第86話 バカ兄へのお仕置き5
「いいだろう、俺の金は即ち領地の為の金だ」
「それを聞いて安心いたしました。それでは今の内容で契約書を用意いたします」
私は視線だけでランベルトに合図をし、ランベルトは私の意図を読み取り契約書の用意に取り掛かる。
「ちょっと待ってアリスちゃん。幾ら私の為だからといって、そんな横暴に従わなくてもいいのよ」
「そうだアリス、早まるな! こんな理不尽な要求なんて飲まなくてもいいんだ!!」
「ツヴァイ兄の言う通りだ。領税10年分だなんて、普通に考えても払えるわけがないだろう!」
クリス義姉様と兄様達が必死に私を止めようとしてくれるが、私の決意はすでに決まっている。
それにこのお金は兄に支払うのではなく、私が生まれ育ったこの地に使われると考えれば、そこまで悲観するようなものではないだろう。
ランベルトもその辺りの事は契約書に入れてくれるだろうし、兄も人を雇わなければ今後の領地運営もまわらなくなるので、これは私から亡き両親への最後の恩返しと考えれば、多少なりとは前向きに考えられるというものだ。
「お気遣いありがとうございます、ですが私は間もなく他家へと嫁ぐ身。幾ら私でも他家へと嫁いだ後に、実家への無償の出資はできませんので、これは私ができる最後のお礼だとご理解ください」
流石に他家へ嫁いだ後に実家への無償支援はできないので、これが本当に最初で最後の恩返しとなる。
兄様達もようやく私の本当の気持ちを理解してもらえたようで、これ以上止めに入るような言葉はあげられなかった。
「アリス様、こちらで」
「ありがとう」
ランベルトが手際よく用意してくれた契約書に目を通し、バカ兄にも文句を言わせないよう確認してもらう。
「……フン、いいだろう」
勝ち誇ったかの様に踏ん反り返っている兄に、グーパンチをお見舞いしてやりたい気持ちをグッと堪え、全く同じ内容の契約書を3通用意させる。
「ではこちらにサインを。クリス義姉様も同じ様にサインをお願いいたします」
「ん? なぜ3通なんだ?」
「1枚は見届け役として、私が保管するためのものです」
この契約書はあくまでもバカ兄とクリス義姉様との取り決め。だけどその為の支払いをするのは私だし、離婚を成立させる為の第三者としても、控えを保管しておく方がいいだろう。
本当は見届け人としてツヴァイ兄様達のサインまで欲しいところなのだが、そこまでしなくともいいだろうという考えと、なんの後ろ盾もない兄様達をこれ以上巻き込みたくはないという、私の良心だとでもご理解いただきたい。
「まったく面倒なことまでさせやがって。これでいいんだろう」
「……」
二人からサインの入った契約書を確認し、最後に私の名前を書き込み、それぞれが1枚づつ保管できるよう最後に手渡す。
これで私の支払いが完了すれば、晴れて二人の離婚が成立することとなる。
さて、ここからが最後の駆け引きだ。
契約書には支払い方法や支払い期限といったものは記載されてはいない。兄も大金をすぐに用意出来るとは考えていないだろうし、話の持って行き方しだいでは、毎月の分割の手だって残されているはず。
あえてその点に触れなかったのは、支払えなかった時のための保険なのだが、お金が一切入ってこない事を引き合いに出せば、兄も納得せざるを得ないであろう。
「ではお兄様、支払わせて頂く正確な金額をご提示ください」
未だ勝利の余韻に浸っている兄に対し、私は支払うべきである正確な金額を問いただす。
「いいだろう!」
兄はニヤリと何とも嫌な表情をし、勝ち誇ったかの様にこう口にする。
「金貨100枚だ!」
「………………………………………………………………………………えっ?」
その瞬間、私が理解するまで時間が掛かったことは言うまでもあるまい。
……えっと、領税の10年分の収益が金貨100枚? いや、1年の収益が金貨100枚って言ったのかしら?
