第16話 その想い出の名は……(後編)
って、まてやぁーーーー!! まさか本気でこのお屋敷でケーキ屋をやれとおっしゃるの!?
突然連れて来られた貴族街にある一軒のお屋敷。いきなり『如何ですか』と尋ねられ、『私のお店じゃないですよねぇ、ははは』と答えたらニッコリ笑顔。
下手な三流貴族のお屋敷よりも大きく、実家のボロ屋敷と比べると数百倍以上。おまけに玄関から伸びる階段の先は幾つもの部屋が並んでおり、お庭は花こそ咲いていないが十分ガーデンパーティーが出来るほどの大きさ。
あえて問題を挙げるとすれば少々古いデザインなところだが、私的にはこのアンティーク調の感じがなんとも可愛らしく、少し手を加えれば十分にお客様を招ける状態。早い話がお店にするのは勿体ないほどの立派なお屋敷なのだ。
「改装費用のことはご心配いりません。このお屋敷込みでアリス様のお仕事斡旋となりますので、全て公爵家で負担いたします」
いやいやいや、そういう問題じゃなくて!
そもそも改装費込みでお屋敷を頂けると言われても、誰が素直に貰えるというのだ。
確かに当初のお約束では、ピンチに巻き込んでしまったお詫びと、たまたま命の危機をお救いした報酬として、私の仕事を見つけていただけるという話だったが、これはお約束の遥か上を完全に超してしまっている。
そらぁ、私のお仕事先が見つからなかったのなら仕方がないのかもしれないが、誰がいきなりお仕事先にどうぞとお屋敷を頂けると思うだろうか。
「お分かりかと存じますが公爵家が一度口にしたお約束は、お引き戻し出来ませんので諦めてください」
「うぐっ」
やられた。
このお世話になった数週間で、すっかり私という人間を熟知されてしまっている。身の丈に合わない報酬など私が受け取らないと分かっているからこそ、あえてローレンツさんは返品不可と付け加えられたのだ。
もしかしたらフローラ様辺りが裏で指示されているのかもしれないが、私程度の小物では公爵家には逆らえず、魔王戦のように移動魔法で逃亡する事もまず不可能。
残された道は素直に報酬を頂き、必死にお店を経営するしかないだろう。
はぁ……
私は深いため息を吐きローレンツさんに質問する。
「ローレンツさんは私がここでお店を出して成功すると思いますか?」
「絶対に、というお約束は出来ませんが、高い確率で成功するでしょう」
短い間ではあるが、ローレンツさんの元でいろいろ学ばせてもらい気づいた事。それは根拠のない結果は絶対に口にしないという事と、一方的に不利益となるような取引は絶対に行わないということ。
その実績は今のハルジオン商会の規模であり、現状の公爵家を見れば一目瞭然で。そして力も能力もない者に、ここまでの言葉を掛けることうことがないのもまた事実。
私としても自分のお店を持つというのは前世での夢だったし、全く自信がないというわけでもないので、もしそんなチャンスに巡り会えたら乗ってみたいとさえ思っていた。後はやはり最後の度胸というわけだろう。
私はふっと息を吐き、覚悟を決める。
「わかりました。私もエリスの生活がかかっているので覚悟を決めます」
今は学費を公爵家で負担いただいているが、いつまでもご厚意に甘えているわけにはいかないだろう。ユミナちゃんが通うような学園なので、費用もそれなりに必要だろうし、私の収入が少ないからといって別の学園に通わすなんて今更出来ない。
それに私には前世で学んだ知識と、フィーという契約精霊がいてくれるし、娼婦として体を売ることに比べると、よほどやり甲斐と夢があるというもの。
後は私の努力と根性で頑張ればエリスの学費ぐらいは稼げるのではないか。
私は素早く今の実情と予想を踏まえてローレンツさんに質問を投げかける。
「この規模のお屋敷を利用するとなればやはり貴族の方々が対象になりますよね?」
「左様です。原材料の幾つかは少々平民の方々には高い物となりますので、メインターゲットは貴族の方々、もしくはそれに連なる関係者か、商会などを運営されている商家の方々になるかと。幸い王都にはそういった方々が大変多くいらっしゃいます」
ローレンツさんが言うには爵位が与えられた貴族には限度があるが、そこから枝分かれのように伸びたいわゆる分家筋は多く存在し、抱える資産に上下はあれど、貴族相手に商売をしても十分に需要が見込めるのだという。
「貴族の方々がターゲットとなるとやはり個室も用意しないといけませんね」
「えぇ、中にはお忍びでいらっしゃるような方もおられるでしょうし、お茶会などでご利用される場合もございます。ですので一階をフリーのカフェスペースとし、二階に個室部屋を作るのがいいかと」
「私もそう思います」
少々お忍びという言葉が引っかかるが、この辺りのレストランには全て個室部屋が用意されていると聞くし、人目を気にしないでゆっくりとスィーツを堪能したいという方もおられるだろう。
そういった対応には専属のスタッフが必要だが、そこはサービス料という形で徴収すれば問題ない。ただ個室を作るにしてもその数が限りあるという点ぐらいか。
「このお屋敷はそのままアリス様達の住居を兼ねることとなりますので、お屋敷の表半分を店舗に、奥側を居住エリアにするとなるとやはり個室はそう多くは取れないでしょう」
「そうですよね。お屋敷を兼ねるとなると使用人さん達の居住スペースも必要ですし、そう多くは取れませんよね」
