてみせた。
「……わかった。俺たち二人で、カップルコンテストに出るとするよ」
「サンキュー! ありがとう! 恩に着る!」
いや、そんなに沢山お礼を言わなくても良いっての。
「感謝ついでに、もう一つお願いしたい。……カップルコンテストで優勝する為に、二人は本当に付き合っているフリをしてくれ」
『はあ!?』
「美男美女というだけでかなりの武器になるが、もしその二人が本当のカップルだとしたら文字通り無敵になる。優勝間違いなしだ」
理屈はわからないでもないが、付き合っているフリって……。
「なっ、頼む! この通り!」
土下座までされては、こちらも無碍に断ることは出来ない。
……わかったよ。こうなったら、とことん付き合ってやる。
こうして俺と美雨は、カップルコンテスト優勝に向けてカップルを演じることになったのだった。
◇
放課後。
常にイチャイチャしていたいラブラブカップルを演じている俺たちは、二人仲良く腕を組んで下校していた。
「君の鼓動をすぐ近くで感じることが出来る。俺はなんて幸せ者なんだろうか?」
「それを言うなら、あなたの温もりを肌で感じることの出来る私こそ、幸福と言えるんじゃないかしら?」
などと周囲が聞いたら砂糖を吐き出すような甘々なセリフを、一切の恥じらいもなく口にしている俺たちだが、実際のところ視線では次のような会話をしているのだった。
(暑い。くっつくな)
(あなたの方こそ、どさくさに紛れて胸とか触ったら殺すわよ?)
綺麗なバラには棘があるように、一見仲睦まじいカップルにも裏がある。
そして演技派の俺たちは、その裏の顔を誰にも悟らせていなかった。
俺と美雨の偽物のカップル作戦は、着実にその成果を出していった。
「今年のカップルコンテストは、速水・新井カップルで決まりかな」。どことなく、そんな噂が流れてくる。
順調すぎる日常に、俺は内心ほくそ笑んでいた。
電車に乗り、二人並んで吊り革に掴まっていると、ふと美雨が話しかけてきた。
「ねぇ、どうするつもり?」
「どうするって、何がだ?」
「私たちの関係よ。文化祭が終わっても、恋人のフリを続けるつもり?」
「その必要はないだろう。偽物の恋人関係は、あくまでカップルコンテストで優勝する為のもの。文化祭が終わってからも続ける理由はない」
「でもそれだと……文化祭が終わった後、イチャイチャしにくくなっちゃわないかしら?」
この車両の中に、同じ学校の生徒の姿はない。だというのに、美雨は俺の手を軽く握ってくる。
美雨が俺に向ける視線は、先程までの偽物の彼氏に向けるようなものではない。本物の彼氏に甘えたがっているような、そんな視線で。
クラスメイトを含め、全ての生徒に内緒にしているんだけど……実は俺と美雨は、本当に付き合っているのだ。
つまり俺たちは付き合っているフリをしているのではなく、付き合っているフリをしているフリをしているわけで。……うん、物凄くややこしい!
俺たちが交際のことを誰にも話さなかったのには、いくつか理由がある。
まずは単純に、揶揄われるのが嫌だったから。
俺と美雨は、校内でそれなりの知名度がある。そんな二人が恋人関係になったとなれば、当然周囲も黙っていないだろう。
現にカップルのフリをしている今でさえ、俺たちはチヤホヤされまくりなわけだし。
もう一つの理由は、俺たちの交際が世間一般のそれとはだいぶかけ離れているから。
恋人同士のくせに、俺たちは相手に愛の言葉を囁いたりしない。
どちらかというと、毒舌を言い合っている割合の方が多い。
でもそれは、互いに本性を曝け出し合えるという意味で。猫を被ったりせず、ありのままの自分でいられるということで。
ズレているかもしれないが、俺たちはそんな関係性にこそ安らぎと幸せを感じていた。
「ねぇ。もういっそ、私たちが本当に付き合っていることをクラスのみんなに伝えたら?」
「俺は別に構わないぞ? でも、「付き合っていることを知られて揶揄われたくない」と言ったのはお前の方じゃなかったか?」
「それは……今でもそう思っているわよ。でもこうなってしまった以上、どうしようもないじゃない」
今までも誰も使っていない教室で密会したり、「先生から頼まれことをした」という口実で二人きりになったりしていた。
それでも噂にならなかったのは、生徒たちの誰もがまさか俺たちが付き合っているなどと考えていなかったからで。
でも、今は違う。
少なくともクラスメイトたち以外は、俺と美雨がカップルだと信じ込んでいる。
その状態でこれまで通り密会をして、その様子を誰かに見られたりしてみろ。「あぁ、やっぱり」と思われるのは必至である。
「文化祭までまだ一週間あることだし、その間に何か妙案を思いつくだろ」
「そうね。取り敢えず今は、「カップルコンテストで優勝間違いなしの超甘々カップル」のフリを続けるとしましょうか」