私が聞きなおそうかどうかと迷ってしまったのを、兄様たちは動揺していると勘違いしたのか、バカ兄に対してそれぞれ抗議の声を上げてくれる。
「き、金貨100枚だって!? 払えるわけがないだろうが!」
「兄貴は俺たちが月にどれぐらい稼いでいるか知っているのか!?」
「うるさい! 金を出すと言いだしたのアリスの方だ!! きっちり金貨100枚を支払ってもらうぞ!」
「……」
うん、やっぱり金貨100枚で当っているのね。
確かにお兄様達にすれば金貨100枚は大金なのかもしれないが、10年分の領税が金貨100枚では余りといえば余りの金額。ぶっちゃけ今回の旅費にと私が用意した金額より安いのだ。
そういえばこの騎士爵領の人口って300人にも満たないのだったわね。目立ったお商店もないし、他領に出荷しているような作物も作っていない。基本的に自給自足がこの領地の生活基準で、私もよく山菜取りに森や山へと探しに行ったことが思い出される。
そう考えると確かにそれぐらいの税収なのかもしれないわね。すると単純計算で1年の税収が金貨10枚になるわけであり、月計算に変えれば銀貨たったの83枚。ツヴァイ兄様達が月に金貨3枚ほど稼いでおられるので、実家の生活レベルは王都で暮らすお兄様以下ということになる。
もちろん王都と辺境という物価の差はあるが、これでは日々の生活すらままならないだろう。
そらぁ、バカ兄がお金を寄越せと言ってくるわけだ。
いや、その……まぁなんだ。なんかごめん。
未だ兄達が言い争っているのを横目に見ながら、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだった。
「えぇい黙れ! 10日だ! 10日以内に金を用意しろ!!」
「10日って……」
「無茶だ兄貴、金貨100枚を10日でなんて」
私の為だと思って反論してくださっている兄には申し訳ないが、私は視線でカナリアに合図を送り、カナリアは私の意図を汲み取り人知れずそっと部屋を後にする。
「わかりました、10日ですね」
「待てアリス、兄貴の言葉に乗るな!」
「そうだ、お前が無理をする必要なんてどこにもないんだ」
いや、何というか……実は金貨5万枚を覚悟していました! なんて口が裂けても言えないわね。
バカ兄も結局のところ私がどれだけの稼ぎを出しているか、まるで理解していなかったのだろう。そらぁ、はした金で男爵様に騙されるわけだ。
「アリス様、お待たせしました」
タイミングよく馬車より戻ったカナリアから布袋を受け取り、それをそのままバカ兄がいる執務机の上へと差し出す。
「なんだこれは?」
「なんだって、約束の金貨100枚ですが?」
「………………………………………はぁ?」
鳩が豆鉄砲を食らったとはまさにこの事を言うのだろう。バカ兄はもちろんの事、ツヴァイ兄様達まで言い争いを忘れて完全に停止してしまっている。
「ささ、どうぞお確かめください」
先ほどの約束では10日以内に支払えという事だった。ならば当日即払いしたとしても、どこにも問題などないはずだ。
バカ兄は信じられないという表情のまま、机の上に置かれた布袋の紐を解き……。
「バ、バカな……」
その一言を放ったまま、再び動きが完全に停止する。
「……ほ、本物なのか?」
完全停止したバカ兄の様子が気になったのか、横からそっと皮袋を覗きながらツヴァイ兄様が尋ねてくる。
「本物ですよ」
「な、なんでそんな大金を持ってるんだ?」
「今回の旅費の一部ですが?」
「りょ、旅費って……大丈夫なのか!?」
「大丈夫ですよ。まだ手持ちに余裕はありますし、商業ギルドに行けばお金は引き出せます」
「いや、そこを心配してるのじゃなくてだな」
そんなに心配されなくても金貨は正真正銘本物だし、旅費だってまだ半分以上は残っている。
それに公爵領には商業ギルドの営業所があるので、私が持つ会員証を提示すればお金を引き出す事だって可能だ。そもそも今泊まっているホテルは、ルテアちゃんの公爵家が経営されているので、最悪王都へ帰ってからお支払いしても問題はないだろう。
「なんだか俺、改めてアリスの金銭感覚が狂っているんだって、思い知らされたよ」
「はぁ、全くだ。俺たちこの後どんな旅行をさせられるんだろうか……」
し、失礼ね!