おそらくスタッフ=使用人となるのだろうが、朝が早い関係上住み込みを前提で考えなければならない。この辺りには貴族のお屋敷やお店しかないので、平民街から通うとなると結構な距離となってしまう。
まぁ個室の少なさは予約制にしたり、お持ち帰りやお届けで対応するしかないだろう。
「一階のレイアウトですが、カフェスペースを用意するため幾つかの部屋壁を取り除き、一面フロア張りとさせていただきます。お庭側には光を取り入れるためのガラス窓と、直接テラス席へと出られる扉の設置。キッチンとフロアの間には壁を作りますが、他にご希望がございましたら何なりとお申し付けください」
「そうですねぇ……」
ここまで来たら絶対に成功させないといけないので、頭の中で思い浮かんだ案を遠慮なく言わせてもらう。
「入口の正面ですが、こちらにガラス張りのショーウィンドウを用意してください。高さは出来れば上から見下ろして商品が見えるぐらいで」
「なるほど、入ってすぐの場所にケーキを飾るのですね」
「はい。メニュー表で描ける絵は限りがありますので、直接現物を見て選んでもらうのです。初めてのお客様ほど名前と実物が一致しませんので」
この世界じゃケーキは馴染みのないお菓子となってしまうので、名前だけ見ても実物は想像出来ないだろう。
一つ一つ商品の写真が載せられれば一番いいのだが、生憎とこの世界では写真もなければコピー機もない。できることとなると精々絵を描くことだが、私は一年を通して販売する定番商品と、季節ごとに入れ替える季節限定の商品とを用意するつもりなので、その度に絵描きさんにお願いするのは流石に厳しいだろう。
だけど前世であったような冷蔵のショーケースに飾っておけば、直接選ぶことも出来るし、一々スタッフが商品の説明に回らなくても済むうえ、オーダーが通った度に出し入れすることも可能なので、仕事の効率的には大幅に短縮出来るのではないか。
あとは冷蔵機能があれば言うことなしなのだが、そこは上部に氷が置けるスペースを作っておけば、ケース内を冷気で冷やすことだって可能。夏の暑い日だって私とフィーの魔法があれば、氷は無限につくりだせるのだから。
「わかりました。工業ギルドの方で用意してもらうよう手配しておきます」
「後はキッチンスペースなんですが、出来ればオーブン用のカマドは二つ以上あれば助かります。生地によっては焼く温度が異なるものがございますので」
「承りました。他になにかございますか?」
「そうですね……地下とかあったりします?」
「食材の保存用に小さな地下はございますが、一体なにをされるので?」
「冷蔵庫を作りたいと思います」
「冷蔵庫……ですか?」
「氷を使った保存箱みたいなものなのですが、クリームなど作り置きが出来るものを保存しておきたいと思いまして」
夏場でも涼しい地下室なら、氷を使った簡易冷蔵庫を置いておいても問題ないだろう。オーダーが入るごとにクリームを作っている時間もないだろうし、今後の事を考えても簡易冷蔵庫は必須。私もフィーもずっとキッチンに入っていられるわけでもないので、ある程度保存できるものは作り置きをしておきたい。
「なるほど、こちらも工業ギルドに手配しておきましょう」
「ありがとうございます。私からは以上です」
私が今思いつく限りのものを挙げさせていただいたが、一体どれぐらい費用がかかるのだろうか。お屋敷の改装費だけでも相当なものになりそうだし、これら全て公爵家で負担してもらうのは流石に気が引けてしまう。
「あのぉ、それで費用の方なのですが……」
「全て公爵家で負担させていただきます」
「ですよねぇー、せめてお屋敷だけでも賃貸になりませんか?」
小心者と言うなかれ、これが悲しき日本人の性なのだ。
「ふむ、それではこう言うのは如何でしょうか? まずは3ヶ月間、無償にて経営していただき、その後に改めて費用の面を相談させていただくというのは。アリス様もまだ不安を抱えておられるでしょうが、3ヶ月も経営していれば大体の資金繰りも見えて参りますし、その頃には身の回りも落ち着いてくると思われますので」
何という好条件。家賃を払うといった手前、いきなり資金繰りに困って支払えませんでは立つ瀬がないし、一ヶ月の売り上げが見えない状態では、幾ら支払えるかも見当がつかない。
流石に3ヶ月もお店を開いておけば月々の収入も大体予想が出来るので、その時改めて交渉出来れば私が抱える不安もなくなるだろう。
「それじゃお言葉に甘えさせていただきます」
お店のスタッフもローレンツさんが探して下さるというし、お屋敷の改装も全て手配して下さるので、私は思い切りケーキ作りに専念できる。
改めて公爵様やフローラ様、そしていろいろ助けていただいたローレンツさんに巡り会えたことに、感謝しなければいけないだろう。
「そういえば一つ聞き忘れておりました。お店の名前ですが……」
帰り間際、ローレンツさんが振り返りながら尋ねて来られる。それに対して私はすぅーっと息を飲み込み、かねてより決めていた名前を口にする。
「ローズマリー。お店の名前はスィーツショップ・ローズマリーで」
「ローズマリー、いい名前ですね」
嘗て私が継ぐと言って叶える事が出来なかった両親のお店。結局私は夢半ばであの世界を飛び出してしまったが、せめて今世でその名前だけでも……
この日から約一ヶ月後、私はスィーツショップをオープンさせる事となる。
夢と希望と想いが詰まったこのローズマリーを。