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借り暮らしの同居人

作者: ひとり

   1


 話の発端は俺が大学への進学を控えた春先に遡る。家賃は自分でバイトをして稼げって条件付きながら、どうにか親に一人暮らしを認められた俺は引越し先のアパートに来た。

「ここから華々しい学生生活がスタートって訳だな。友達は自由に呼べるし、もしも彼女とか出来たら人目を憚らずイチャイチャも……」

 他に住んでいる人も疎なボロい賃貸だったが、初めて自分だけの城を手に入れた俺は期待に胸を膨らませた。そんな気分が一転したのは契約済みのワンルームに入った時だ。

「御主が新しい住人か。まあ暫くの間、宜しくのう」

「はい?」

 室内にはおかっぱ頭の中学生くらいの女の子がいた。二階なので泥棒とは考え難く、平然とした態度からして大家の親戚かとも思ったが、話を続けると衝撃の事実が齎された。

「妾は座敷童子じゃよ。簡単に言うと妖怪の一種じゃ」

 それが俺と座敷童子の童子どうことの思わぬ出会いだった。当然ながら妖怪の類が目前に現れた事で大混乱に陥った訳だが、その際における俺の醜態については割愛しておく。

「妾は物心付いた頃から此処に住み着いており、姿が見えるのは此の部屋の主となった者だけなのじゃ。それでも必ずしも見える訳では無いから御主はラッキーじゃよ♪」

 先に言っておくと此奴自体は無害だったので、この話は俺が呪い殺されるとか不幸になる類のものじゃない。と言っても当時の自分とすれば彼女の存在は大いなる問題だった。

「その態度は何だ居候の癖に、お前が居るから友達も碌に呼べないんだろ!」

「別に御主以外に妾の姿は見えないから、好きに呼べば良いと言っておるじゃろうが」

「そう言って呼んだらお前、めっちゃ不機嫌に物を倒したりして邪魔してくるじゃん!」

 童子は人懐っこくて気さくな性格であるが故に、却って恐怖心を抱かなかった自分とは喧嘩が絶えなかった。気付けば俺と彼女は兄妹みたく毎日の様に言い争いを繰り返していた。