私だって兄様達が楽しんで貰えるよう、いっぱい計画を立てて来たんだからね! お金だってこれぐらいはある方が良いわよね、ってカナリア達とも相談して、多めに金貨300枚を用意して来たのだ。もし可愛い甥達が『お姉ちゃん、あれ欲しい(叔母さんとは言わせない)』とせがまれれば、ついつい甘やかしてしまうのは仕方がない事ではないだろうか。
「さて、これで無事に取引が成立したので、このままクリス義姉様とお子様を連れていきたいのですが、問題はございませんよね?」
無事にお二人の離婚も成立し、晴れてクリス義姉様は自由の身。この後は私達と一緒にエンジニウム公爵領へと戻り、お子様と暮らす新居の案内や、兄様達の家族と共にショッピングを楽しむ予定となっている。
ちなみにバカ兄には反省の意味も込めて、ここで領主のお仕事を頑張ってもらうつもりだ。
「ま、待て!」
「まだ何か?」
全員で部屋を後にしようとするも、何故か止めに入るバカ兄。若干焦り気味に見えるのは私の見間違えではないだろう。
「お、お前、一体どんな店をやっているのだ!?」
おや、ようやくそこが気になりますか。
私からすれは今更感はあるのだが、全く信用していなかった兄にすれば、ぽんと差し出された金貨100枚は余程衝撃だったのだろう。
この際だからちゃんと説明しておいたほうがいいわよね。
どうせ調べれば直ぐにわかることだし、今更兄が何を言おうがローズマリーを奪うことはほぼ不可能。先ほど交わした契約書はこのためのものでもあるのだ。
それに私は間もなく公爵家へと入り、ローズマリーも一時的に公爵家の一部になることが既に決まっている。
しばらくは花嫁修行とお店の経営の両立をすることになってはいるが、フローラ様からお店は私の好きなようにしていいと言われているので、その後は様子を見ながら誰かに後を託すか、経営をエリスに任せるかをおいおい考えていく予定にしている。
「そうですね。お兄様のお言葉を借りるなら、この騎士爵領の領税150年分が1ヶ月の売り上げでしょうか?」
「なっ! 150年分だと!!??」
10年で金貨100枚なら、単純計算で150年=金貨1,500枚ってところだろう。
「バ、バカな! お前にそんな大金が稼げるはずが……」
それが出来るんだなぁ。
私だってこれが自分のだけの実力だなんて思ってはいない。あの時フローラ様に出会わなければ、あの日山賊達に襲われなければ、もし精霊のフィーが私の側にいてくれなければ、そして私の中で蘇った前世の記憶がなければ、こうも上手くは行かなかった筈だ。
だけど現実は幸運に幸運が重なり合い、私は前世の夢でもあるローズマリーを手に入れた。これはもう奇跡に近いのではないだろうか。
「念のために言っておきますが、私や私の大切な人たちを傷つけるようなら、たとえ実の兄であっても容赦はしません。先ほど男爵様達の証書を破りましたが、こちらはいつでも貴族裁判を起こせる状況であることを忘れないでください」
もっとも、バカ兄がいくら騒ごうが既に手遅れなのではあるのだが。
「くっ……」
悔しがる兄を尻目に全員で退室しようとするも、ふと伝えていなかった事を思い出し、一人その場でクルリと振り向く。
「そうそう最後に一つ、言い忘れた事がございました。お兄様が結ばれた例の男爵様との件ですが、お兄様は私を騙し利用したつもりでしょうが、騙されていたのはお兄様のほうですよ? もしあのとき私を一時的にでも騎士爵家に引き戻しておけば、少なくとも私が持つ資産の一部はお兄様の好きに出来ていたでしょうね」
男爵様の言いなりに私をそのまま売り渡さず、一旦騎士爵家に引き戻した上で婚姻を結ばせておけば、私は資産も店も騎士爵家に取り上げることは、さほど難しいことではなかった筈だ。
レティシア様のお言葉通りなら、私の所有権は実家にあるのだから、私から全てを奪った上で男爵家に引き渡せば、今頃兄は金貨100枚どころか、数え切れないほどの白金貨を手に入れらただろう。
「なん……だと!?」
「それではお兄様、お体にはお気をつけて。ごきげんよう」
「ま、まてっ!」
扉の前で優雅にカテーシーで別れのご挨拶。バカ兄が慌てて私を引きとめようと椅子から立ち上がるも、運悪く執務机の脚で躓き、さらに運が悪いことに机の上にあった金貨の袋から、中身が盛大に床へと散らばる。
「し、しまった! 俺の金が!!」
慌てて散らばったお金をかき集める姿を尻目に、静かに部屋から退出していく。
最後まで本当に惨めな人。もし散らばったお金よりも私を引き止めようとすれば、もし血の繋がった妹ともっと良い関係を築けていれば、こんなにも寂しい一人っきりという結果を迎えることなどなかったよいうのに。
「ホント、自分の兄ながら愚かとしか言えないわよね」
私は青空の下、一人そう呟くのだった。