そう言うと、美雨は俺に寄りかかり、コテンと頭を俺の肩に乗せてくる。
演技だとわかっている。本当の美雨でないこともわかっている。だけど……これはこれで、結構幸せだったりした。
◇
文化祭当日。
遂にカップルコンテスト本番がやって来た。
エントリー数は全部で15組。非公式の事前投票では、圧倒的な得票数で俺たちがトップだった。
いつも通りの「カップルのフリ」をし続ければ、難なく優勝を勝ち取れるだろう。
クラスメイトたちも一週間の学食タダ券を手に入れることが出来、俺たちは晴れてミッションコンプリートとなる。
だというのに……俺と美雨は、揃って浮かない表情をしていた。
「とうとう本番を迎えてしまったわけだけど……本当、どうするの? このままじゃ私たち、明日から二人でいられなくなるわよ?」
「……そうだよなぁ」
結局一週間かけても、現状打破の妙案は思いついていない。
そしてこれだけ日数も経っている為、クラスメイトたちに今更「実は俺たち、本当に付き合っているんだよね〜。アハハハハ」と言い出すことも出来ず、八方塞がりの状況はコンテスト直前になっても変わっていなかった。
カップルコンテストはどんどん進行していき、早くも俺たちの出番がやってくる。
『それでは、登場してもらいましょう! 今年の大本命、速水・新井カップルです!』
進行役の声に合わせて、俺たちはステージ上に出る。
流石は目玉イベント。数年前からは考えれないくらい沢山の観衆が集まっている。
『それでは早速質問タイムと参りましょう! ズバリ、お二人の出会いは!?』
「出会いねぇ……。初めて会ったのは、入学直後だったかしら? 自分で言うのもなんだけど、私たちって二人とも美形じゃない? だから自然と互いの噂を耳にしていたっていうか。でも実際に付き合い始めたのは、1か月くらい前ね。彼の方から、校舎裏に呼び出して告白してくれたわ」
上手いな。
美雨のやつ、嘘の回答の中にある程度の真実も含ませている。
例えば俺たちが付き合い始めたのは1か月前じゃなくて半年前だけど、その時俺が彼女を校舎裏に呼び出して告白したのは本当だ。
嘘と真実を織り交ぜているからこそ、美雨の発言にはかなりの信憑性が表れている。
『それでは、初デートの思い出は?』
次の質問には、俺が答える番だ。
「初デートは、海だったな。だけどその時の詳しい思い出は、控えさせて貰う。……美雨の水着姿は、たとえ想像の中だとしても独り占めしたいからな」
これも半分本当で半分嘘だ。
実際の初デートはお花見なんだけど、それでは「1ヶ月前に付き合い始めた」という設定と矛盾するので、夏に行なった海デートについて答えることにした。
その後も俺たちは進行役からの質問にラブラブ全開な回答をしていく。
俺たちが何か言う度に「おぉ!」だの「ヒューッ!」だのといった野次が飛んできて、小っ恥ずかしかった。
全部で10個の質問が終わり、最後にアピールタイムが与えられる。
アピールタイムでは30秒という時間を与えられ、その時間内ならばどれだけイチャイチャしても良かった。
アピールタイムで何をするのかは、事前に決めている。
俺たちはいつものように、30秒かけて甘い言葉を囁き合う予定だ。
しかし……コンテストには、アクシデントが付きものである。
観衆の誰かが、突然「キスをしろー!」と言いましたのだ。
俺たちのキスが見たいというのは、誰もが思っていることのようで。一人の上げた声に呼応して、他の生徒たちも「キーッス! キーッス!」と掛け声を始める。
気付けば俺たちは、キスをせざるを得ない状況に陥っていた。
進行役が、みんなに落ち着くよう宥める。しかし、その声は大衆に響かない。
オロオロしているのは、進行役だけではない。俺と美雨のクラスメイトたちもそうだ。
彼らは俺たちが本当のカップルではないと思っている。だから付き合っているフリをお願いしても、キスまでは強要してこなかった。
おい、美雨。お前はどうするつもりなんだ?
若干困惑しながら美雨を見ると……彼女は既に、覚悟を決めた目をしていた。
「……美雨?」
「キスくらい出来るわよ。だって私たち、本当のカップルなんだから」
美雨のこの一言は、クラスメイトに向けて言ったものだ。
続け様に彼女は、俺に唇を押し付ける。
じっくり、たっぷりと。30秒かけた口付けは、観衆たちを一瞬にして黙らせた。
……ハハハ。この野郎、最高のタイミングで逆転の一手を差しやがったな。
文化祭翌日。
俺たちは、今日も今日とて二人仲良く腕を組んで登校している。
互いの肌の温もりを実感しながら、そして――
「暑いからくっつくな」
「あなたこそ、さり気なく変なところ触ろうとしているんじゃないわよ」
一般的なカップルとは程遠い、だけどこれまで以上にカップルらしいやり取りを繰り返すのだった。