「男の癖に小煩い奴じゃのう。此処は妾の住まいでもあるのを忘れるな」

「調子に乗りやがって。こうなったら別の部屋に引っ越してやる」

「その場合はまた敷金が掛かり、手痛い出費になると大家に言われた事は妾も知っておるぞ」

 しかも此奴、普通に飲み食いをするから俺は更なる金欠に陥り、本気で実家に帰ろうと思うくらい一時は困り果てたものだ。

「まあ御主は迷惑だろうが妾は嬉しいのじゃ。こうして気兼ねなく話せる相手が出来てな」

「狡いぞ。そんな事を儚げな表情で言われたら出て行くに行けないだろ」

「ケッケッケ。それが狙いじゃよ」

 だが悪戯が成功した子供みたく彼女が笑うと、結局のところ全て許せてしまう俺がいた。


   2


 さて、そんな大学生活もあっという間に終わりを告げた。無事に就職を果たした俺の生活は大きく様変わりしたが、しかし学生の頃とは変わらない事もあった。

「ただいまぁ。今日も疲れたぁ」

「お帰りなのじゃ! ちょうど夕食が出来たところじゃよ」

 玄関を開けるとエプロンを羽織った童子が迎え出てくれた。すっかり同居人としての貫禄が板に付いた彼女と俺は、ある意味で家族にも似た信頼関係を構築していた。

「今日は腕によりを掛けた肉じゃがじゃ。たんと召し上がれ」

「うん、だいぶ料理の腕もマシになってきたな。初めに出されたのは悶絶する逸品だったが」

 俺は大学を卒業してからもアパートから通勤していた。最近は入居者自体が珍しいと言うのに、社会人になっても契約を更新する奴は稀だと大家は驚いていたっけ。

「しかし御主はどうして此処に住み続けておるのじゃ。職場からも遠くて不便じゃろうに」

「炊事洗濯をお前に任せられるからだよ。仕事がキツくて家に帰ったら何もしたくない」

「だったら母親がおる実家に帰れば良かろうに。通勤時間も今よりは短縮されるのじゃろ?」

「お前なぁ……。分かって言っているだろ」

 童子はニヤニヤしながら俺の言葉を待っていた。その理由は幾度となく彼女に話してあるのだが、此奴は何度でも俺の口から言わせたいらしい。

「ど、童子と一緒に居たいからだよ。これで満足か?」

「ほほう。やはり妾は愛されておるのう」

「そりゃまあな。俺がガールフレンドを部屋に呼ぶ度、ポルターガイストごっこをして破局に追い込むくらい嫉妬深くて可愛い奴だからな」

「はて、一体何の事かの?」

 なんて惚けながら満面の笑みを浮かべる童子。チョロいのか面倒なのか分かり難い女だ。

「まあ妾も今となっては大人気なかったと思っておる。だから恋人代わりと言っては何じゃが仕事の愚痴くらいは大人しく聞いてやるよ」

 その点は本当に助かっていた。人と柵がない彼女にどんな悪口を吐いても誰かに伝わる事は無いし、意外と懐深い事もあって親身に相談に乗ってくれる。

「はいはい。いつも話を聞いてくれてありがとな」

 いや、そんな理由は全て後付けだ。俺は純粋に彼女との共同生活を楽しんでいたのだ。

「礼には及ばぬ。御主が赤子みたく涙目で嘆くのは実に愉快じゃからのう」

「お前は何時も一言多いんだよ。感謝して損した」

 俺はそう言いながら童子の鼻を摘み、ジタバタして慌てる彼女を見て笑うのだった。


   3


 二十代も半ばに差し掛かり、ようやく会社でも新人の枠組みから脱却し始めた頃、俺の住むアパートでちょっとした転機があった。

「こんなボロアパートに意地でも住み続けたいなんて、あんたも物好きな性格だね」

「あはは。まあ物好きって点は否定出来ませんね」

 呆れ顔を浮かべた大家との間で取引が成立し、最後の書面交わしを済ませた俺は晴れやかな面持ちで二階のワンルームに戻った。

「ただいま、童子。これで手続きも全て終わったし安心して暮らせるぞ」

 だが普段は明るい彼女がこの時ばかりは浮かない顔で、報告をした俺に対して申し訳無さげに言うのだった。

「御主は本当に良かったのか。詳しくは知らぬが大層なお金だったのじゃろ?」

「今まで通りに暮らせるなら安いものさ。ローンだって組めたし仕事の方も順調だからな」

 老朽化したアパートを建て替る為、立ち退きを迫られた俺はこの物件を買い上げた。費用は殆ど土地代だけで済んだとは言え、完全に背伸びな買い物をした理由は言わずもがなだ。

「妾のせいで大きな借金を背負い、おまけに親にも勘当されおって」

「だから気にするなって。親父には怒られたがお袋は何時でも帰って来いと言ってくれたし」

 彼女は責任を感じている様だった。見た目は出会った頃と全く同じだが、その内面は時と共に変わっている事が同居人の俺には分かる。

「少しくらい喧嘩したって自分の家族なんて何時でも会える。でもお前は建物が替えられたらお別れなんだから、おいそれと簡単に納得する訳にはいかないさ」

「でも妾は、妾は御主の重荷にはなりとうない!」

「これは俺が好きでやっている事だから負担でも何でもないって。逆に言うとお前を何時迄も手放さない、子離れ出来ない親みたいで悪いとさえ思っているよ」

 なんて俺が気取って虚勢を張ってみると、彼女はそれを見透かした様に手を伸ばして、

「馬鹿な事を言うな。誰が子供じゃ」

 こう言いながらキスをしてきた。その感触は思ったよりも温かかった。

「恐らくは御主が最後の住民じゃろうが、……妾はそれが本当に嬉しい」

 その澄んだ瞳には涙が浮かんでいた。こんな彼女を見るのは初めての事だ。

「泣くのは早いぜ。まだ俺がくたばるまで沢山時間は残っているんだ」

「ふふ。これからも御主との毎日は楽しみじゃ♪」

「俺もだ」

 この関係は決して永遠じゃない。でも俺は少しでも長く彼女と一緒に過ごそうと思った。


   4


 けたたましいサイレンの音を遠くに捉え、勤め先から帰ってきた俺は主となったアパートの前で唖然とする。自分の城が火の海に包まれていたからだ。

「おい、まだ消防車は着かないのか」

「あんた何している! 死んじまうぞ!」

 唯一の住民とされる俺の無事が明らかになった今、後は通行人が呼んでくれた消防車の到着を待つばかり。なんて周囲の雰囲気を他所に俺は単身その火中へ飛び込んだ。

「まだ人が残されているんだ。助けてくる!」

「残されているって、此処はあんたが買い上げて他には誰も……」

 説明している暇がない俺は背後からの呼び掛けに応じず、一目散に階段を駆け上がって自分の部屋を開けるや、そのまま土足で火が回っている室内へ。

「御主、一体何をしておる!?」

「それはこっちの台詞だ。逃げるぞ、もう消火は間に合わない!」

 こんな状況でも童子は何時もと変わらず其処にいた。一先ずは無事だと知って安堵した俺は、頭に浮かぶ懸念を無視して彼女の手を取るのだった。

「止めよ、御主も分かっておるじゃろ。妾はこの部屋から出る事は叶わぬ」

「試してみないと分からないだろ! 前は駄目だったけど今ならもしかして」

 だが俺の願いも虚しく童子の身体は玄関の前で弾き返された。透明な壁が行手を阻み、燃え落ちる部屋の中から彼女を逃がそうとしないのだ。

「窓も駄目か、畜生! どうすればお前を助けられるんだ?」

「良いのじゃよ。座敷童子は住処と運命を共にする定めなのじゃ」

「嫌だ、他に何か方法が!」

 そう喚き立てる俺とは対照的に、幼い外見ながら落ち着いた童子は諭す様に語り掛ける。

「本当は妾がもっと早く別れを切り出すべきじゃった。御主をこの屋敷に縛らせてしまったのは妾の我儘じゃった」

「そんな事を言うな。俺は自分で望んでお前と……!」

「これを機に新しい人生を歩むのじゃ。妾はここで御主まで失いたくない」

 彼女は背を伸ばし、小さな手で俺の顔に触れながら優しく告げた。

「今までありがとう。さよなら、愛しき同居人よ」

「嫌だあぁぁぁ!」

 それでも俺は消防隊員が駆け付けるまで彼女から離れなかった。やがて強引に抱えられ外に連れ出される時も、彼女は最後まで笑顔で俺に手を振っていた。


   5


 鎮火した瓦礫の中を探したが童子の痕跡は見付からなかった。自分にはアパートを建て直す気力も経済力もなく、結局のところ土地を売却してローンだけは辛うじて完済した後、孤独と絶望感に浸りながら新たな仮住まいに移った。

「ただいま……」

 以前よりも広くて綺麗な1LDKだが返事をする者は居ない。それでも連絡をくれた実家に帰らなかったのは、暫く誰とも会わずに一人きりで居たかったからだ。

「童子……」

 眠っていると時折、童子が毛布に潜り込んできた事を思い出す。あの当時はウザいと感じて煙たがったものだが、今はただ彼女の存在が恋しかった。

「この寝坊助め、早く起きないか。休日とは言え遅くまで寝ていては身体に毒じゃぞ」

「んっ?」

 ところが一夜明け、聞き慣れた声で目を覚ました俺がベッドから起き上がると、エプロンを羽織った童子が以前と変わらぬ装いで側に立っていた。

「もう朝食は出来ておる。慣れない台所で少し失敗してしまったがの」

「えええ!?」

 腰を抜かした俺は大混乱に陥り、自分が望んだ再会を俄には受け入れられなかった。

「ど、どうして? まさか幽霊か幻、いやちゃんと感触はあるな」

「ひゃっ、変な所を触るでない!」

 叩かれた痛みで夢ではない事が証明されると、童子自身も首を傾げながら語るのだった。

「それがのう、どうも屋敷の焼失によって取り憑く対象が移ったらしく、今は長らく同居していた御主自身を宿主としておる様じゃ」

 そう彼女はあっけらかんと告げ、この平然とした態度に俺の感情は色々と爆発した。

「そ、そういう仕組みは早く言えよ! だったらあんなボロアパートに住み続ける必要なんて無かった訳だし、俺の貯金どうしてくれるんだ!」

「自分でも知らなかったのじゃから仕方ないじゃろ。男の癖に済んだ事を女々しく嘆くな!」

 なんて久々の喧嘩を一頻り堪能すると、ようやく再会を果たした喜びの実感が湧きてきた。

「本当に良かった……。また会えて」

「ふむ。妾もじゃよ」

 それから俺達は暫く抱き合っていた。彼女が作ってくれた朝食がすっかり冷めるまで。

「そんな訳で、今後とも宜しく頼むぞよ」

 これからはずっと彼女と一緒だ。もう二度と離れるものかと俺は心に誓った。


   6


 さて本来ならここで話を締めるべきだし、これ以上は蛇足になる事も分かっている。しかし唯の惚気話だと思って一つ聞いて貰いたい。

「うわあ、本当に綺麗じゃのう!」

 俺は今、海岸線に車を走らせている。そして後部座席には窓を開け、おかっぱ髪を靡かせた童子の姿があった。

「テレビで見るのと実物はえらい違いじゃて。それに海風も心地良い」

「何だかんだ忙しくて先延ばしになったけど、やっぱり遠出した甲斐があったな」

 取り憑く対象が部屋から個人へと変わった事で、俺が同伴すれば彼女はどんな場所にも足を運べる様になった。この事に気付いた初日は二人してカラオケ屋でオールしたものだ。

「しかし最早何でも有りだな。座敷童子から別の妖怪に進化した感じ」

「別に不思議な事ではない。物の怪とて不変ではなく、人と同じく成長する事だってある」

「そうだな。見た目はちんちくりんで変わらないけど」

 だが俺が報告したいのは此の事じゃない。この車に乗っているもう一人の存在についてだ。

「あ〜う〜、きゃっきゃっ!」

「おお、小僧も喜んでおるぞ。ほれほれ、可愛いのう〜」

 童子は赤子を抱きながら外の景色を見せている。因みに養子の類ではなく紛れもない俺達の子供……、だと彼女は頑なに主張している。

「にしてもまさか、妾と御主の間で子作りが成立するとは思わなんだ」

「いやそれ本当に俺の子供なのか? 別に血が繋がっていなくても、例えばお前の分身とか弟とかってオチでも面倒は見るつもりなんだけど」

 未だに信じ切れない俺は念を押すが、これを戒める様な口調で童子は告げるのだった。

「何を言うか、ちゃんと御主と妾が致した結果じゃろう。よもや忘れたとは言わせぬぞ」

「すみません。あの日は本当に酔っていたんです」

 我ながら最低の言い訳をしつつ、その実は俺自身も舞い上がっていた。親バカだと傍目には見られるだろうが、この赤ん坊がまた自分の血を引くとは思えない程に可愛いのだ。

「人間と妖怪の混血である此の子が、どんな風に育つかは慎重に見守る必要があるが……」

「な、何だよ、その目は」

「いや、それはそれとして旅先の温泉でまたイチャイチャ致そうぞ♡」

「マジでさ、その姿で言われると犯罪臭が凄まじいんだよなぁ」

 こうして正真正銘の家族、生涯の同居人となった俺達の日々は続いてゆく。小さな部屋から始まった些細な話だけど、それが迎える結末の可能性は無限大だ。

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